秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

もう一度考えてみるといい

三里塚闘争のとき…といってもわからない人もいるだろう成田国際空港開港阻止闘争=三里塚闘争という空港建設反対闘争があった いまはとある大学の教授をしている親友が仲間が止めるのもきかず、反対派農民の農業支援=援農と闘争に参加した 何かあったときの…

手が回んないんだから、仕方ないでしょ

パニック障害という言葉を聞いたことのある人もいるだろう。障害の初期は動悸、発汗、めまい、窒息感(過呼吸)、胸の痛み、吐き気といった症状が出る。 ひどくなると、周囲のリアリティが失われ、テレビや映画のシーンを見ているような感覚に襲われる。風景…

色男のいらなくなった国

「色男、金と力はなかりけり」と江戸ではいわれた。いまさらながら、うまいこと をいったものだと思う。 金のためだけに心血注げば、それは当然、顔も険しくなるだろう。商業資本主義の基本というのは、どれだけ安い労働力や資材で物やサービスを生産、提供…

神話の国のアリスたち

ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』(1865年刊)『鏡の国のアリス』(1871年刊) 初めて絵本を読んだとき、不思議でしょうがなかった。描かれている世界の現実にはありえない、不思議さではない。 迷い込んだ世界で、次々に脈絡もなくアリスを襲って…

デクノボーになれないデクノボー

この世に生まれてきて、自分が生きたという印がほしい。証を持ちたい。それを知る人、認める人がいてほしい。できれば、たくさん…。 人は生まれながらにして、自己承認の欲求を持っている。 それは、乳飲み子や幼児がそうであるように、生存のためであり、思…

あうんの呼吸と知らない素振り

初対面の場合は一層だが、親しい関係の他人であっても、あるいは家族のように頻繁に顔を合わせる人間同士でも 人は常に、人の素振りに目をやっている。 相手はどのような人なのか、何を考えているのか…。言葉にはならない、素振りから、その人の資質や性分、…

夜空ノムコウ

子どもの頃はやたら怪我をする。いまの子どもは山や川で遊ぶこともないので、ぼくらの子どもの頃ほど下草や小枝、石に転んで切り傷をつくるということも少ないだろう。 些細な切り傷であれば、すぐにかさぶたができて、治る。ところが、これがかゆい。治りか…

責任を痛感しております

時間と記憶(空間)の問いは、ソクラテスの昔からあった。そこにギリシャ悲劇が誕生したことも当然のことだ。ぼくは演劇という窓を通して、それを学び、実感してきた。演劇は身体を通して、時間と記憶をどう観客と共有するかの芸術だからだ。 たとえば、ソク…

ダブルクラッチ

物事が人との協働作業がうまくいっているとき、ぼくは、いつもこんなふうに思う。 「ああ、いい具合に歯車がかみ合っているなぁ…」。 歯車がかみ合うというのは、こちらと相手の願いや期待、希望が共有され、同じイメージを共有していることが感じられること…

しがみつく

中学生の頃、本の虫だったぼくが夢中になった作家のひとりに、フランツ・カフカがいる。 思春期の中学生をカフカに夢中にさせたのは、そこに描かれていた「正体不明の不安」「自分という存在の不確かさ」だった。 20世紀後半から21世紀のいま、そして100年に…

パブロフの犬

「パブロフの犬」という言葉が中学のとき、クラスの中で流行ったことがある。 体験的で強制的な学習によって、行動が習慣化、パターン化されるという条件反射を解明した、ソビエトの生理学者イワン・パブロフの実験のことだ。ぼくらは、習慣化され無意識に反…

困ったちゃん 困ったくん

世の中には、困った人がいる。 かつて、それはKYなどともいわれた。周囲の空気が読めない人ということだが、いまどきの困った人は空気が読めないだけではない。 やたら、正義を振りかざす人やさして知識もないのに、あるがごとき錯覚をしている人、表層的…

縺れ糸を解く

子どもの頃、なんの糸にせよ、糸で苦労した記憶がある。 ぼくは生来とても不器用で、細かなことがとても苦手だった。 ご飯を食べるときも「食べる先からこぼして~!」と母によく叱られたものだ。 これはいまに至ってもまったく治ってない。ぽろぽろこぼす。…

ソーシャルディスタンスとウェルフェア 超克の時代

他者との関係性をどう生きるか…それが有史以来、人類が絶えず直面してきた課題だ。 人と自然、人と人、人と集団、人と地域、人と社会…。その関係のあり方は、国家形成に深く関与している。これらの合意された関係性で国家はつくられているからだ。また、関係…

もがき方のヒント

新規サイトに移動した最初に、なんとなく書く。 三島由紀夫の文学にはふれても、三島がなぜ、あれほどに土俗的な生活文化、通俗と崇高さの混濁に執着したか、正確にいえば、憧憬を強く抱いていたかを知る人は少ないだろう。 演劇的にであれ、民俗学的にであ…

自己責任という名のカッティングオペレーション

貧富の差を語るとき、自己責任という言葉がこの国では付きまとう。付きまとうだけでなく、まず、先に出るのは自己責任だ。 顕著になったのは、言うまでもない、小泉政権時代。アメリカ、イギリスから始まった新自由主義の潮流をこの国にいわば強引に導入した…

主役はだれかなのか忘れてはいないか

女性の参政権がこの国で認められて、まだ、わずか70年しか経っていない。戦後、日本国憲法が誕生してからのことだ。かのイギリスでさえ、わずか100年程前。 それまで、女性は政治にかかわることもできなければ、自らの権利や人権を主張することもできなけれ…

承認という病のバイオハザード

かつて、ぼくらの思春期の承認は、先生から褒められることでも、親から認められることでも、成績がいいことでもなかった。 それらはあった方がいいには決まってるし、ぼくらもあった方がいいだろうなとわかっていた。 だが、幼少期から思春期前期まではそう…

数学なんて苦手~とかいってる場合じゃない

人類は文明といわれるものが誕生する以前の古代から数学を使っている。石器をつくるにしても、獣を襲うにせよ、火を起こすことにも数学や物理学が関与している。 文明の誕生と発展に、数学は欠かせないもので、ぼくらが話す言葉、言語も数学だ。音楽も、演劇…

ぼくらくらいなもの

数人の高校生たちが始めた環境保護を訴える運動。それがいま欧米を中心に世界の高校生に広がっている。 ハリウッド女優や政治家のインターン女性が、勇気を出して声を上げたセクハラ被害。いまはme too 運動として世界的な言葉になった。 格差への反発はパリ…

どこへ行けるというのか

『オリンピックの身代金』(KADOKAWA刊・奥田英朗著)という本がある。テレビドラマ化もされている。 昭和39年の東京オリンピックを舞台にした、いまでいう爆破テロ計画を企てた男のノンフィクションだが、その背景に描かれいるものは事実だ。 当時、日本中…

あなたは世界から愛されているか

世界から尊敬され、信頼され、愛される国であってほしい。そういう日本でありたい、国民でありたい…。そう願わない人はいるのだろうか。 日本国憲法が目指したのは、戦争の過ちを犯し、自国民はもとより、アジア諸国を中心に世界に多大な苦難を与えた日本が…

風評という言葉はいらない

福島県が退去を拒否している自主避難者の避難住宅(借り上げ)からの退去勧告を行ったことが弱者切り捨てのように叩かれている。 ここに来るまで、1年以上かけて、県の担当職員、自主避難者の自治体職員が自主避難者一人ひとりに国の予算の期限切れについて…

アップデートできない国

多数派であろう。そして、できれば、多数派の中枢にいたい。 いまに始まったことではないが、まるでDNAに組み込まれたもののように、多くの日本人がそう思っている。 そう生きることでこれといった変革や改革も起こさず、ただ以前あったシステムや制度、形式…

はぶかれるのがこわいチキンハートの国

自分の弱さや弱みをさらけ出すというのは容易なことじゃない。この世の中の多くの過ちや間違いといったものは、大方、それに起因していると思う。 体面や面子、体裁といったものの背後にあるのは、それだし、虚勢や虚言といったものもそれに起因している。 …

砕けたステンドグラスたちの壊れた承認

ぼくらは砕け散ったステンドグラスのような存在だ。 片割れのいくつものステンドクラスがそれ自体、自分という存在のすべてを表象できないように、ぼくらは、ぼくであることの感触を得ることができないでいる。 それでいながら、破片の一つひとつの存在、ど…

信じられる大人の姿

たぶん、ぼくがひねくれ者だからだろう。 この時期、テレビの震災関連の報道特集や慰霊特番、スペシャルドラマといったものにひどく違和感を覚える。 人の悲しみや痛みは他者が容易に共有できるものではない。当事者でなければわからないこと、わかっていて…

大人がいなくなった社会

芝居や映画の世界では常識とされていた、レンブラント照明。 オランダの巨匠レンブラントの絵画から引用されていると御存じの方も多いはずだ。 あるいは透明感に満ちたフェルメールの窓から差し込む光…。 中世や近世の絵画はモチーフとされる表象の一つひと…

ゆりかごの中のぼくら

三島由紀夫の『文化防衛論』が出版されたのは、1969年。執筆はその前年のことだ。 当時、世界に広がり、日本にも怒涛のように押し寄せた学生運動の潮流に危機感を抱いた三島は、左翼を含め、この国に蔓延している欧米主義、明治以後の日本の極端な欧化政策に…

大人の姿勢と知性

子どもであった頃の記憶を消して、大人のふりをする。 子どもの頃の満たされなかった欲求感情を引きずって、子どもであった頃の純真さを持ち越していると勘違いする。 思春期、青年期の子どもたち、若者たちが一番疎ましく思うのは、そんな大人たちだ。 昨今…