秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

主役はだれかなのか忘れてはいないか

女性の参政権がこの国で認められて、まだ、わずか70年しか経っていない。戦後、日本国憲法が誕生してからのことだ。かのイギリスでさえ、わずか100年程前。

それまで、女性は政治にかかわることもできなければ、自らの権利や人権を主張することもできなければ、それが守られてもいなかった。

女性は国、社会、地域、職場、家庭で常に脇役であり、男性の雑用係であり、男性の隷従者であることを要求され、決して、舞台の主役となることはなかったのだ。

近代と前近代との大きな違いは、市民が分け隔てなく、政治に参加できているか否かだ。そして、政治の使命は、市民の実状と声に向き合い、分け隔てなく、市民一人ひとりの生活を守り、その質を高めていくことでしかない。

なぜか。それは舞台の主役は、市民であり、国民だからで、決して政治家でもなければ、官僚でも、まして、財閥や大手企業の経営者、天下り企業のものではないからだ。

ところが、いまこの国では、子どもの7人にひとりが貧困に置かれ、食事を満足に食べられない状況が放置されている。

若い単身女性の多くが非正規雇用でしか働けず、平均年収は114万円。バイトの掛け持ちでは追い付かず、風俗でからだを売るか、セックスで生活費をもらうパパ活でもしないと普通の生活ができない状態に置かれている。

それもかっての援交のように、遊ぶ金欲しさのお小遣い稼ぎではなく、今日の生活を維持するためにだ。

シングルマザーの生活に至っては貧困率が50%を越え、先進国でトップとなっている。

法外な年収を得る人間や親の資産を背景に安定した生活を過ごす層がいる一方、明日の暮しもギリギリの相対的貧困が広がっている。しかも、これは増大こそすれ、是正の方向には向かっていない。親の貧困が子どもへとつながる、貧困の連鎖が生まれ、固定化してきているからだ。

貧困と借金、大学の貸与奨学金返済による生活苦は、目の前の時間と仕事、それによって得る、わずかなお金しか見えなくさせる。生活苦は身体的に過重な労働となるだけでなく、それが心も壊していく。

そんな生活を強いられて、とても社会の問題や政治を考えるゆとりなどない。意見を言うどころか、自己の権利や人権にさえ、思いいたらない。

人は生活に追われてしまうと、何も考えなくなる。どんな理不尽さも受けれ、流されてしまう。社会の枠から外れてしまっている自分を責め、諦めていく。

そして、このつらさ、苦しさを終わらせるために、自死を選んでいく。この国の自殺率のトップは若年世代だ。自殺率を含め、それは先進国でも群を抜いている。

すべて主役は、政権や政治家、政党だ。中央官僚や行政だ。根拠のない正当性は雇う側、企業にあり、そこに働く人間は、脇役以下に追いやられている。

言葉遣いは丁寧で慎重ながら、自分が主役であるという意識は揺るがない。

指示通り、意のままに動いていればそれでよく、動かなくなっても入れ替え可能な人間はいる。親からの資産もない、非正規雇用労働者を量産しているからだ。格安で働く外国人労働者を受け入れていくつもりだからだ。

この状況が新しい日本の未来像の姿だとしたら、若い世代を食いつぶしていくことがこの国の未来だとしたら、夢を持ってこの国に来た外国人を使い捨てにすることがこの国のこれからだとしたら…

この国は、近代とは名ばかりの前近代を目指していることになる。いまの世の中、ぼくら国民を含め、主役がだれなのかをすっかり忘れてはいないだろうか…。