秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

悲しいときには微笑みを

このブログでも以前、紹介した。

 

近代朝鮮史の研究では第一人者だった、大学時代からの親友が昨年10月に急逝した。卒業後も連絡を取り合い、機会があれば会っていた貴重な友人だった。

先月のお彼岸に、奴の遺稿をまとめた、研究書籍が明石書店から出版された。それを契機に、研究者としての実績を評価する座談会と偲ぶ会が教鞭をとっていた、福岡大学で開催された。私も旧友として、こちらも大学時代から知る、彼の奥方に頼まれ、偲ぶ会の司会で参加した。

つい先ごろ、佐渡金山の遺構が世界文化遺産に登録されるというので、物議をかもした。議論の的となったのは、佐渡金山採掘事業(旧三菱鉱業・現三菱マテリアル)を朝鮮人強制連行による労働者が支えていたのが事実かどうか。果ては朝鮮人強制連行労働そのものがあったか否かという、歴史修正主義者たちが仕掛けた、噴飯ものの議論にまで発展していた。

その学術研究論文として、衆目を集めたのが、福岡大学名誉教授・前福岡大学教授・元新潟国際情報大学准教授だった、広瀬貞三。

日朝併合下の近代・現代朝鮮史の中で、土木業や採掘業に光を当てた研究者がほぼいないこともあるだろうが、奴の論文は労を惜しまない日韓現地調査と貴重文書を丹念に紐解いた上でまとめられたもので、国会やマスコミでも取り上げられ、話題となっていた。

最後に、奴と電話で話したとき、その話になった。日本国内だけでなく、韓国を始め、海外メディアや市民団体、政党からの問い合わせが頻繁に来ていると言っていた。
「いい機会じゃないか」私は言った。近代朝鮮史はそのまま日本近代史とつながる。だが、日本人の関心はすこぶる低い。そこに光を当てる好機だと言ったのだ。「だから、マスコミの取材もテレビ出演もどんどん顔出しちゃえよ」

 

「いや。オレはいいよ。それは別の誰かがやればいい。その坩堝に入ったら、まともな研究がやれなくなるからさ」

白黒つけたがる世界とは、距離を置く。それは、大学時代から政治的な発言や行動をやりつつ、政治団体や組織とは一線を画して、独自の手段と方法で、何かに組みすることなく、自由な主張の道を拓くという、私たちの表現や主張の作法だった。

大学1年のときから、事あるごとに仲間数人で数えきれない程の議論をした。主張をぶつけ合いながら、社会の真相、人のあり方のどうしようもなさといった、きれい事や杓子定規な机上の空論では組み取れない現実にどう向き合うかを考えさせられた。

その議論に遅れをとらないために、大学の単位になるわけでもないのに、議論で知らない引用や著者名が出てると、それぞれが必死に勉強した。新しい視点の取り方、見つけ方。白黒つけたがる世界の虚妄を見破る訓練を私たちは、知らず知らずにやっていたのだ。

私たちの中で、その場の思い付きやマスコミの受け売り、何かに偏した記事や噂をネタとした議論は認められなかった。「だから、その根拠はどこにあるのよ」奴は、反論や異論を唱える仲間に、必ずそう言う。必ず反例や反証を求めたのだ。いま思えば、研究者として資質はあの頃から見えていた。同時に、それが奴自身をきつく縛る縄にもなるだろうと想像した。実際、奴は晩年、躁鬱に苦しんだ。

簡単にはいかない。

それが私たちの根本にある人間理解の基本だ。善悪の基準や世間の物差し、組織や団体、社会の常識とされている、すべてを疑え。なぜながら、人も社会も世界も、簡単にはいかないものだからだ。かとって、難しい議論をしたところで、社会や人は簡単には変わらない。

私たちの大学の校歌にある。「現世を忘れぬ 久遠の理想」。それを求めて奴も私もここまで走って来たのだ。

私も奴も福岡の出身だが、なぜ奴が近代朝鮮史にこだわり、かつ土木や採掘業に従事した朝鮮人労働者に目を向けていたのかはわかる。福岡は、炭鉱の町だった。強制労働で来させられた朝鮮人もいた。生活の苦しさから日本に来る朝鮮人も多く、仕事と言えば重労働。

福岡から釜山まで、高速船で4時間弱。早朝に出て日帰りできる。実に近い。常に、自分の生活の場に、朝鮮がある。だから、大人たちの差別も排除も目の当たりにして、私も奴も幼い頃から育った。

朝鮮人差別だけではない。中国人差別、黒人差別、同和差別。福岡では、歴史的にも社会生活においても、常に差別問題と向き合わされる。

だからこそ、簡単ではない人の世の現実が見えるのだ。人というものの浅ましさも醜さも、それでいながら、どうしようもないいとおしさも見えるのだ。そう。簡単にはいかないのだ。

それを一番知るからこそ、奴は朝鮮にこだわり、私は同和やいじめ、格差問題、女性問題、人権にこだわるのだ。

朝鮮の民謡に、「悲しいときには微笑を」という歌がある。辛酸をなめた歴史の中で生まれた歌だ。奴に昔、NHKのドキュメンタリーで見たその歌の話をした。理不尽さと不条理に溢れた人間世界の中で、名もなき人々がすがれるのは、言葉にすれば実に簡単なそんな表題だ。

簡単ではない社会、世界の片隅で、人を励ますその言葉は、実に簡単だ。奴は研究者の論文の向こうで、それを求めていたのかもしれない。

そして、私もそれを続けている。大学で互いに誓った未来を生きている。