秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ゆりかごの中のぼくら

三島由紀夫の『文化防衛論』が出版されたのは、1969年。執筆はその前年のことだ。

当時、世界に広がり、日本にも怒涛のように押し寄せた学生運動の潮流に危機感を抱いた三島は、左翼を含め、この国に蔓延している欧米主義、明治以後の日本の極端な欧化政策による、近代化と戦後一層顕著になった日本のアメリカ属国主義の過ちを改めて痛烈に批評した。

三島由紀夫は左翼も右翼も遥かに越えたところで、日本の未来を見据えていた…と、ぼくは思っている。

確かに、武士に象徴される男性神話とそれがもらたす、天皇を神とする日本文化の根幹にある精神性に耽溺し、天才文学者らしく、実人生でもそれを小説のように生きようとしたというのが実際のところだろう。

現実に、小説世界を逸脱し、三島が最後に選択した自決への道は、ナルシズムの典型的な形で終わったし、当時、三島の行動はその文学への高い評価とは裏腹に、大衆の支持を勝ち得なかった。余談だが、その結末は太宰とあまりにも相似している。

だが、三島が予見した通り、高度成長期から成熟した消費社会とその後の凋落という時代の流れの中で日本人が本来備えていた、社会倫理や道徳は果てしなく崩壊し、それは家庭・地域・社会、そして政治・国民のモラルハザードへとつながっていく。これも余談だが、戦後、これに危機と失望を抱いていたのは太宰が最も顕著だった。

アメリカ従属主義は戦後以上に、この国の政財官に蔓延した。重要法案の国会提出も、その決議も、アメリカの影が常に付きまとう。

アメリカの経済を支える富裕層と同じく、消費、物を得ることが美徳と取り違えされ、人々の幸福の尺度は、モノ・カネにとって代わられた。

そして、三島の予想通り、アメリカ従属から隷従へと変わった。

アメリカとの戦争に負けたからではない。二度も世界大戦を生き、国家の分断まで経験したドイツは、決して戦勝国に隷従してはいない。アメリカへの隷従は、この国の政治家と国民が安穏と、かつ利益相反の中で、あるいは圧力の中で、選択してきた道なのだ。

日産のゴーンCEOの事件で、裁判所は、これまで多くの冤罪の温床となるとして、国内司法関係者からの批判があった再逮捕による拘留延長を異例中の異例で反故にした。かつ、検察は、フランス国籍のゴーン氏に対してはさらに再逮捕を突きつけ、拘留延長を図ろうとしている。

だが、実行役とされる日産の前代表取締役アメリカ人であるケリー氏については、保釈が実現する。妻の検察に対する抗議を全世界に流した、アメリカ政府の圧力があったからだ。アメリカの一息で強固だった裁判所の判断が判例を無視して、簡単に覆る。

沖縄では、知事選で明確に県民の意志を示したにもかかわらず、辺野古湾への強引な土砂搬入が行われている。アメリカとの地位協定の見直しさえ進まない中での強行だ。

いまぼくらは、三権(司法・立法・行政)をすべて、アメリカのご都合主義の掌の中にゆだねられている。アメリカ経済は来年以後、急速な不況が予想されている。この国は、2020を隠れ蓑に、そのアメリカの後ろを着いて行くだろう。

それがぼくらが選んだ、ゆりかごの世界だ。


だが、そのゆりかごは、国民全員を気持ちよく、揺らしてはくれない。アメリカ政府・政治の威光に身も心も投げ出す、国を、国民全員、あまねく人々のことを考えない人たちのゆりかごでしかない。