秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

手が回んないんだから、仕方ないでしょ

パニック障害という言葉を聞いたことのある人もいるだろう。

障害の初期は動悸、発汗、めまい、窒息感(過呼吸)、胸の痛み、吐き気といった症状が出る。

ひどくなると、周囲のリアリティが失われ、テレビや映画のシーンを見ているような感覚に襲われる。風景が歪んでみえたり、狭い空間や逆に広い空間、音や匂い、色、数字、尖端のあるものに強い不安感を感じる、理由のない恐怖感、自分はいますぐ死ぬんじゃないかと思うほどの恐怖感を感じたりもする。

からだの感覚は麻痺し、凍えるほどの硬直を感じる場合もある。あるいは逆に、熱さを強烈に感じる場合も。

自傷行為にはいろいろな要因があるが、共通して顕著にみられる幼い時期、思春期での近親者との性的関係強要のトラウマのほか、こうしたパニック症から自分を取り戻すためにあえて、からだを傷つけ、我に返るためにやるという傾向も多いのだ。必ずしも自傷行為を責められない理由のひとつになっている。

簡単に、耐性の問題としてだけ片付けられるものではないが、障害とまではいえないまでも、ぼくらは往々にして、パニックを経験しているはずだ。どのようなストレスであれ、家庭、学校、職場などいろいろな場面で、焦る、慌てるといった経験がある。

いまぼくらの社会、世界では、子どもじみた事柄が当たり前のように起きている。ちょっとしたことで過剰に反応し攻撃的になったり、他人を否定して自分の言い分だけを主張し、間違いにも気づかない。

子どもじみたというのは、中国、ロシア、アメリカ、日本の指導者の姿と政策をみればすぐにわかる。嘘がスケスケの服を着て、「ちゃんと服を着てます。私は嘘じゃありませんよ」といっているようなおかしな政策、施策、いわゆる愚策の数々だ。

同時に、こうしたスケスケの服なのに、「そうだね。ちゃんと着てるね。嘘なんかこれっぽちも見えないし」と同調する国民、大衆も増加の一途だ。いわゆる岩盤支持層といわれる人々。

始末が悪いのは、「嘘がスケスケの服を着てるかもしれないが、全部ほんとがスケスケじゃない服を着ていられないほど、自分たちの国も生活も大変なのだ。だから、ま、嘘がスケスケでもやることやってくれればいいじゃん」といった否定しながら肯定している人々だ。

子どもじみているリーダーとその取り巻き集団、それに、子どもじみた言い訳でもよしてして支持する子どもじみた人々…。

そこに共通しているのは、耐性がなく、いくつもの問題、課題を片付ける処理能力が身に付いていないこと。それを指摘すると激高したり、慌てふためく。そして、「とりあえず、できることやっとけ。できないことはできないし、それどころじゃないんだから」という言い訳を平気でいえる。優先順位などとも言い訳する。

確かに、物事の処理には優先順位がいる。しかし、ここでの優先順位は自分たちの都合のいいこと、自分たちの利権や権益、支持母体が潤うための優先順位で、すべからく、あまねく人々、国民のためのそれではまったくない。

もちろん、そのために犠牲にされる人、後回しにされる人、置いてきぼりにされる人が生まれる。しかし、彼らの言い分は、これも子どもじみていて、「だって、手が回らないんだから、仕方いないでしょ」。これをまったくの反省もなく言えてしまう。

自分たちの能力の限界を知っているからだ。なぜなら、全部を抱え込んでしまうとパニック障害を起こすとわかっているからだ。

その言い訳として、もはや時代は、全部を守る時代から自助で生き抜く力のある人だけがいられる時代、社会へ変わったと世界では終わってしまった新自由主義を持ち出してくる。

これを止めるのに、変えるのに、まっこうからの否定や議論はほとんど意味をなさないだろう。パニック障害を起こさないために、厚顔無恥になることしかしないからだ。

変えられるのは、残念ながら野党でも政治家でもない。国民なのだ。だが、その国民の多くがいま子どもじみた賛同の中にいる。

目覚めるのは、多くを失った後しかないかもしれない。ぼくらは失わないとわからない国民なのだろう。