秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

2013-09-01から1ヶ月間の記事一覧

シャリーズの言葉

I love the mysteries of the world and of life, and I don't necessarily want to figure them out. fbでときどき、Chalrizeのコメントをリンクしている。この言葉もそれ。 彼女は本当にクレーバーな人だと思う。人間のどうしようもない現実とそれが導く不…

そして父になる

人というのは、なんとない予見や予感、それがより高じて、期待や不安といったものを抱くようにできている。これは人だからだけではない。あらゆるいのちに共通するものだ。 なぜながら、自分のいのちを守らなくてはいけないからだ。同時に、期待=欲をもたな…

名もなく貧しく美しく

人には人それぞれに思惑や願いがある。思惑がなければ、願いも生れない。また、その願いを実現しようとすれば、思惑が生まれる。 だが、思惑というものは、その思いのあり方、思いの持ち方加減が難しい。ちょっと油断すれば、自分の中にある自己中心の考えを…

美しい少女たち

いずれ自分はいなくなる。人はあるときから、そのけじめを設けることで、次にやるべきことをみつけていける。 それは決して、年齢がかさむほどにそうだというわけではない。たとえば、小学生時代や中学、高校生時代のように、それは過ぎていく時間であり、遠…

一輪の切り花たれ

画一性と均一性。統合と整備。それらを基本とする都市空間では、身体への意識が希薄になる。当然だ。生活のにおいが抹消され、清潔さと無個性な美しさ求められるからだ。 それに合わせて、身体も現実の身体からデフォルメされていく。身体はファッション性を…

人間力

人間力…そういう言葉が正確であるかどうかは知らない。だが、人としての力、それを持つ人が少なくなてっていることは事実だ。 人としての力とは、「人は社会的動物である」といわれたギリシャの昔から、社会性を持つ人間のことを指している。 カン違いしては…

明日への志

多くの人は、今日やるべきことを考える。だから、多くの人は、今日をどう生きるかを考えない。当然だ。今日やるべきことを考えないと生きていけないからだ。 だが、人はただ、生きればそれでいいのだろうか。 悲惨な紛争や戦場にあって、苛酷な被災の現場に…

絶対の調和

人や自然の風景にふれて、ああ、いとおしいなぁと思えるのは、自分のふるさとの風景であったり、人であったりするのだろう。 だが、ふるさとというものを持たないオレのような人間でも、人や自然の風景にふれて、なつかしさはなくてとも、ああ、いとおしいな…

モグラたたき

人は新しいものを生み出す、創造する…というとき、二つの道に分かれる。正確にいえば、決して分かれてはいない。だが、浅薄に新しいものを生み出せると考える人は、それが二つに見える。 ひとつは、これまでの既存の価値や概念、もっといえば、それに基づい…

見所の見

人には、愚痴ばかりこぼす人もいれば、やたらに人や何かを非難する人もいる。外目にはいい人を演じながら、狡猾で計算高い人もいれば、外目には無愛想で、コワモテながら、実は、実直で、誠実な人もいる。 美しい言葉や人が、そのままでないことがあるように…

一瞬の出会い

人の出会いをどう生かすか。それは簡単のようで容易ではない。 なぜなら、自分の我や業、つまり、うぬぼれや身勝手さが人にはどうしても付きまとうからだ。あるときは、損得が絡む場合もあるだろう。それが打算や駆け引きを生み、せっかくの出会いをつまらな…

読み下し方

知識や素養がないと、人は、いろいろなことを素通りしてしまう。もったいないことだ。 たとえば、旧所名跡といわれる場所もそうだし、それにまつわる歴史や人物もそうだ。とろこが、身近にそれがあるほど、そうしたことに無関心ということがある。いつもでも…

人間50年

かつて、人生50年といわれた。これは、能楽の名曲「敦盛」のシテ舞の中の言葉から来ている。織田信長のドラマでいつも使われる「人間五十年…」のあれだ。 実際には、敦盛本人の言葉ではなく、一ノ谷の合戦で、敦盛を討ってのち、出家した熊谷直実の言葉とし…

自分の生きる道

弱音や愚痴は、聞きたくない。そう思うのが当然だ。ある意味、自己愛としか見えない場合もあるし、周囲に同情を求めているとしてしか見えないことも少なくない。 震災後、縁を持たせてもらった、多くの人たちが、心の傷や多くの困難を抱えてながら、弱音や愚…

初心忘るるべからず

かつて若かりし頃の毛沢東は、「何事かを成すのに必要なことは、若く、貧しく、そして健康であること」といった。 後半生にはいろいろと問題のあった毛沢東だが、革命最中の彼の言葉には、説得力がある。 一方、皮肉屋で知られる、イギリスの劇作家バーナー…

作法とふるまいを変える

人になにかを期待され、それに応えなくてはいけないとき。あるいは、期待はされていなくても、自分の生活や夢のために、なにかをつかみとらなくてはいけないとき。 人は平時にあっては、大方、臆病にもなる。また、平時にあるからこそ、その貴重なチャンスが…

自分を勘定に入れず

人には、どうしようもない性(さが)、あるいは業というものがある。いい悪いではなく、なにかへの執着が強かったり、逆に、なにかへの思いや配慮が薄かったり… ああ、またやってしまっているとあとで気づき、自覚するなにかだ。あるいは、まったく自覚でき…

新しい風、新しい波

映画や舞台の作品でも、それを演じる俳優でも、あるいはそれをつくりあげるスタッフにせよ。いいものをつくる、いいものを見せられるという、基本にあるのは、それぞれの仕事に対する規範だ。 もっといえば、原理原則といってもいい。なぜ、そうした仕事を選…

創造への熱意と内実

表現の仕方はいろいろある。オレが学生時代、必死に学んだ、ノーベル賞作家のサミュエル・ベケットの「プルースト論」の中にこんな言葉があった。 Form is content, Content is form. 形式が内容であり、内容が形式である。 小説も、戯曲も、演劇や音楽、美…

面相は人を現わす

人柄というものは、表情に出る。面相のいい人、よくない人という言い方を年配の人はよくするけれど、外見で人を判断するのは、決してよくないことだけれど…が、しかし。 やはり、面相や体格、姿勢に人の性格というものは現れるものだ。これは、人を見る側、…

地域が強くなるために

世阿弥と出会ったのは、上京してすぐだった。 それまで、新劇の三大劇団、文学座、俳優座、民芸、あるいは、昴、雲、文化座、青年座、東京小劇場、俳優小劇場の舞台ばかりしかみていなった、地方の高校演劇出身の青年にとって、早稲田小劇場(現SCOT)の芝居…

確かであろうとするしかない

ひとつひとつの出会いを生かせるか。そして、それを長く継続させ、深め、かつ、出会いを化学反応に変えて、ひとつの出会いを広げ、成長させていけるかどうか… それは一重に、出会いを生きる人たちがオープンマインドであることが大事だ。何かの先入観やこれ…