秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ロストケア

劇場で予告編を観たのは、昨年のことだった。上映されれば、必見だなと思いつつ、見逃していた作品。

少し前、光文社に用件があり、その折、この原作が映画化された話は聞いていたが、出版社としては、ベストセラー作品でもなく、地味な作品だったこともあり、映画化の話が来たときは、少し驚いたというお話を伺っていた。上映公開されのは、出版から10年後の今年の三月。

いま進めている作品の参考になればと、配信されるようになって、やっと観た作品。おそらく、劇場で観ていたら、もっと揺り動されて、早々にブログで紹介していただろう。

10年も前に出版された作品を10年かけて、映画化した前田哲監督の熱意と根気、それに初稿から伴走して制作にかかわった主演の松山ケンイチさんにも頭が下がる。この熱意がなければ、映画化には至ってない。

いわゆるエンターテイメント映画ではない。原作自体が介護や孤独死の問題を深く抉った作品で、それを映像化するには、相当の検証と取材があったはずだ。そして、小説もそうだが、映画における観客動員も決して、ヒットと呼べるものではなかったはずだ。配給は日活と東京テアトル

こうした社会派映画は、日本ではいま、制作はもとより、上映することすら難しい。まして、介護連続殺人がモチーフで、多くの人が、いや社会全体が、かすかな福祉に押しつけて、見ないようにしている現実を突き付けている。

いろいろなとこで、語っていることだが、いまの分断された社会にあって、人々は、格差の谷間に落ちている人々の実態に目を向けようとしない。貧困、単身高齢者、介護といった現実を知ろうとしないだけでなく、知っても見えないふりをする。社会問題を白紙のページにして、きれいなものしか存在しない、清く美しく、元気で明るい世界だけを自分たちの視野に入れたがる。

仮に目を向けるとしたら、若くして病魔に侵され亡くなっていく、若いカップルの悲恋物だ。常に、そこにあるのは傍観者の視線だけだ。

この作品のクオリティの高さは演出や演技や脚本の素晴らしさだけではなく、福祉の問題、介護の問題を、その視座からしっかり、国や世界のあり方として捉えていることだ。それでいながら、介護や看取りの中にある、どうしようもない人間の感情の暗部もしっかり描こうとしている。

私自身、親の介護や看取りを姉夫妻にまかせ、郷里から遠く、仕事が忙しいという言い訳で、逃げて来た人間だ。だが、この映画は、自分自身がさらに老いたとき、自分の子どもにかけるだろう負担とその時自分が人としての尊厳を生きられるかの問いをぶつけてくる。

東映の作品で、『高齢者虐待』(教育映画奨励作品賞)を作品化したことがあるが、そこからもう一歩踏み込んだ世界が、監督としてだけでなく、一人の人間としての課題だと改めて認識させてくれた作品。

原作が推理小説だが、映画は、冒頭からネタバレの感がある。その点は否めないが、今年度の日本アカデミー賞作品賞候補にしてもおかしくない作品。

主演二人、長澤まさみ、松山ケンジの演技もいいが、何より、松山の父を演じる、柄本明の芝居が素晴らしい。出番は多くないが、柄本の芝居が、この作品にリアリティを与えている。彼の俳優としての名作のひとつになるだろう。映画『砂の器』の加藤嘉の演技を思わせる。

映画ロストケア