秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

2013-05-01から1ヶ月間の記事一覧

第三弾福島弾丸トラベラー開始

明日、都内の福島食材えこひいきの飲食店回りから第三弾の福島弾丸トラベラーが始まる。 2日は、早朝いわきへ向かい、午前11時~15時まで地元菌床椎茸組合の大感謝祭イベントに参加する。線量の問題はないが、土とじかにつながっている印象の強い椎茸、キノ…

逆に感謝している

身近な人で、健康面や経済面、あるいは生活面で試練や苦難の中ある人の何人かはいるものだと思う。身近でなくても、自分自身があるとき、ある日、そうした境遇にならないという保証はどこにもない。 経済面や生活面の苦労というのは、苦しいものだし、みじめ…

芝居のしの字が知りたくて

オレたち、あるいは、オレの仕事というのはいろいろと誤解されやすい。 たとえば、どうしても仕事柄、美しく、若い女優さんやモデル、グラビアアイドル、その卵といった人たちと出会う機会が多い。ワークショップなどの講師でいくと、一層、そうした人たちと…

豊かさの獲得

人は自分自身が人間として恥部だと思っているもの、あるいは、明確な過去の過ちや悪意をあからさまにできない体質を本来的に持っている。 同時にまた、自分自身が受けた身体的、精神的ダメージや傷も、その原因や要因が自分自身の非ではないにもかかわらず、…

コントロールされるリテラシー

情報の管理と統制…そうした言葉は、社会主義圏や共産主義圏、あるいは独裁政権下のことだと多くの人々が思っている。 しかし、超高度情報化社会にあっては、情報を提供する側、情報のプラットホームを提供する側は、ほぼ自動的に情報の管理と統制ができるし…

ほめ言葉は使わず

母校の創立記念日での講演に関する生徒たちのアンケートの一部を校長先生が送ってきてくださった。 代表的なものを抜粋されたものだろうから、いただいた意見が生徒たちひとりひとりのすべての声ではないと思う。 しかし、建前の正しさを鵜呑みにするのでは…

親戚づくり

つながりと縁を感じたとき、人はどうしてもこうも、ありがたく、あたたかく、うれしい気持ちになるのだろう。 ひとつには、いまという時代、都会だけでなく、地方にあってさえ、人と人のつながりや縁というのは十全ではないということがある。つながりが縁を…

夢追い人の旅

そこに生きる人の思い…というのは、厳密いえば、そこに生きる人にしかわからない。 生きるということは、人それぞれにある苦しみや悲しみ、そして喜びを人それぞれの作法と流儀で引き受けていくということだからだ。 しかし、生きるということは、決して自己…

世界で唯一の国

人への寛容さの度合い、深さというのはその人自身の人柄を示す。 人柄といった言葉を越えて、人格や人となり、その人の育ちから成育歴、育った家庭環境や受けた教育の質と内容、精神文化、教養、世界観、国際感覚…日々の生き方のすべてを現わすといってもい…

福島から世界に問う

Smart City の取材とデータ収集で福島県内をまわって、大きく実感させられていることがある。 それは、急速な高齢化と高齢化による農業の限界性だ。いまさら…そう思う人、そう言葉にする人は少なくないだろう。 オレ自身もいまさらながら…と思わないわけでは…

人には負けるとわかっていて、闘わなくてはいけないときがある…

人が夢や希望を描き、それを実現しようと思えるためには、それが実現できると信じられる、何がしかのモデルいる。 ところが、この20年ほどの間に、人々は、夢や希望、それを目指すことの価値や可能性がことごとく、裏切られ、つぶされていく姿を目にしてきた…

福島という舞台

企画と制作したいものが、本業においても、福島支援事業においても、やればやれるほど、次々に沸いてくる。 福島支援事業では、資金のないところでこの2年半、がんばっているが、ここから先は、それなりの支援や応援、助成がなければ、実行できないことが多…

Move Girls

いろいろな意味で、人には初見から印象深い人というのがいる。 オレの演出論の言葉を使うと、これは空間占有の力だ。人には人それぞれに、それまでの人生でつくられてきた、「佇まい」…というものがある。 その多くは親やまたその親など、先天的、遺伝的に与…

種というみあげ

人が撒いた種がどのように実を結ぶか…それに期待することは意味がない。どのように実を結ぶかは、その人それぞれの自由だからだ。 撒かれた種を素通りする者もいれば、種を受け止めて、育てていく者もいるだろう。育てながら、やはり、この種は自分というい…

37年ぶりの母校

13日夕刻から福岡に入り、高校の同級生たちと4年ぶりで飲む。直前の前日に連絡したのに、悪友全員がそろう。高校の頃からオレの身勝手さにつき合わされ続けているから、決して動じないし、慌てないw 翌日は朝から母校へ。37年ぶり。教育実習でいったときは…

事に当たる

事に当たるという言葉がある。うまいことをいったものだと思う。 何事か自分のやりたいこと、やらなくてはならないと思うことに着手していくと、次々にやらなくてはいけないこと、片付けていかなくてはならないことが沸いてくる。 まさに、当ってしまったの…

先生のいない国

政治家や弁護士、医師や大学教授、教師といった公共性の高い職業従事者は、かつて先生と呼ばれた。当然、いまでもあちこちで先生と呼称されている。 小説家や詩人、美術家、クラッシックの音楽家、舞台演出家、脚本家、評論家も、とりわけ公共性が高いわけで…

マスコミの使命のおわり

マスコミ、とりわけ、テレビや新聞は、それが登場したとき、大衆に迎合するものではなく、大衆にこれまで届かなかった情報を伝える媒体だった。 多くの人は忘れている。当時、テレビ・新聞を通して、人々は多くのことを学び、自分たちの考えや意見を形成でき…

憲法のいろは

いつも講演や対談、シンポジウムなどで、折に触れ語っている。 たとえば、日常の平穏が担保され、つづがない毎日が続くであろうという安心感を抱ける、平時の世界にあって、人を殺してはいけない、人を貶めてはいけない、差別やいじめはいけない…といった、…

国民栄誉賞と民度の低さ

会津、中通り、浜通り…。福島県内を今年に入ってから会津に2度。中通りに2度。そして、いわきに2度来訪した。まだ回りきっていない。 中通りは特に南北に広い。前回は南を中心に回ったが、取りこぼしもあれば、伊達や国見、福島周辺はまだ手が届いていないの…

下り階段をのぼれ

1967年公開の古い映画だ。アメリカンニューシネマの時代につくられた、暴力やセックス、愛憎劇とはちょっとちがった硬質の作品。 当時、好きだった個性派女優、サンディ・デニス主演の学校を舞台にした映画。社会教育映画作品といってもいい映画だが、ハリウ…