秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

信じられる大人の姿

たぶん、ぼくがひねくれ者だからだろう。

この時期、テレビの震災関連の報道特集や慰霊特番、スペシャルドラマといったものにひどく違和感を覚える。

人の悲しみや痛みは他者が容易に共有できるものではない。当事者でなければわからないこと、わかっていても言葉にできないこと、思いというものもある。

また、震災当時から言い続けているけど、被災の現実は一応ではない。一人ひとりの生活が違うように、被災の現実も人の数だけある。

そして、8年のという歳月の中で、また、それぞれの現実も大きく変わっている。どう俯瞰しても、一律に語れる、解釈できるような代物ではない…とぼくは思う。

冷たい言い方に聴こえる人もいるだろう。だが、ぼくがこの8年、福島で、あるいは東北の各地で見て学び、そこに生き、現実と向き合う人たちから教えられたのはそれだった。

特に原発事故を抱えた福島は、原発とのかかわり方の深度、その距離の取り方で人々の意識も違う。

ことさらに、放射線量の危険を声高にいう人の中には、線量の低い地域から自主避難し、自らの地域を否定するように、福島のマイナススピーカーになっている人たちも少なくない。また、そうした声を支援という名で、過剰に祭り上げる人たちもいる。

何が真実で、何が嘘なのか。嘘ではないとしても、主観的で、矮小化されたものなのか、そうではないのか。それを見極めることがとても大事だ…ぼくは3.11の後、福島と関わるようになったときから、心にそう決めていた。

そう決意させていたのは、何よりもぼくが被災の当時者ではないからだ。そこに生きる人間ではないからだ。そして、様々な形で、何がしか表現できる場と機会を持つ人間だったからだ。

冷静であること。感情に押し流され、同情や憐憫を持たないこと。心情的に共感するものであったとしても、そこに留まらないこと、溺れないこと。

それが物事をしっかりととらえ、被災者とそうでない者という関係を越えることになる。同じ立場で、志を同じに、これからの道を探る…そのことの方がはるかに震災・原子力災害に立ち向かう、そのときの逼迫した課題だった。

そして、それが、あの日を契機に、いや、あの日がなければ出会うことのなかった、ぼくらが出会ったことを明日へ生かす道だと確信していた。

その思いはいまも揺るがない。

過去を振り返ることは大切なことだ。奪われたいのち、生活に思いを寄せ続けることも当然な感情だと思う。ぼく自身、震災直後の風景を目にし、胸に突き刺さった感情がいまの活動の動機になったことは否定しない。

けれど、だからこそ、失われたすべてのいのちに、奪われたいろいろな思いに応える道は、いままでを取り返すことでも、いままでと同じ日常に戻ることでもないのだ。

次へつなぐための、いまをつくることこそ、あの日を未来に生かす道だとぼくは思う。

記憶の継承も重要だが、それと同じ、いや、それ以上に、自分たちの地域を次の人々が誇りを持って生きられる場としていくことだ。よりよい明日へつなぐことだ。

いままでとは同じじゃない。そう胸を張って、次の人たちに言える、恥ずかしくない行動をし、完全ではなくとも、実現してみせる道を歩むことこだ。

信じられる大人の姿を遺すということだ。