秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

どこへ行けるというのか

『オリンピックの身代金』(KADOKAWA刊・奥田英朗著)という本がある。テレビドラマ化もされている。

昭和39年の東京オリンピックを舞台にした、いまでいう爆破テロ計画を企てた男のノンフィクションだが、その背景に描かれいるものは事実だ。

当時、日本中がオリンピックに沸き、華やかな表舞台にしか目がいかない中、会場建設や高速道路整備に東北の農村地域から多くの季節労働者が動員され、事故死を遂げている。

余談だが、その中には、まだ福島第一原発のなかった、大熊町なども含まれている。原発を受け入れた最大の決め手は、原発があれば、家族が一年一緒に暮らせることだった。それほどに農家は出稼ぎに頼らなくてはまだ生活が厳しい時代だったのだ。

飯場といわれる簡易宿泊所に寝起きし、人入れ仲介業者(現在の派遣会社の前身)にピンハネされ、低賃金と過酷な労働の中で、楽しみといえば、博打と酒。それで身を持ち崩し、故郷を捨てた者もいれば、ホームレスになった人間もいる。

誘惑に負けず、懸命に働き、妻子の待つ故郷へ帰れる者が大半だが、現場での怪我や事故における傷害や死亡補償は当時、ないに等しかった。だから、過酷な現場、危険な現場ほど手当がよく、また、それが作業経験がないための死亡事故にもつながった。

ぼくらがいま利用する高速道路も、旧国立競技場もそのような犠牲の上でつくられ、ほどんどの人がその事実をいまでも知らない。

兄のいのちを奪われ、見向きもされない現実に、自らも東京という都市に受入れられなかった男が地域格差と貧富差への復讐として、オリンピックの虚栄を暴くために事件を起こす。

主人公にはっきりしたテロ意識があったわけではない。また、政治的な思想を持って行動したわけでもない。

しかし、思想犯に仕立て上げられ、左翼思想にかぶれた男の未遂事件として葬られる。それが権力の側にとって、彼が一番訴えたかった地域格差、貧困格差を隠す都合のいい筋書だったからだ。

この小説がいいたいことははっきりしている。そして、それは今日の東京オリンピックの姿にもつながっている。

昭和39年のあのときと経済事情は大きく変わった。だが、地域間格差はより広がり、経済はゆるやかな回復などという美名に隠れて、置き去りにされている貧困がこの国には広がり、ますます拡大する方向にしか、政策は機能していない。

復興オリンピックなどといわれながら、その恩恵を受けるのはごくわずかな東北の地域と東京だけのものだ。

いま新年号に沸く、この国は、繁栄の影で見捨てられているもの、切り捨てられているものへ目を向けることもなく、どこへ行こうというのか、行けるというのか。