秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

アップデートできない国

多数派であろう。そして、できれば、多数派の中枢にいたい。

いまに始まったことではないが、まるでDNAに組み込まれたもののように、多くの日本人がそう思っている。

そう生きることでこれといった変革や改革も起こさず、ただ以前あったシステムや制度、形式の表面だけを貼り換え、塗り替え、あるいは継ぎ足して、変革だの、イノベーションだのと大仰に騒いできた。

前例にこだわらず、時にはそれを捨て去り、潜在的な欲求や隠れた意志、ビジョン化されていないもの、言語化まで辿り着いていない社会現象や人々の生活にある未来志向を掴みとり、前例のないパラダイムやプラットフォームを創造することをぼくらは長い間やってきていない。

やってきた気でいるだけだ。

IT革命があっても、所詮、産業革命の延長にしかなかったぼくらの生産活動や生活形態がAIの技術開発の進展で、5年から10年後には、大きく様変わりするとわかったいまでも、官公庁の公式文書はA4サイズと決まっているし、ペーパー優先主義は変わっていない。

先ごろ、暴かれたように、中央省庁のデータ改ざんが平然と行われ、ひどいのは手書きで修正されている。内閣の大臣面会記録が矢継ぎ早に破棄されていたりする。

いかにこれまでとは違う〇〇ですと胸を張ろうが、遅れた脳が考える新しいことは、所詮、陳腐な代物でしかない。

ということがわかりながら、そうした多数派の輪の中に多くの人はいたがり、自分たちの遅れた脳、まったく更新も、アップデートもされていない、腐った脳で、陳腐なアイディア、発案をさも新しいことのように公言して満足しているのだ。

変革はそのようには生まれない。小手先で、わずかな見栄え、体裁をいじっても変革にはならない。規模は小さいてもいい。だが、発想と着眼と視座は、広角で大胆で、反逆的なるものでなくては、大きな変革にはつながらない。

多数派の中にいたい、多数派の主流でいたい腐った脳の人間たちには、当然そんなことはできない。腐った脳が未来志向の意志を摘み取り、状況を停滞させるどころか、より悪化させていく。

それでもDNAに組み込まれて、そこからの飛躍も飛翔もできないなら、腐った脳を好きなだけ蔓延させ、次を生きる人たちから戦犯として処刑される道を歩むことだ。

それがわかってるから、慌てて、保管すべき公文書を改ざん、破棄している。