秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

風評という言葉はいらない

福島県が退去を拒否している自主避難者の避難住宅(借り上げ)からの退去勧告を行ったことが弱者切り捨てのように叩かれている。

ここに来るまで、1年以上かけて、県の担当職員、自主避難者の自治体職員が自主避難者一人ひとりに国の予算の期限切れについて説明をし、その度に、暴言や文句、ときには罵詈雑言をぶつけられながら、頭を下げて、こまめな取組をどれだけ重ねてきたかを全く知らない。

中には、線量に問題はないにもかかわらず、過剰に反応し、自らふるさとを去った自主避難者と放射線量の危険性からやむなく、ふるさとを後にした、避難者とを混同している人までいる。

まして、帰宅困難地域に隣接する双葉郡など隣接する地域の人たちばかりが自主避難していると勘違いしている輩までいる。

原発から遠いが、一時線量が高かったために、子どもの健康を心配して、やむなく避難し、東京や首都圏、県内の別の地域で生活を始めた家族をぼくもよく知っている。

だが、その大半は、自らの選択で土地を離れた以上、しっかりとここでの暮らしを新たに築いていこうと考えている人たちばかりだ。決して、国の予算にぶらさがり続けようと考えている人たちではない。

しかも、決して福島のこと、自分たちのいた土地のことを悪くいう人などひとりもいない。それどころか、離れてしまったが、いまいる場所から福島のためにできること、ふるさとのためにできることをやろうという思いを持った人たちだ。

確かに、放射能はこわい。目に見えないものだからこそ、こわい。いますぐ、健康被害がなくても、数年後、十数年後がどうなかのか、はっきりしたデータがないから、こわい。

国の被爆規準、線量を軽減するための除染作業についての疑念はぼくにもある。だが、だからといって、自主避難生活を永遠に支える妥当な根拠にはならない。

同じように不安を抱えても、自主避難してきた人たちの土地で、地域の再建のために、再生、新生のために、日常を取り返すために、あのときから、ずっと、汗水流している人たちがいる。原発事故地域のような保証も、住宅補助もない中で、それを生きている人たちがいるのだ。

都内・首都圏のNPOなどで、自主避難者の支援をやっている団体がいくつかある。
ぼくもそうした集まりに参加したことがあった。そこで当事者から聴こえてくる言葉は、地域行政への批判とすべての責任は原子力災害だという声ばかりだった。

それだけならまだいい。

線量は決して低くない。自分の体調不良は放射能が原因だ。原発事故のために、生活もできなくなった…。科学的根拠も、医療的証左も示さず、被害者意識をそのままぶつける言葉ばかりだ。

断っておくが、大熊や双葉の人たちではない。多くの住民がいまも通常の生活を送っている別の地域の人たちの言葉だ。

一度も福島のいまを観たことも、行ったこともない、状況を知らない都会の人間が聴けば、当然、同情もすれば、かわいそうにも思うだろう。そして、そんなに危険な地域なのかと信じるだろう。

それが福島への風評を倍加させている。

風評という言葉はぼくは好きではない。ぼくの福島県内の仲間、友人たちも風評という言葉をよしとしていない。

自分たちがもっといいものをつくればそれでいい。自分たちの生産するものに自信があれば、乗り越えらるし、自分たちの生産したものがどれだけ素晴らしいかを伝えていく…他人のせいにしていない。自分たちの努力のあり方だと自らの課題にしているのだ。

国や県の予算にぶらさがって開ける未来など、高が知れてる。震災・原子力災害を自分たちの地域の明日を拓く教訓とできるものが、福島の未来を力強く、拓いていくことができる。ぼくが勝手にそう思うのではない。

ぼくが出会い、いま旧友のように、同志のように語らう県内の踏みどどまって闘っている友人たちがそう教えてくれている。