秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

面相は人を現わす

人柄というものは、表情に出る。面相のいい人、よくない人という言い方を年配の人はよくするけれど、外見で人を判断するのは、決してよくないことだけれど…が、しかし。
 
やはり、面相や体格、姿勢に人の性格というものは現れるものだ。これは、人を見る側、観察する側に長くいた人間なら実感している。
 
人の顔つき、表情、体格、姿勢、もっといえば、所作というのは、基本、親世代やその前の世代から受け継がれてきたDNAに寄っている。そこにあるベースはどうしようもない。
 
よく未熟な俳優などが、もっと個性を発揮したいだの、個性的な俳優になりたいだの、たわけたことをいっているが、個性などというものは、すでに決定され、いまある自分以下でも以上でもない。個性というのは、どこか別の世界にあるのではない。自分の身体そのものにすでに決定されて、そこにあるのだ。
 
その上で、自分に与えられたものをどう磨き、自分の特性、魅力としていくが鍛錬というのだ。
 
逆をいえば、その顔つき、表情、体格、姿勢、所作は、その人の成育歴やそれまで歩んだ生き方、生活、習慣、性格をも表象するということだ。姿勢の悪い人は、そうなる人生を生きている。体の軸のとれない人は、軸のとれない生き方、ひん曲がった思考をしている。
 
そして、面相の悪い人(決して、ブ男、ブ女を面相が悪いというのではない)は、面相が悪くなる生き方を生きているし、そうなる思考を持っている。手相占いと同じく、面相占いというのがあるのは、そこに、その人の個人史と心が反映されているから。

演劇の世界においても、舞台に立たせただけで、大方、その人の生活史、個人史は察しがつく。察しがつくのがいい演出家、監督というものだ。会話をしなくても、それだけで、見透かせるものが人の身体にはある。
 
オレの演出論の中に、空間占有という言葉がある。その人がいるだけで、周囲が明るくなったり、元気になったりする。その人がそこにいるだけで、人々がその人に視線がいく。そして、その笑顔にやたら、意味もなく癒される…
 
それは、その人の内実とその人が持つ、ある見えない力だ。
 
ここには、そうした自分であろう。そうした地域であろうと自分の個人史や生活史に逆らわずに、それを魅力に変えようとしている人々の姿と笑顔がある。
 
 
 
写真は、看板、キャラクター制作、インテリアも手掛ける、トライアートの三戸一衡さん。震災後、FB友だちだった三戸さんと直接あったのは、震災から9ヶ月ほど経った頃。会うなり、MOVEのメンバーになるよ、と、自分から手をあげてくださった。
 
そのときの笑顔はいつも、いまも少しも変わらない。いつもその面相に癒されている。この日は、ギリギリ登場して、緊張気味w
 
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