秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

確かであろうとするしかない

ひとつひとつの出会いを生かせるか。そして、それを長く継続させ、深め、かつ、出会いを化学反応に変えて、ひとつの出会いを広げ、成長させていけるかどうか…
 
それは一重に、出会いを生きる人たちがオープンマインドであることが大事だ。何かの先入観やこれまでの経験、あるいは周囲の評価といった内外野の声に心が奪われていたり、揺れていると、あるものをあるがままに見ること、とらえることができなくなる。

たとえ、相手が有名無名であろうが、たとえ、社会的な地位や肩書があろうがなかろうが、なにかに有利なネットワークをもっていようがいなかろうが、そうした心でなければ、人を正しく評価することも理解することもできない。
 
これまで舞台、テレビ、映画、そして政治やビジネスの世界で幾人もの著名な人物や人間と出会ってきたが、なにか自分の役に立つたたない、自分の得になるならないで人を見たことはない。それは、まったくの無名の人たちにも同じだ。

やるべきこと、見るべきことは、自分がどこへ、どのように、どういう意志と決意で進むかであって、人の権威や力、あるいはそれ以外のなにかに依存していては、そもそもの自分の意志も決意もないに等しい。つまり、歩むべき道がないに等しい。

また、逆に、まともな人間であれば、そうしたなにか損得や駆け引きで近寄ってくる人間のにおいはすぐにわかるし、それは自分の理念や確信、そして、行動を伴った人ではないことは一目瞭然でわかる。下品とさえ見なされかねない。
 
「あなたはなにかがしたいのか」「あなたは、なにを当てにしているか」「あなたは、あなた自身で道を拓く意志と決意はないのか」…視線はそう問うている。
 
そうした問いの視線や言葉のない人だったら、逆に、いいように利用され、都合のいい人間として使い捨てにされるだけだ。結局は、損得でかかわりながら、最後に自分が一番損をするハメになる。
 
この世の中に確かなものは、じつに少ない。それが世の中だ。だとすれば、自分自身が確かであろうとするしかない。確かに、生きようとするしかない。
 
ここには、その確かさを求めて、日々を生きている福島の人々の姿がある。
 
 
だれだって自信はない、だれだって確信にはたどりつけない。だが、それを目指して生きようとすることに意味がある。能楽世阿弥がいうように、もし、自信や確信がないなら、まず、形(かた)からそれをつくることだ。自分のふるまいや言動、そして、所作(外見)からそれを変えていくことだ。
 
写真は、最初に、いわきの海岸線の悲惨な現状をオレに教えてくれた荒川くん。彼の朴訥だが、現実をあるがままに見た言葉と写真にオレは心を動かされた。彼との出会いがなければ、MOVEのいまの活動はなかっただろう。そして、いま彼と濃い付き合いをつくりだすこともなかった。

クマさんのような外見に似合わず、貧血症らしい…意外。笑ってはいけない。
 
 
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