秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

初心忘るるべからず

かつて若かりし頃の毛沢東は、「何事かを成すのに必要なことは、若く、貧しく、そして健康であること」といった。
 
後半生にはいろいろと問題のあった毛沢東だが、革命最中の彼の言葉には、説得力がある。
 
一方、皮肉屋で知られる、イギリスの劇作家バーナード・ショーは、こういう。「若い奴に青春という言葉はもったいなさ過ぎる…」。
 
確かに、青臭い若さだけが青春をつくれるわけでも、生きられるわけでもない。逆に、人生の機微を知り、辛酸や挫折をしって、なお、夢や希望に向って本気で進めるからこそ、青春ともいえるのだ。単に若いというだけで事足りるわけでもない。
 
青春の当時者では味わえない、青春の魅力というのがある。
 
しかし、一応にいえるのは、若かろうが、それなりに年齢がいっていようが、その人の持つ精神性が一番大事だということだ。
 
既存の価値や体系にしばられず、何かの力に依存するわけもなく、自分が自分であるために、純粋であり、かつ、純粋であるがゆえに、未熟さを伴い、それが人を傷つける刃でもある…ということを自覚できているかどうかではないだろうか。

ただ、ひたむきであれば、それだけで美しいわけでもなく、純粋だからこそ、それが人の心を蹂躙することだってある。偏狭で、身勝手な思いに変わることもある。だからこそ、いろいろな壁や障害に出会うことが大事なのだ。
 
その中で未熟と無知を知ることが大事なのだ。
 
じつは、これも世阿弥の言葉にある。「初心忘るるべからず」。初心とは未熟さの意味だ。よく最初のひたむきな心と解釈するおバカさんがいるが、そうではない。いくつになっても、己の未熟さ、無知さを知れといっているのだ。

それがあれば、青春の真摯さは年齢にかかわらず、楽しむことができる。謙虚に学ぶ姿勢が生まれる。だから、年令に関係なく、何事かを成すことができるのだ。
 
小学生のような、中学生のような、高校生のような幼さが、世界を芯でとらえることがある。世界を変えていくヒントを与えてくれることがある。
 
ここには、まるで子どものようにひたむきで、未熟さと無知さと向き合い続けようとしている人たちがいる。決して、横柄でも、強引でもなく、自分の年齢に関係なく、美しい幼さで押し寄せた課題を乗り越えようとしている福島の人たちだ。
 
 
 
写真は、7年前、行政の出向でいった、二本松の里山の魅力に魅了され、一旦、地元行政に戻りながら、農業をやるために入植した、ななくさ農園の関さん。まったくの素人同然の彼を支えてくれたのは、地元のオーガニックの仲間たちだった。
 
いまではワイナリーや地ビールの開発にも取り組み、地元の農業に新しい息吹を吹き込んでいる。飄々として、逞しい。
 
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