秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

読み下し方

知識や素養がないと、人は、いろいろなことを素通りしてしまう。もったいないことだ。
 
たとえば、旧所名跡といわれる場所もそうだし、それにまつわる歴史や人物もそうだ。とろこが、身近にそれがあるほど、そうしたことに無関心ということがある。いつもでも情報が得られると思うと人は、意外に情報にぞんざいになる。
 
SmartCityの取材で、福島の二本松市内を仲間の運転で走っていると、ふと、能楽「黒塚」の舞台という看板が眼に止まった。そして、はっと気づいた。「黒塚」は、安達が原の鬼婆伝説をもとにつくられている。それが二本松だったことを失念していた。

ところが、二本松の情緒にあふれた町並みやちょっと奥にいくとまるで里山という空気感、一方で、霞が城(二本松城)のある城下町であった風情にふれると、なるほど、能楽の舞台として、ここが登場するには、それなりの歴史的、文化的魅力やそうした伝説を登場させる土地の空気があったからだと気づかされる。

そこから読み下していくと、二本松の人や地域性というもののアウトラインが見えてくるということがある。
 
もし、自分に能楽の素養と知識がなければ、そうのようにして、二本松に心を惹かれることはなかったかもしれないのだ。
 
人にせよ、場所にせよ、あるいは、それにまつわる歴史、文化、政治、経済といったものは、その読み下し方で、見えてくる姿が変わる。
 
当然ながら、好き嫌いや興味のあるなしではなく、眼にした現象を自分が培ってきた、情報と知識、それをつくりあげている素養や教養から、その姿をあるがままにみつめ、かつ、その奥にあるものを探るということだ。

白河の関に この身はとめぬれど 心は君の里にこそ行け」
 
和歌好きの人ならすぐわかるだろうが、これはオレが平安期の女性でだれが一番美形で色っぽく、美しかったかと問われたら、迷わず答える、和泉式部のものだ。彼女の出生地は磐城国石川郡、現在の福島県石川町にあたる。
 
京の職を辞して、都から帰郷の途中、土賊が蜂起し、行く手を遮られた。やむなく、庵をつくり、一時を凌ごうとしたが、治まる気配はなく、やむなく、京に戻る。そのとき、石川のふるさとへの思いをつづった和歌だ。
 
白河市ときいて、白河の関が浮かび、白河の関ときいて、たとえば和泉式部が連想できる。それが地域やそこに生きる人を知る手がかりになっていく。また、逆に、和泉式部を知って、白河を知り、かつ石川町を知る…という人もいるだろう。
 
SmartCity FUKUSIMA MOVEは、この人を読み下すことで、福島のそれぞれの地域のこと、生活のことを知ってもらうためのプラットフォームでもあるのだ。
 
 
写真は、いわきの小野崎さんの紹介でお逢いした、白河市高麗屋という名のキムチ製造販売をやる、清水承玉さんと息子さんのお嫁さんにお孫さん。震災後の原発事故で、一度は実家のある沖縄へ戻った。
 
お孫さんがまだお嫁さんのお腹にいた。それから数か月後、やはり…と白河に戻り、キムチ工場を再開。息子さんたちも母親を助けようと戻ってきた。だが、多くの被災した方たちがそうであるように、再開はしたけれど、次の見えない風評の壁は続いている。その中で、家族体を寄せ合うように、その波を越えようとしている。

お嫁さんには、もうひとり、次の時代を支える白河の子がやどっている。

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