創造への熱意と内実
Form is content, Content is form. 形式が内容であり、内容が形式である。
小説も、戯曲も、演劇や音楽、美術や造形、その他のパフォーマンスも、あるいは、アスリートも、そのチームプレーも、ことごとくそうだ。
表現しようとする世界観がしっかりあれば、おのずから、その表現したい内容にふさわしい形式(形)が生まれる。あるいは、すでにある形を利用することができる。表現というものの真実を現わした名言だとオレはいまでも思っている。
また、舞台演出家の鈴木忠志は、その演劇論の中で、「作家の内実が作品を決定し、さらには、それが観客を決定する」と語っている。
つまり、あまねく万人が感動し、共感する作品はない。作家がある作品をつくる、表現しようとしたときから、その観客はあらかじめ決定されている、というものだ。
物づくりに取り組み、表現の苦しみを知る人間なら、その言葉の意味は胸に届くはずだ。未熟な作家は、この言葉にすぐにたどりつけない。だから、万人受けする作品を求めて、苦悶することになる。
だが、所詮、ひとりの人間の脳の中から生み出される世界には、限界がある。同時に、その限界ゆえに、その脳でしか発露されない世界というものもある。それへの確信を持つこところでしか、作家は作家足りえない。
これは作家だけではなく、さきほどいったように、俳優やアスリート、あらゆる表現に携わる人間にいえること。
ゆるがない表現…それを求めて、表現者は苦闘している。そして、それを最後に支え切るのは、自分が生み出すものへの確信とその確信というバトンを受け止めてくれるあらかじめ約束されていたように、そこにいる人々だ。
ゆるがない表現…それを求めて、表現者は苦闘している。そして、それを最後に支え切るのは、自分が生み出すものへの確信とその確信というバトンを受け止めてくれるあらかじめ約束されていたように、そこにいる人々だ。
ここには、そうした生産者や加工業者、自分の生み出す創造への熱意と内実にあふれた人々がいる。
写真は、そんなオレの夢をいち早く理解してくださり、2年後のビジョンにかけてくれた、いわき経営コンサルタント事務所の代表、藤本誠さん。緩い話から、ビジネスライクな話まで守備範囲が広い。商売の本質を体感と実践で理論にできている方だと思う。