秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

見所の見

人には、愚痴ばかりこぼす人もいれば、やたらに人や何かを非難する人もいる。外目にはいい人を演じながら、狡猾で計算高い人もいれば、外目には無愛想で、コワモテながら、実は、実直で、誠実な人もいる。

美しい言葉や人が、そのままでないことがあるように、きつい言葉やとりわけ美しいという外見でもない人に奇妙に味があったりすることもある。
 
また、人の話をすぐに信じ込む、人のいい人もいるが、これもすぐに信じ込むと頑なさに変わるので、決して、単にいい人とばかりもいっていられない。

それぞれの人がそのような人になったのは、それぞれの人がそのような人生を生きてきたからだし、もっといえば、生まれ育った家庭の空気や親やその前の先祖から受けついてきたものもあるだろう。
 
だが、人のすばらしさは、そうした持って生まれたもの、それがときにマイナスなものであっても、不具合のあるものであっても、それを特性や魅力に変えていくことができるということだ。
 
人はだれしも十全ではない。十全ではないから、人なのだ。それを、だったら十全でなくていいじゃないか、このままで! と、開き直ってしまうか、いやいや、だったら、少しでも十全に近づこうと生きるかで、その人の人生も魅力も、そして外見も変わる。
 
オレたちの世界で、よく監督同士、演出家同士で話になることだが、女優というと人は美形だと思ているが、実は大方は、決して美形ではない。
 
もっといえば、ブ女に見える人の方が多い。正確に表現すると、異形の人たちだ。
 
イケメン男優や名優といわれる男優でも、実際はしょうもない普通の奴ということも少なくないw その中で、魅力ある男優というのも、やはり、正確に表現すると、異形の人だ。
 
いわゆるつくられた美形ではなく、一歩間違えば、ただの人、ブ男、ブ女といわれかねないギリギリのところで、異彩を持つ人が多い。そういう人は会った瞬間に、こちらにピンと感じさせるものを持っている。

それがその人の個性だから、それを磨く努力と欠けている技術をしっかり身につけてくれればいいのだけれど、大方、異形の人ほど、異性関係や外野の声に弱い。
 
逞しく身になり、成長できる異性関係や外野の声を生きられればいいが、修練のない人は、つまらない惑いに弱い。

そこにあるのも、十全ではない自分を十全な自分にしようという眼、自分というものの実態を「見所の見」(花伝書)でしっかり見据え、開き直るでもなく、頑なになるでもなく、ただ、自分に欠けている何かを知り、十全であろうと日々を生きるかどうかにかかっている。

ここには、自分たちを襲った風評被害の現実から目をそむけず、それでも十全であろうと努力する人たちの姿がある。
 
 
写真は、風評被害の波に襲われた中通、須賀川の高橋製麺の高橋社長と地元須賀川の名産、キュウリにこだわり開発した「かっぱ麺」。風評、風評といっていても仕方がない。愚痴や文句ばかりいっていても何も変わらない。自分たちのいまやれることをやるだけですよ。そういう高橋さんの穏やかな語り口には、頭が下がった。
 
 
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