秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

新しい風、新しい波

映画や舞台の作品でも、それを演じる俳優でも、あるいはそれをつくりあげるスタッフにせよ。いいものをつくる、いいものを見せられるという、基本にあるのは、それぞれの仕事に対する規範だ。
 
もっといえば、原理原則といってもいい。なぜ、そうした仕事を選んだのか…に始まり、なぜ、そうつくらなくてはいけないのか、なぜ、そうした手順にこだわるのか、なぜ、そう見せなくてはいけないのか…という基本に帰る問いととりあえずの解答を持っているかどうかということだ。

とりあえずというのは、協働作業である以上、他者との関係性の中で、その解答を常に吟味し、検討し、検証し、確かめ、ときには、修正しなくてはいけないからだ。そうでなければ、もっといいものを…という次への努力と創意工夫がおろそかになる。
 
これでいいという答えはない。
 
だが、とりあえず、その解答にたどりつくために、こうだから…と言い切れなくてはいけない。

だから、映画や舞台に限らず、物事を前へ進める、なにかのプロジェクトや事業を創造するという作業の根本には、それをやる規範や原理原則がなくてはいけない。
 
企業や団体が定款を必要とし、理念を必要とするのはそのためでもある。いわゆる、組織における憲法であり、それに基づく、行動原理とルールだ。
 
人々は意識していないが、それを身体性にまで落とし込むという作業が社員研修であり、芝居でいえば、稽古、あるいはワークショップといえるものなのだ。
 
つまり、理念や行動原理となる論理性と理論がないところに、研修も、稽古、ワークショップも成立しない。
 
人は安直に、まず現場仕事を覚えればいいという。しかし、現場仕事をなぜ覚えなくてはいけないのか、どういう手順で現場の仕事を学ぶのかには、ただ、それだけをやれていればいいのではない。当初はそうだとしても、それが体系づけられた理論の中で、体系づけられた完成形の中のどこに位置しているのかを知る必要が出てくる。
 
営業せよ、経理にせよ、制作にせよ…だから、きちんとした体系を示すためにあるのだ。それをおろそかにするようでは、なにひとつ確かなものも、いいものも生み出せはしない。

今回の東京でのオリンピック開催決定。それ自体はいわば奇跡的な結果でもあり、前向きに取り組む価値あることだ。だが、IOC会長が苦言を呈しているように、そのコンセプトとはなんなのか。なぜ、東京なのか、なぜ、いまなのか…その問いを国内においても、国外においても、問い続ける作業を怠ってはいけない。
 
この国の人はお祭り気分が大好きだ。いろいろな社会的な課題や社会の歪みをそれでごまかすこともうまい。そして、そうした現実から目をそらせるものがあれば、理念も行動原理もないがゆえに、すぐに目をそらす。
 
ここには、自分たちが抱えている現実から目をそらさず、自分たちの生活の基本、あるべき規範と失われた原理原則を再生しようとする人々の姿がある。
 
 
 
写真は昨日の母校東京同窓会幹事会でのひとこま。変わるべき時期にきた同窓会を次に進めるためには、新しい規範という風、新しい行動原理という波がいる。それを共に模索しようとしてくれている仲間たちだ。

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