秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

福島という舞台

企画と制作したいものが、本業においても、福島支援事業においても、やればやれるほど、次々に沸いてくる。
 
福島支援事業では、資金のないところでこの2年半、がんばっているが、ここから先は、それなりの支援や応援、助成がなければ、実行できないことが多い。にもかかわらず、沸いてくる沸いてくる。溢れてくる溢れてくる。
 
しかし、よく考えてみると、どうしてそうも、こうした気持ちになるのか…次から次にビジョンが沸いてくるかといえば、やはり、人との出会いとつながりなのだ。
 
震災というものがなければ、被災や風評被害というものがなければ、そして、困難の中にあっても、そこから立ち上がろうとする人たちとの出会いとその思いを少しでも引き受けられたらという思いがなければ、これほどの短期間に、古い友人や仲間のように、深く結び合うことはなかったであろう人々との出会いとつながりだ。
 
そのひとりひとりの横顔や笑い顔…喜びの表情が見たいというだけの、それだけで、次々とああもできれば、こうもできれば、こんなことがやれたら…と思う。
 
若い頃、人の顔の見える仕事をやれ。人の顔の見える仕事でなくてはいけない…と教えられた。戯曲の構造物がいかに素晴らしくても、そこに人がいなければ、それは戯曲ではない…と教えられた。
 
フレームをつくれる人はたくさんいる。こうすれば、新しい形式が生まれると緻密な理論を語る人はいる。しかし、人と人が何かを切り結び、それによって、人が変化し、新しい何かに向って成長していく姿と、そこにある思いや涙や…ときにある、人としての小賢しさや狡猾さ…いい加減さといったもの、すべてを含めて、描ける人はそういない。

芝居も映画も、描かなくていけないのは人だ。人の生だ。もちろん、その表現形式はいろいろあっていい。アヴァンギャルドなものでも、リアリズムでも。だが、共通して、そこに読む人、見る人を揺り動かす、人と人の生の何かが描かれていなければ、感動はない。
 
この間、女優さんたちが大挙来訪してくれたとき、芝居というものの基本を語りながらいったことがある。

台本というのは二次元の世界に過ぎない。それを三次元の世界、四次元の世界へと飛翔させるのは俳優の仕事であり、俳優の身体性なのだ。
 
そのためには、俳優自身が本を愛し、役を愛し、自分のものにし、かつ、見所の見にしなくてはいけない。そのためには、脚本家は人を愛し、人を知り、人を信じ、かつ、見所の見を持たなくてはいけない。そのためには、監督や演出家は、人の生理を知り、俳優を愛し、俳優を信じ、そして、俳優を育てられる人でなくてはいけない。
 
つまり、オレにとって、福島は、ある大きな演出の舞台なのかもしれない。福島を舞台にして、国内、世界の観客に伝えたい思いがあるからなのかもしれない。
 
それが、次々に、芝居でも映画でも、NPOの事業でも、やりたいこととやらなければといことに気づきを持たせてくれている。