秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

37年ぶりの母校

13日夕刻から福岡に入り、高校の同級生たちと4年ぶりで飲む。直前の前日に連絡したのに、悪友全員がそろう。高校の頃からオレの身勝手さにつき合わされ続けているから、決して動じないし、慌てないw

翌日は朝から母校へ。37年ぶり。教育実習でいったときは、まだ、母校との距離がいまほど遠くはなっていなかった。感慨はあったものの、今回ほど、いろいろな感情に出会うことはなかった。
 
正門をはいってすぐの校舎の佇まいや当時のままの食堂や体育館…。なぜか、当時こんなに狭かったか…こんなに短かっただろうかと当時とは違う、通路の印象に驚く…。
 
だが、新しくなっているものの、オレがギターをかきならし、芝居をやった講堂は、木造の頃の空気感とほとんど変わらない…。ここの舞台で高校の3年間、芝居やコンサートをやり、卒業生になってからたコンクールに勝つための創作劇を後輩たちにやらさせた…

自分があの頃の生徒になったような気持ちになり、どこかに当時の先輩や同級生、後輩たちがいるような錯覚になる。だが、生徒の制服が当時とは違うので、その一方で、知らない学校にきているような気分も混じる、不思議な感覚。

生徒たちが式典の最後に歌う校歌を聞きながら…この高校のなにが変わり、なにが変わっていないのか…オレは、それをひとり心の中で探し続けていた。

創立記念日の記念講演。よかったのか、よくなかったのか。彼らがどう受け止めたのか、受け止められたなかったのか…その感触が判然しないほど、明確な反応がない。
 
講演は、はじめて3分くらいで、聴衆の質が見える。明らかに、これまで、相当、がっつり、こうした場面で締め付けられてきたのだろう…そう直感した。がちがちの管理教育が進んでいる。
 
新任の校長先生もそれには気づいているようで、もう少し、子どもたちへのタガを緩くすべく努力しているらしい。

ところが、女子生徒の反応は判然としていた。話に集中し、オレという卒業生に対する興味を隠さない。いまの若い男子と女子の違いが、ここにも明確に出ていたような気がする。
 
いまオレの母校は、地域の県立でも合格が難しいらしい。おそらく、オレたちの時代より、偏差値もあがっているのだろう。しかし、偏差値はあがっても、思考力や応用力、創造力のある子どもは減っているのかもしれない。
 
もともとの彼らにそれがないのではない。おそらく、それを育てようとしていこなかった。それよりも偏差値優先、進学先優先、品行優先できたのではないだろうか。

今回の講演のテーマ、自由であること…それはいみじくも、いまの母校に、教師にも、保護者にも、同窓会OBにも一石を投じる内容だったことは間違いない。それをどう受け止めるからは、彼らの自由だ。
 
最後に震災後、遅れた卒業式で語った、立教新座中学高等学校校長のあの有名な祝辞を紹介した。そして、オレの最後の言葉にこれを捧げた。
 
自分たちの時代の歌をうたおう。
自分たちが時代の風になろう。
自分たちが明日の風をつくろう。

その言葉を彼らに投げかけたとき、オレはやはり、まったく知らないこの後輩たちを、同じ時代に生きたあの後輩たちのように、いとおしく思っているのだ…ということに気づかされた…