秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

逆に感謝している

身近な人で、健康面や経済面、あるいは生活面で試練や苦難の中ある人の何人かはいるものだと思う。身近でなくても、自分自身があるとき、ある日、そうした境遇にならないという保証はどこにもない。

経済面や生活面の苦労というのは、苦しいものだし、みじめな思いにもなるだろう。だが、経済的金銭的な苦しみがあっても、その先に自分の目指す夢やステージがある人は、同じ苦しさでも、それを苦しみと感じないでいられるときがある。
 
自分の過去を振り返っても、学生時代から20代の終わりまで、とくに劇団をやっていた時期、芝居の上演のために周囲に借金もし、バイトで稼いだ金は稽古場代や劇場費に消えていく…という状態だった。だが、その生活の苦しさを、行き場のない苦しさと感じたことはなかった。
 
いまはもうなくなっているが、新宿御苑にあったアートシアター新宿の稽古場から阿佐ヶ谷北の自分の4畳半の風呂なし、共同トイレのアパートに帰る電車賃がなく、徒歩で歩いて帰り、腹が減っても冷蔵庫にバターピーナツ一瓶しかない…ということがあった。

銭湯通いで、遅い時間に帰る日が続くと風呂に入れない日が続くこともあった。流しに水をためて体を洗うということも、こうした業界にいるだれもが経験するようなことだが、当り前のようにやっていた。一人身ということもあるが、それでも、自分が不幸せで、みじめだとは思ったことはない。

独立して会社を始めて、23年。そこでもいいときもあれば、悪いときもあり、周囲や身近な人たちに迷惑や面倒をかけて、なんとかここまでやってきている。だが、よくいわれたことだが、だったら、会社をやめて、どこかの組織に就職や契約で働いたらどうだ?と問われて、いつもそれだけはないといってきた。
 
それも、ちょっと特殊かもしれないオレの仕事の中で、実現したい作品ややってみたい仕事があったからだ。自分の意志と決意で、それを目指すことが許される。その代償としての試練は引き受けていこう…そう思えていたからだと思う。
 
だが、健康面での問題は、気力が大事だとはいえ、重篤であれば、気力だけでは持たないつらさがあると思う。

経済的金銭的試練は、全部捨ててしまえばいいこと。つまらない見栄やプライドに縛られていなければ、乗り越えていける道はなにがしかある。だが、健康面だけは、自分の力ではどうしようもない。金銭だけでは解決できない。
 
実はずいぶん前から重篤な病気になった友人の快癒を願って、手を合わせている。仕事や福島弾丸トラベラーもあり、それにかかわるあれこれもあって、十分に友人のために祈願しているとはいえないかもしれないが、せめてできることは少しでも…そんな気持ちだ。

だが、そうした思いにさせてくれた友人に、じつは、オレは感謝している。

福島のことでも同じだ。自分の生活の大変さや仕事の苦労がいかに大きくても、また、福島への取り組みにとられる時間やコストが大きくても、いわきや中通り会津で出会った人たちのことを思うと乗り切ろうという気持ちになれる。それは、逆に、オレが励まされているからなのだ。
 
病気の友のために、いまこうして見えない力に手を合わせていられる自分であること、そうした自分にしてくれている友に、オレは逆に感謝している。

だからこそ、福島の人にも、友人にも、悔いや無念が残るいまを生きてほしくはない。後々、しこりやわだかまりが残るような道は進んでほしくない。
 
苦しさの中でも、互いをいたわり、それゆえに、自分を、自分のいのちを大事にする日々を歩いて欲しい。