秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

豊かさの獲得

人は自分自身が人間として恥部だと思っているもの、あるいは、明確な過去の過ちや悪意をあからさまにできない体質を本来的に持っている。

同時にまた、自分自身が受けた身体的、精神的ダメージや傷も、その原因や要因が自分自身の非ではないにもかかわらず、自分自身に落ち度や不足、よくないことがあったからだと、要因を自分のせいにし、自己否定に走ってしまうのも、それが人としての恥部であり、自分自身が招いた過ちだと思わされているからだ。

それほどに人というのは、何事か自身の過去の過ち、琴線にふれられると弱い。その弱さが、事実をねじまげる抗弁となり、抗弁だったものを正論とし、いつしか、歪曲された事実を真実と思い込むようになる。

バイアスのかかった目線でしか、物が見えなくなり、自分自身ではバランスのある正確な判断ができない…ということが起きるのだ。しかし、それも、自分の中、限られた自分世界の中で、ああでもない、こうでもないとごまかしを繰り返し、恥部や過ちを正視しようとしないことから起きている。自己否定でしか、傷を克服できないという切実さからきている。

物事の実相をみるために、物事を正視するというのは、恥部や過ちをなかったことにすることでも、また、それを自己否定の対象とすることもでない。
 
自分自身という眼からではなく、あまねく人々の視線から見て、どう見えているのか、どう受け止められているのか、そして、なぜ自分自身が、それらを恥部や過ち、あるいは自己否定の対象としているのか…それを探ることでしかない。

オレ自身、特別な教育を受けたわけではない。しかし、戦後民主主義というもののいい加減さ、左翼というものの非現実主義を自然と学んだし、また、戦争責任をまったくとらず、ぬくぬくと戦後政治をつくり、かつ、利権をえてきた政財界のしくみも、言葉だけで、利権にむらがり、本気で腹を切る気もない、バイアスのかかったアホ右翼も知った。

きれいごとの正義ばかりを口にし、実際には、選挙のために、いくらでも調子を合わせ、なにひとつ行動できないへたれ政治家には何人も会っている。あるいは、口角泡を飛ばし、己の主張の正しさばかりを押し付け、傲慢きわまりない政治家や有力者といわれる人間はヘドがでるほど見てきている。

だが、そうした人の風景にいつもあるのは、己の恥部や過ちを正視できない人としての弱さだ。。自己否定の気の弱さを悟られまいと威勢をふりまくあわれな役者ばかりだ。
 
特別な教育がなくとも、経験がなくとも、人は、自分を正視するという勇気をもてば、いくらでも豊かさを獲得できる。