秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

福島から世界に問う

Smart City の取材とデータ収集で福島県内をまわって、大きく実感させられていることがある。
 
それは、急速な高齢化と高齢化による農業の限界性だ。いまさら…そう思う人、そう言葉にする人は少なくないだろう。
 
オレ自身もいまさらながら…と思わないわけではない。これまで、限界集落化が国内で一番進んでいるといわれる徳島も取材し、その地域で高齢者向けの生涯学習センターで講演もした。
 
作品の中で高齢者の虐待を加害者の単なる悪意としてではなく、それまでに至る家族の問題、家庭の親子や夫婦関係、地域、社会の問題という新しい視点で社会映画化もしている。
 
そうしたことを背景に、徳島のような地方での限界集落における高齢者の孤独死とオレが住む港区にもある、高齢化団地における孤独死の問題を扱う作品の企画もつくっている。
 
高齢者の抱えている現実にまったくの無知というわけではない。だが、地域という目で、新しい農業という視点で、この問題をみつめなおし、現実に農業に関わる人たちと話をしていると、どうしてここまで政治が、地域行政が農業と農業の高齢化に無策だったのか…ということに驚きと落胆と失望を禁じ得ない。

これまで、オレたちは都市的なものを理想とする生活文化の中に生きてきた。パリやニューヨーク、ミラノには憧れを持っても、そこのイケた食材や商品、場合によってはファッション素材を提供しているパリ、ニューヨーク、ミラノ郊外や遠隔の供給地で、農水産業を支えている人々の暮らしや日常にまったく関心を持ってこなかったのだ。

その無関心が政治家にも、地域行政にも、農業、林業水産業及び関連する生産加工業に対する無関心と無頓着、無策を許してきた。

これは決して、福島の問題ではない。この国の問題であり、いまや世界中の食材が世界に流通する時代に、世界の問題でもある。

ひるがえって、舞台や映画の根本にある、伝統芸能や興行、遊興の文化はもともと都市から生まれたのではなく、地方から生まれている。もとはといえば、都市というのは、あくまで観衆を集めるという消費の場であって、創造の場ではかった。生産の場ではなかったように。

オレが福島にこだわったのは、震災、津波原発事故被害及び風評被害という幾重にも重なる試練があることと、これまでの辛酸をなめさせらて続けた福島の歴史が大きいが、それと同時に、この国が、世界の都市が捨ててきた、地方の現実を顕著に、そして先鋭的に訴えることのできる場でもあるからなのだ。
 
Smart City FUKUSHIMA MOVEは福島を通じて、地方というもののあり方、地方が支えてきた農水産業のあり方、資源のあり方、エネルギーのあり方、そして、文化のあり方の根本を、世界に問う場でもあるのだ。