秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

種というみあげ

人が撒いた種がどのように実を結ぶか…それに期待することは意味がない。どのように実を結ぶかは、その人それぞれの自由だからだ。
 
撒かれた種を素通りする者もいれば、種を受け止めて、育てていく者もいるだろう。育てながら、やはり、この種は自分といういのちのあり方には不要だった感じるときがあるかもしれない。
 
あるいは、この種を自分なりにアレンジして、換骨奪胎いろいろな種を自分といういのちに取り込み、撒かれた種からは想像もできなかったほど、大きな実りを生み出す者もいるに違いない。
 
だが、それは種を撒いた人の意志でもなければ、力でもない。あくまで、その人それぞれが持つ、いのちの力であり、いのちを生きる、当人の自由がつくる未来の姿だ。

母校の講演のあと、小倉のオヤジに会いにいった。姉との二人暮らしが続く中、身近な者同士だからこそ、言葉にできない不満や思いがそれぞれにある。活発な姉は遠慮なくそれを言葉にすることができるが、大正生まれのオヤジは、年齢のせいもあるが、言葉を費やすことを潔しとしないところもある。

面倒をみてもらっているという負い目もあるから、思い切ったこともいえない…オヤジはそういう教育の時代にそういう種を撒かれ、人生をダメにしていく親や兄弟たちの姿をみて、実に堅実に、その種を警察官という職業をまっとうすることで、ノンキャリアながら警視正に準ずるいう実りをえた。

偶然だった。姉が教会長をやっている教会で、以前、そこの教会長だったTさんが退職して、震災の講演にやってくるという。実は、いわきへ支援物資を届けていた当初、小名浜にいた、Tさんに何かあったら協力を…とお願いしにいったことがある。
 
現実には、お世話になることはなかったのだが、いわきのまだ避難生活が続いてる最中に出会った人間同士が福岡の小倉というまったく違う場所で会うというのも不思議なものだ。

震災の講演の前に、せっかく来たのだから、一言あいさつを…ということになり、いまの福島の現状と戊辰戦争以後福島が味わってきた歴史的差別と辛酸の歩みを紹介した。会津がなぜ、これほど長州を恨んだのか…。また、そうしてしまった長州の恨みは何だったのか…

憎悪の連鎖では、よりよき明日は拓けない。それを断ち切るのはそれぞれにある痛みの種を、痛みと悲しみの中で、共にあることの花に変えるしかないのだ。

Tさんの講演の途中、自宅にいるはずのオヤジが姉のそばにきて、じゃ、先にかえります…と声をかけた。来るともいわず、まさかオヤジがいるとは思わなかった。
 
母校の創立記念日に招聘されて講演をする…ということは、オヤジ世代にとっては誉れだったのだろう。そして、この小倉でも講演ではないが、少しまとまった話をすると聞いて、講演するオレの姿を見たかったに違いない…そう思った。
 
オヤジは、自分の撒いた種がいまどういう姿になっているか…東京にいるオレの姿を知らない分、それをほとんど知らない。それを見にきたのだ。オヤジは、オレが高校生になってから、オレの人生についてあれこれいったことはない。
 
大学受験に失敗して、これから先どうするかと落ち込んでいたときと意外にも大学に合格したときに、前者では、浪人生活を選択できる心のゆとりをくれ、後者では、大学へ進学する自由があることを伝えてくれたくらいだ。ふと、自分も息子に同じようなことをしてきたな…と思った。

昼、小倉にもある福岡の有名料亭で姉と姉のスタッフの方たち、Tさんとちょっと豪華なランチをして、再び、新幹線で福岡へ。福岡空港からの方が便が多い。高校に手配してもらったチケットは変更がきかないから、結局、講演でいただいた謝礼は帰りの飛行機代に消えたw
 
だが、人が人に撒く、この種の重みを大きなおみあげにしてもらった気がした。
 
立教新座中学高等学校校長の言葉…

海を見つめ。大海に出でよ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来へ向え。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白な帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。教職員一同とともに、諸君らのために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネによる福音書