秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

事に当たる

事に当たるという言葉がある。うまいことをいったものだと思う。
 
何事か自分のやりたいこと、やらなくてはならないと思うことに着手していくと、次々にやらなくてはいけないこと、片付けていかなくてはならないことが沸いてくる。
 
まさに、当ってしまったのだ。事に当たると、自分ではなく、向こうから、これもあれもと沸いてくる。それをひとつひとつ片付けていくと、また、次のその次というのが現れてくる。
 
もちろん、自分の思いや願いがあるから、片付けておかなくてはいけないことがよく見え、次はこれを…というようになる。これに取り組もうという意志を持ち、そこに手をかけたときから、ひとつのビジョンに向って、方向に向かって、次々にいろいろな事象と出くわすことになる。
 
つまり、事に当たるというのは、一つ事を片付けるということではない。当ってしまった事を引き受け続けるということだ。

世の中には、あれもこれもいろいろに手を広げる人がいる。人の話ではなく、ある意味、オレもそうだ。映画もやれば、舞台もやる。シンポジウムもやれば、社会イベントもやる。
 
果ては、福島の支援協働事業を初めてからは、あるときは、イベントプロデューサー、あるときは、地域新生のためのプロジェクトプランナー。SNSをつくる事業ではネットワークプランナーであり、プロデューサーということになる。
 
応援バスツアーでは、旅行エージェントになり、ついには添乗員なってしまう。地域新生ITセミナーではコーディネーターになる…今度始める、MOVE放送局では、プロデューサーであり、コメンテーターであり、アンカーマンになるだろう。
 
果たしてその実体は…だが、手を広げている気はない。根底にあるものがひとつしかないからだ。

社会を変える意志を結集し、それがシンボルとして人々の眼にふれる、しくみをつくること。それを、次の世代の連中にゆだねること。それにつきる。

宇宙空間をさまよう彗星のように、宇宙の塵や隕石にぶつかりながら、削りとられ、粉砕され、最後に光となって消えていく。だが、あのはやぶさのように、ひとかけらの何かを次の連中に渡せれば、それでいい。

事に当たるとは、そういうことだ。