秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

下り階段をのぼれ

1967年公開の古い映画だ。アメリカンニューシネマの時代につくられた、暴力やセックス、愛憎劇とはちょっとちがった硬質の作品。

当時、好きだった個性派女優、サンディ・デニス主演の学校を舞台にした映画。社会教育映画作品といってもいい映画だが、ハリウッドも邦画も、かつては、そうした映画をきっちり劇場公開映画にまで仕立てる力があった。

ある学校に赴任してきた女性教師が、その学校の慣習としてある生徒管理のルールに疑問を持つ。問題児とされている生徒と向き合おうとしながら、学校の慣例、常識といったものにぶつかり、また、クラスに自殺者まで出て、教師を辞職しようとまで考える。

だが、生徒たちに語り続けてきた、彼女の思いは、いつか、ひとりの生徒の中にしっかり受けとめられていた。教師をやめると告げようとしたそのとき、ひとりの子どもが自らが自分たちの学校生活のあり方、いまの管理教育のあり方に疑問を持ち、行動を起こそうと生徒たちに語り始めるのだ。
 
タイトルになっている「下り階段」というのは、上り階段と下り階段に分けられ、教室を移動するときに、下りのために使う階段のこと。これを昇ってはいけないという決まりになっている。だが、映画のラストで、女性教師は、自らこの規則を破り、下り階段をのぼっていく。

物事の改革、変革というのは、一長一短には実現しない。多くの挫折ととん挫、中断…その中で、改革、変革を志す者が脱落する…ということもある。
 
だが、大切なのは、語り続け、問い続けることだ。1000人に語って、そのすべての人に改革や変革の熱意が理解されることを期待してはいけない。100人の人が受け入れてくれるはずだと決めつけてもいけない。
 
たったひとりでもいい。自分の思いを受け止めてくれる人がいればいい。そう思い定めることだ。そして、その受け止めも、そのとき、その瞬間でなくていい。いつかそのだれかの人生の中で、あ、そうだったのか…という気づきとなればいいのだ。
 
教育とは、所詮、種を撒くことでしかない。それをそのとき自分の思う通りに育てあげ、狩りとろうとするから、不遜が起きる。その種がどのように成長し、枝を伸ばし、葉をつけ、どのような花を咲かせるかは、その種を育てた、その人の自由でなければならない。

その当り前のことがいま、大人にも子どもにも、被災地復興においても、できていないし、理解されていない。下り階段をのぼれ。