秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

まやかしの日常

聡明な人たちは気づいている。ぼくらは日常を生きてはいない。

それは、日常というものが実は存在しないからだ。


聡明でない人も、直感として、本当は察知している。

日常と思い込もうとし、思い込むことによって、初めて日常が成立し、維持されるていることを。思い込むことによって、世界からはじき出されずに済んでいることを。

日常とは、ぼくらがかつて、信じていたような何か普遍的で、揺るがない価値意識に裏付けされて、そこにあるのではなく、みんなで寄ってたかってつくり上げている、のようなもの幻想に過ぎない。

日常という概念を成立させているひとつひとつを精緻に点検していけば、それらが何一つ確たる保証・確証の上に存在していない、「まやかし」であることをぼくらは知ることができるだろう。

「まやかし」としての日常だからこそ、ぼくらは、日常を揺るがす日々の事柄に対して、途轍もなく鈍感でいられる。日常を否定する非常識や不正や悪行、規範からの逸脱を見逃すことができている。つまりは、日常を揺るがすものに、高い適合性、適正を身に付けてしまっているのだ。

日常というものが、捉えどころのない、あいまいで、根拠のないものとわかっているから、逆に、日常を揺るがす非常識や不正、悪行にもじつに寛容になれる。

オレオレ詐欺の被害が、投資・儲け話詐欺事件が拡大するのは、「まやかし」としての日常をぼくらが生きていることの実証なのだ。

ぼくらは、非常識や不正、悪行をパッシングする。事件や事故に強い興味を示す。そして、非難や批判、文句や怒りをぶつける。だけど、決して、そうしたものを生み出しているものの正体や実体、本性をみつけ出そうとも、捕らえようともしない。

それに強く異議を唱えることも、変革しようともしない。

昨日外国人労働者の受け入れ枠拡大の政府案が、これまでの重要法案と同じく、白紙委任状の形で強行採決された。

ここでも、政権と癒着した民間の参入を許すという名目で人材派遣会社や今後参入する民間企業から多額の金が政権や政党、政治家に流れる。

野党を含め、政治家や政党が信じられない時代の「まかやし」の日常の中で、ぼくらは、またいつものように「まやかし」の政治に無言であることで、自分たちの日常を手放していく…。










自問と反省

ぼくは中学生の頃から、大人たちが決めたルールや決まり事といったものに一言二言、場合によって三言以上意見をいう癖があった。それを疑問も持たず受け入れている同世代ともうまくはやれなかった。

唯々諾々と大人の考えや意見に従うという子どもではなかったのだ。

それがいいことだったのか、よくなかったのはわからない。しかし、この歳になっても、それが続いているということは、たぶん、それでよかったのだろう。少なくとも自分の生き方の矜持としては。

さすがに、それなりの歳になって、協調とか、調和とか、同調するとかいったことは形ばかりできるようになってはいるが、それは目的や目標を形にするには、やむなく必要とされているからだけであって、そんなまどろっこしいことをやらないで事が成就するなら、そうしたい思いは山々で、実のところ、その思いの方がはるかに勝っている。

だから、若い頃は賛同する仲間も多かったが、叩かれることの方が多かった。

開かない扉をこじ開けるには力がいる。若いからこそそれができる力がありながら、若いからこそ、それを発揮させない壁や障害が圧い。

それなりの年齢になれば、多少は巧みになり、行く手を阻む圧力にも屈しない、知恵やしたたかさも身に付けるが、果たしてそれでいいのかという疑問は逆に大きくなる。

少なくとも、若い頃からまっとうに開かない扉を開けようとしてきた奴なら、そう思うはずだ。同時に、なかなか開かないことで、自分自身のこだわりを見つめ直し、ただやみくもに、こじ開けるばかりではない、別のやり方に知恵を絞る人間もいるだろう。

だが、いずれにしても、閉じた扉というのは、容易に開くものではない。

多様性や多様性を受け入れるための寛容さが戦争や紛争、対立を越える力、方法としていわれているが、社会の行き詰まりを突破するには、変化が必要とはいわれているが…

残念ながら、己を否定するもの、己と異なるものを受け入れず、多様性とも寛容さとも逆の、より扉を閉じる方向へ、世界もこの国も、人々のマインドも進んでいる。

社会の行き詰まりを突破するといいながら、ありきたりで創造力のない過去の経験に依存した改革まがいの改革を叫ぶのに精いっぱいという連中はまだまだ世の中の中心にいる。

確かに、多様性を生きるのは容易ではない。かつての言葉を使えば、自己批判なしに多様性を受け入れることはできないからだ。自分の意識、それが生む思考の欠陥や内なる排他性に気づきを持つのは並大抵のことではできない。

変革も容易ではない、独創性や想像力が必要な上に、形にできる力がなければ実現しない。改革改革といいながら、いつまで経っても堂々巡りの世の中のありさまを見れば一目瞭然だろう。

閉じてばかりいる世界で、学習やそれによる想像力が養われるものではない。同調性の強い人間ばかりが生まれれば、思考の活力が個人からも集団からも失われて不思議はない。

今日、何をしたいのか、さっぱりわからない内閣が発足した。ひとつだけわかるのは、内部固めの人事。それだけだ。だが、政権ばかりを非難していられるのか。いまのぼくらがつくっている社会や組織がそうではないのか。

ぼくらはもっと、自問し、反省し、学ぶべきだ。

















忘れてはいけない感動と課題

あらかじめ約束されていたかのように、ぼくはまた東北のいろいろな人たちと、表に見えていない震災後の現実と再び出逢っている…

前回の弾丸ロケハン、それに続く撮影。そして今回の弾丸ロケハン。あの震災のときと同じように、回を重ねる毎に、見えていなかった現実、人々の言葉にしない向こうにある思いの形を垣間見させてもらっている。

取材で大事なのは、こちらの投げかけに応えてもらっている言葉やそのときの表情ではなく、話の中でふと飛び出すその人自らの言葉。そこにある断片的な思い、普段の会話ではみせない表情、止まったような瞬間の空気だとぼくは思っている。

それを感じるためには、こちらから、先入観や思い込みなしで、歩いていく。そこにいく、こちらから出向くということが大事なのだとつくづく思う。

今回も取材対象のみなさんと取材以外のこともいろいろ語り合った。

取材対象でないのに、取材のように出逢った人もいた。駅前旅館のおかみさん、タクシーの運転手さん、40年創業だが、海の家のように夏だけが盛りで、あとは客がいなと笑うレストハウスの若女将。漁師経験もある、×3のいまは無職のおじさん…といってもぼくより二つ下w 

言葉は交わさなかったが、朝、三陸鉄道で学校へ通う高校生や中学生の無口な後ろ姿。道の駅で、行くと必ずレジをやっている地元の女性たちの姿。夜遅い時間のローカル線で帰宅する高校生…。ぼくともう一人若い青年しか乗っていない最終ひとつ前の車輛を運転する運転手さんの姿…。

昼間取材以外のことで語り合った、地域の現実がそこに重なり、いろいろな思いが心を巡った。

今回の作品づくりは、なにかをぼくに教えよう、伝えようとしているのかもしれない。そして、それを次の作品に生かせ…そういわれているような気がしてならない。

東北3県は、ぼくには無理。そう思っていた。福島に集中したのは、原子力災害の直接的な影響があり、それはこの国の地域のあり方を考えるはずしてならない課題と考えていたからだ。

だが、自力不足で無理だと思いっていた、岩手、宮城にかかわってみると、自力不足などといっている場合ではないと教えられる感動をもらう。見てしまうと無視できない課題を突き付けられてしまう。

それは決して、岩手、宮城、福島に限ったことではない。この国の地方というものにある、忘れてはいけない感動と課題なのだ。

また、いろいろな学びをいただきました。ありがとうございました。











ありがとうございました。

ぼくらは常に主役ではない。

ぼくらの仕事は、悲嘆や恩讐や後悔や無念…それらを乗り越え、回復や挑戦へと向かい、喜びや感動、新しい世界と出逢う人々の姿を知り、学び、その人生の傍らから、そこにある人の思いを整理し、伝えやすい形とし、そこから見える地域や社会、国、世界のあり方を自らの問題、課題として問いかけることだけだ。

だから、ぼくらの仕事は、人々のどんなに近くにあっても、常に脇役であり、お手伝いさんであり、観察者、分析する人であり、どこまでいっても所詮、当事者ではない。

だからこそ、ぼくらの仕事は謙虚でなければならないし、脇役としての役回りに忠実でなければならないとぼくは思う。そのために、学ばなければならないと思う。語るのではなく、耳を傾けなくてはいけないと思う。

脇役としての役回りに不遜な態度やふるまいに、ぼくがスタッフや仲間を厳しく叱責するのは、そのことをないがしろにした、されたと感じたときだ。人が心を開き、語れなかったこと、言葉にできなかったことを語るとき、それにふさわしい脇役でありたい、脇役であってもらいたいとぼくは思う。

自分の都合が先にあってはならない。それはぼくらの映画や舞台、イベントといった仕事に限らず、社会において他者とかかわり、何事かを形にする、伝える仕事や取り組みに決して失ってはならない矜持だと思うからだ。

イベントや舞台、映画の制作が終わると、ぼくの心にはいつも風が吹く。その風が何なのか。毎回それを確かめるために、ぼく、ぼくらは仕事をしている。

当事者の喜びを喜べても、ぼくらは当事者ではない。その輪の中にはいられない。いや、いてはいけない。喜びは彼らのものだ。

その風の瞬きをしっかり受け止めて、ぼくらは次に歩み出すのだ。その積み重ねで、もしかしたら、地域や社会、国や世界が少しだけ変わるかもしれない。人のあり方、つながり方が生まれ変わるかもしれない。何かを伝えられるかもしれない。

そのかすかな可能性に賭けて、人知れず、ぼくらは人を撮り続ける。

それができるのは、出逢いが感動をいつも運んできてくれることを知っているからだ。

今年の夏も相馬、いわきを始め、東北の美しい風景と人に出逢った。2018年のお盆。貴重な出逢いと時間、ありがとうござしました。







我なすことは

我なすことは我のみぞ知る…そう言葉を遺したのは龍馬だ。

何につけ、これを実現しよう、達成しようと心に誓った思いは、そしてその行動は、余人に理解できるものではない。それが社会的なことであればなお、真意や思いの誠は容易に理解されないものと相場が決まっている。

簡単なことだ。達成したときの姿、世界がその人にしかビジュアルとして見えないからだ。

そして、ビジュアルを実現するために、いまここで何が必要かが余人には見えないからだ。見えないから、ここではこう行動しなくてはいけない、ここではこうしたふるまいでなくてはいけない…そのひとつひとつが見えてこない。

ビジョンは他者が容易に共有できる代物ではない。共有できるのは、ようなものとしての曖昧なものでしかない。

金や物といった即物的なものであれば、難しいことではないが、そうではない無形のものであればあるほど、思いは人の理解から遠くなり、なぞるようなわかられ方しかしないものだ。

ぼくが仕事と社会活動の準備と実施で時間に追われている最中、翁長沖縄県知事が亡くなった。

沖縄返還時の主席を含め、その後も沖縄県知事で翁長知事ほど明確に沖縄の実状と歴史を国政にぶつけ、対峙した県知事はいなかった。

利益誘導で口封じを図る国の沖縄対策に迎合するか、迎合しながら、中途半端な沖縄の主張しかできない弱腰知事が大半だった。確かに、当時、沖縄は、特別措置法に頼らなければ、県民生活を維持できない経済の弱さがあった。

それではいけない。そう考え、沖縄の自立を明確にし、本土との対等の関係を正面から主張したのは、翁長氏だけだった。

政治手法には弱さも、弱点もあったと思う。だが、戦後73年、薩摩の琉球支配からは150年以上、辛酸をなめさせられてきた沖縄が未来へ向けて進む自立のビジョンを提示したのは翁長氏だけだ。

国、安倍政権との対立ばかりが話題になってきたが、翁長県知事になって、那覇空港の世界ハブ空港化など、経済対策でも大きな手腕と実績を遺している。

二枚舌が当たり前の政治の世界で、10年後、20年後その先の沖縄のために、いま県民が何をしなくてはいけないか、日本国民が沖縄をどうとらえていかなくてはならないか。それを一貫して唱え、未来の沖縄、引いては、この国のあり方を鈍牛のように、休まずたゆまず糾し続けた足跡だった。

それは、この国のすっかり失われている政治家が国民に示すべき良心の姿だったとぼくは思う。









とどまらない予感

東北でも北に行くほど、訛りが強くなる。

その岩手訛りを聴きながら、この音を直に耳にするのは、久し振りだなと心の中で、ぼくはつぶやいていた。

相馬からトンボ返りで、飯田橋KADOKAWAホールで国指定無形文化財岳神楽、別名早池峰神楽の会長と打ち合わせをしていたときだ。

岩手県を初めて訪ねたのは、20年以上前、衛星サテライト放送で全国の地方に取材するヒューマンドキュメントのレギュラー番組を制作していた頃のことだった。

花巻、北上、遠野、釜石、宮古を回ったのだが、花巻は初夏と冬の取材で2回、ロケハンもいれると3回いっていることになる。

宮澤賢治生誕100年の記念作品で、大好きな賢治がやれるというので、勇んで引き受けたし、ため込んでいた賢治の知識をぶつけた。

遠野は柳田国男の『遠野物語』で有名だが、井上ひさしの『新遠野物語』も秀逸で、演劇出身のぼくは、遠野の取材というだけで燃えた。

祭事や祭礼を起源とする演劇は民俗学文化人類学と深くつながっている。そのため、学問としての歴史的検証では地理・考古学・古代史まで関係してくる。

ぼく自身は演劇専攻ではなかったけれど、演劇人の常識として、学生の頃からその類の書籍をずいぶん読み漁っていた。能楽を知りたいというのがその発端だったのだけれど。

歌舞伎、能、狂言など古典芸能では当たり前のことなのだが、いま演劇の俳優養成に日本舞踊などはあっても、神楽舞など地域芸能の所作や踊りを取り入れるところはほとんどないといっていい。知識として学ぶことも少なくなっている。

地域共同体が健全に機能しているかどうか。それは地域芸能を見るとすぐにわかる。参加世代の分布がうまくいってるか。地域の伝統的な産業とつながっているか。
地域の氏神など神仏を祀る祭事が維持されているか。学校など地域の教育機関と連携しているか…といったことだ。

残念ながら、それらは弱くなっている。地域芸能が象徴するのは、地域文化だ。これが弱くなると、地域の中での世代分布の広がり、伝統産業の維持、地域教育の枠組みが維持、持続できなくなる。

3.11以後、東北の人々が伝統文化や地域芸能の復活に取り組んだ。意識しているかどうかは別にして、それは地域再生を目指す上で重要な取り組みだったのだ。

この国の地方が弱くなっている。そういわれて、もう何十年にもなる。それは同時に、この国のいろいろな意味での「強さ」を失っていく時間といってもいい。ぼくはそう思っている。

明日から3日ほど、その失われたものを取り戻そうとしている人たちに会ってくる。ぼくの2020構想は、もしかしたら、福島だけでとどまらないかもしれない…そんな予感を抱きながら。
















































仮説の証明

人というものの謎を解く。それがぼくらの仕事だ。

だが、人というのもの謎など解けるものではない。なのに、解けない謎に果敢に取り組み続ける。徒労ともいえるその命題から逃れられない。それがぼくらの仕事の姿だ。

仮説に基き、一定の答えを探り当てたとしても、必ずそにには、「そうではない」別の影が付きまとう。影がよぎる。そこでまた仮説を見直す。それがぼくらの仕事のやりきれなさだ。

亡くなった物理学の英才ではないが、宇宙は美しい数式でできているという仮説への確信が、彼に限界を突きつけたように、ぼくらの仕事は、数式を割り出すだけではなく、その数式の、仮説の検証を実験によって証明しなくてはいけない。

仮に、そこで証明できなかったとしても、それが問題ではない。仮説に固執するのではなく、実験によってもたらされた失敗や敗北から仮説を修正、変更、成長させることなのだ。

ぼくはそれを演劇で学んだ。いや、演劇そのものが仮説と実験、検証、そして仮説の連続なのだ。なぜなら、そこにあるのは生身の俳優の身体性であり、舞台という同時間性の空間の中で、時間と記憶を操り、謀る芸術だから。

演劇で解答は数式の姿では表れて来ない。だが、身体や空間、時間といった言語化できないもので数式を浮かび上がらせる。

それが仮説を証明するとき、人は、感動や共感を言葉ではなく、体感として獲得する。そう。それは作り手から与えられるのではなく、観客、あるいは視聴自ら獲得するのだ。

与える演劇、与える映画には、それがない。それができない。仮説と実験、検証の振り子を内包する演劇、映画にはそれができる。

観客、視聴者にそれを通して、人とはなにか、世界とはなにかを自ら想起させるからだ。

いまこの国の演劇や映画が弱いのは、ぼくらの国からこの仮説、実験、検証の振り子が奪わているからではないかとぼくは思う。

仮説をいうことが、はばかられ、検証する能力が失われ、実験もなく、荒唐無稽な数式が正しいもののように流布される。表層的な表現や芝居じみた言葉が感動や共感になる…

それでは、人の生活すらも見えなくなって不思議はない。人というものの謎に向き合う姿勢がなければ、人の生活も見えてはこない。






ポケットの小銭

立場(肩書き)が人をつくるとかつてはいわれた。

ちょっと頼りなく、あぶなかっしく思える人材でも、それなりの要職、責任を伴う肩書きを与えると、その役分に見合うように成長していく…というものだ。

確かに、自分の青年期から中年期を振り返ると、当たっていると思う。

先輩たちは、さほど実績もないぼくのような生意気な人間をおもしろがり、責任ある役職や重要な役務に就かせた。芝居でも、映画でも、その他の仕事でも。その結果、これまで見えてないかった世界や視野、見識を与えられてきたと思う。

独立して事務所を持つとそれはさらに広がった。むろん、その役分に十全に、あるいはそれ以上に応えようと励んだ結果だ。苦しかったことの方が多く、楽できた記憶はわずかしかない。だが、それが学びを深めさせてくれた。そして、それは喜びともなっていく。

まさに立場(肩書き)がそうさせたのだ。だが、勘違いしてはいけない。

ならば、立場(肩書き)さえ与えれば、だれもがそうなれるわけではない。逆に、立場(肩書き)を与えられたことを自分の優秀さと勘違いして、驕慢に、傲慢に事を進め、大失敗をやらかす奴もいる。

部下や後輩がひどい迷惑を被ることもあれば、組織や集団、チームがガタガタになることだってある。支持や応援者を、客を失うこともある。

果たして、その違いは何なのだろう。

いうまでもない。立場(肩書き)を十全に、あるいはそれ以上に生きようとできているかどうか。まっとうに、その役分を果たせているかどうかは、自分の評価に固執しているかどうか。立場や肩書を利用して、自分の価値を実体以上に見せる虚栄心や体裁に囚われているかどうかで違ってくる。

自分への固執や我執で役分はまっとうできない。ときとして人に対して厳しく説諭することもあるだろう。耳障りなことも口にすることもあるだろう。嫌われることだってないわけではない。批判や中傷を浴びることもあるかもしれない。

だが、その本質に自分がよく思われたい、自分の評価を上げたいという邪心さえなければ、与えられた役分はまっとうできる。なぜなら、役分を果たす対象は、自分ではなく、他者にあるからだ。

ぼくの場合、観客であり、視聴者であり、イベントの参加者であり、協力してくれる人々であり、作品やイベントの向こうにいる、顔も名も知らない不特定の多くの人々だ。

自分よりも外側、より外側、より遠くにいる人たちを基準として、役分に取り組めるか、まっとうできるか。それが与えられた立場(肩書き)が人を成長させる大きな力だとぼくは信じて疑わない。

自分がよければいいのでも、自分の組織や集団が都合よくいけばいいのでもない。それは偏狭さ以外の何ものでもない。

世界基準と時代に逆行し、アメリカファーストに固執する大統領とその威を借る人たち。自分さえよければいい人の集団に組みできるのは、与えられた立場(肩書き)が国民から与えられているものだということをすっかり忘れているからだ。

国会の承認もなく、国民の税金を打ち出の小槌と勘違いし、ポケットの小銭のように、好きにつかまくる。それができるのは、立場(肩書き)を与えてはいけない、能力に欠ける人たちだからだ。















センス

会話としての外国語を習得することと文学や評論を外国語で学ぶことには大きな違いがある。

文学や評論を外国語で学ぶのは、外国語を習得することが究極の目標ではない。外国語の習得がなければ、海外の文学や評論、その他を理解することは、もちろんできないけれど、重要なのは、単に意味がわかるということではなく、意味の向こうにある世界を知り、理解することだ。

すっかり英文学から遠くなったいまのぼくには、学生時代読んでいた英文学書は、いまでは即座に読めなくなってしまったが、あの頃知った、書籍に描かれた世界感、論理や志向はいまでもどこかに根付いている。


人の日本語の文章を読んでいて、「ああ、この人はシェークスピアを原書で読んだことがる人だな…」とか、「聖書を原書で読んでいるな」と気づかされることがたまにある。あるいは、この人の文章は、英訳しやすい文体だなと気づくことがある。

外国語の文章を学ぶということは、母国語の修練になる。日本語にするときに、言葉の海から、その世界感にもっともふさわしい日本語、文体、語句、文章を選択する必要があるからだ。文章力のない人の翻訳文はとても読みずらい。意味はあってるのに、理解するのに時間がかかるのだ。

外国語で描いている世界を本当には理解してないからだとぼくは思っている。原書に当たった方が腑に落ちるということがままある。

外国語の話しをしたのは、ぼくらの社会が「意味」だけしかわらない時代を生きているのではないかという気がしているからだ。いや、正確には、即物的に、「意味」さえわかればいいという世界を生きているのではないかと直感するからだ。

物事の意味はわかっても、それが何を語っているのか、何を示唆しているのか、何を示しているのかの理解へ頭が働かない。そして、表層的な意味の解釈をめぐる、不毛で生産性のない議論ばかりをしているのではないか…。そんな気がしているからだ。

世界や社会の姿、その本質について考えず、いまこうなっているという現象だけを知る事で、意味を理解したと身勝手な解釈をし、それらが示す本当の意味を理解しようとはしていない。そのセンスが失われてきている。

それは物事の真実を見極めることができなくなってきているということだ。それが、これほど社会規範に反する政権、中央官僚機構、行政府、司法の横暴を許している。

かつてなら、ダサダサだったものが、センスのある顔をして堂々と社会を世界を意味の理解もなく、闊歩している。








チコちゃんに叱られるの先

NHKの週末の高視聴率番組「チコちゃんに叱られる」。ご覧になっている方も多いはずだ。

NHKらしく、子どもから大人まで、だれでも楽しめる教養番組だが、この番組、じつは、世の中の常識とされているものの原理、原則、基本を問いかけ、常識ゆえに素通りしていた原理、原則、基本に気づかせることでおもしろさを演出している。

人は、「常識」といわれているもの、されている事柄に、じつに弱い。

弱いといういのは、それが「常識」とされたときから、なぜ、それが「常識」とされているのか、自分自身、それをどのような根拠で「常識」としているのかの問いを喪失してしまうからだ。

つまり、生活の中で、ごく当たり前としていることの始まりや当たり前とされている背景、要は、原理、原則と根拠を棚上げにしてしまい、問うことも、改めて考えることもしなくなる。

「そんなこと、いまさら、わかり切っていることだろう」。そう思い込むことで、ぼくらはじつは、とてつもなく常識を曖昧にし、脳が停止状態、休止状態になる。確かに、だれもが共有しているはずの常識はそれをあえて問い直さずとも、日常が滞ることはない。

だが、果たして、本当にそうだろうか…。

原理、原則、基本、あるべき根拠に、無知であることと既知であることには、大きな差があるのでないのか。ぼくには、この番組がそう提言しているように思えてならない。

常識の原理、原則、基本に無知であると、いつか、常識足りえてるものが不明となり、常識そのものが溶解していく。形ばかりで、その実態が不明となり、かつ、不明性が当たり前とされ、やがて、あれも常識、これも常識とだれもが自分勝手に常識を創造してしまう。

いまこの国は、世の常識が全く通用しない政治状況を生んでいる。

だが、そこに悪びれる様子も、恥入ることも、本気で事を糾す姿もまったくない。なぜなら、それが当事者たちの常識だからだ。権力にこれが巣くうということは、国家の崩壊を意味している。だが、それに気づくこともなく、平然と非常識を常識としている。

世界から見たら、これほど危うい国はほかにない。自ら、内部から溶解していった国は、かつて先進国といわれる国で一国もないからだ。

社会秩序が乱れ、混乱状態となることをフランスの社会学者ディルケームはアノミー(anomie)といった。社会がアノミー状態になると、意味不明の自殺や動機不明の犯罪が増加する。社会秩序が乱れてしまうと法は意味を持たなくなる。

その道の先には、がんが転移し、内部から人の生存機能を破壊していくように、国の崩壊が始まる。

果たして、いまこの国のがん細胞はだれか。それももはや常識とさえなっている。

チコちゃんに叱られるのは、まだましな方なのだ。