秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ありがとうございました。

ぼくらは常に主役ではない。

ぼくらの仕事は、悲嘆や恩讐や後悔や無念…それらを乗り越え、回復や挑戦へと向かい、喜びや感動、新しい世界と出逢う人々の姿を知り、学び、その人生の傍らから、そこにある人の思いを整理し、伝えやすい形とし、そこから見える地域や社会、国、世界のあり方を自らの問題、課題として問いかけることだけだ。

だから、ぼくらの仕事は、人々のどんなに近くにあっても、常に脇役であり、お手伝いさんであり、観察者、分析する人であり、どこまでいっても所詮、当事者ではない。

だからこそ、ぼくらの仕事は謙虚でなければならないし、脇役としての役回りに忠実でなければならないとぼくは思う。そのために、学ばなければならないと思う。語るのではなく、耳を傾けなくてはいけないと思う。

脇役としての役回りに不遜な態度やふるまいに、ぼくがスタッフや仲間を厳しく叱責するのは、そのことをないがしろにした、されたと感じたときだ。人が心を開き、語れなかったこと、言葉にできなかったことを語るとき、それにふさわしい脇役でありたい、脇役であってもらいたいとぼくは思う。

自分の都合が先にあってはならない。それはぼくらの映画や舞台、イベントといった仕事に限らず、社会において他者とかかわり、何事かを形にする、伝える仕事や取り組みに決して失ってはならない矜持だと思うからだ。

イベントや舞台、映画の制作が終わると、ぼくの心にはいつも風が吹く。その風が何なのか。毎回それを確かめるために、ぼく、ぼくらは仕事をしている。

当事者の喜びを喜べても、ぼくらは当事者ではない。その輪の中にはいられない。いや、いてはいけない。喜びは彼らのものだ。

その風の瞬きをしっかり受け止めて、ぼくらは次に歩み出すのだ。その積み重ねで、もしかしたら、地域や社会、国や世界が少しだけ変わるかもしれない。人のあり方、つながり方が生まれ変わるかもしれない。何かを伝えられるかもしれない。

そのかすかな可能性に賭けて、人知れず、ぼくらは人を撮り続ける。

それができるのは、出逢いが感動をいつも運んできてくれることを知っているからだ。

今年の夏も相馬、いわきを始め、東北の美しい風景と人に出逢った。2018年のお盆。貴重な出逢いと時間、ありがとうござしました。