秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

我なすことは

我なすことは我のみぞ知る…そう言葉を遺したのは龍馬だ。

何につけ、これを実現しよう、達成しようと心に誓った思いは、そしてその行動は、余人に理解できるものではない。それが社会的なことであればなお、真意や思いの誠は容易に理解されないものと相場が決まっている。

簡単なことだ。達成したときの姿、世界がその人にしかビジュアルとして見えないからだ。

そして、ビジュアルを実現するために、いまここで何が必要かが余人には見えないからだ。見えないから、ここではこう行動しなくてはいけない、ここではこうしたふるまいでなくてはいけない…そのひとつひとつが見えてこない。

ビジョンは他者が容易に共有できる代物ではない。共有できるのは、ようなものとしての曖昧なものでしかない。

金や物といった即物的なものであれば、難しいことではないが、そうではない無形のものであればあるほど、思いは人の理解から遠くなり、なぞるようなわかられ方しかしないものだ。

ぼくが仕事と社会活動の準備と実施で時間に追われている最中、翁長沖縄県知事が亡くなった。

沖縄返還時の主席を含め、その後も沖縄県知事で翁長知事ほど明確に沖縄の実状と歴史を国政にぶつけ、対峙した県知事はいなかった。

利益誘導で口封じを図る国の沖縄対策に迎合するか、迎合しながら、中途半端な沖縄の主張しかできない弱腰知事が大半だった。確かに、当時、沖縄は、特別措置法に頼らなければ、県民生活を維持できない経済の弱さがあった。

それではいけない。そう考え、沖縄の自立を明確にし、本土との対等の関係を正面から主張したのは、翁長氏だけだった。

政治手法には弱さも、弱点もあったと思う。だが、戦後73年、薩摩の琉球支配からは150年以上、辛酸をなめさせられてきた沖縄が未来へ向けて進む自立のビジョンを提示したのは翁長氏だけだ。

国、安倍政権との対立ばかりが話題になってきたが、翁長県知事になって、那覇空港の世界ハブ空港化など、経済対策でも大きな手腕と実績を遺している。

二枚舌が当たり前の政治の世界で、10年後、20年後その先の沖縄のために、いま県民が何をしなくてはいけないか、日本国民が沖縄をどうとらえていかなくてはならないか。それを一貫して唱え、未来の沖縄、引いては、この国のあり方を鈍牛のように、休まずたゆまず糾し続けた足跡だった。

それは、この国のすっかり失われている政治家が国民に示すべき良心の姿だったとぼくは思う。