秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

とどまらない予感

東北でも北に行くほど、訛りが強くなる。

その岩手訛りを聴きながら、この音を直に耳にするのは、久し振りだなと心の中で、ぼくはつぶやいていた。

相馬からトンボ返りで、飯田橋KADOKAWAホールで国指定無形文化財岳神楽、別名早池峰神楽の会長と打ち合わせをしていたときだ。

岩手県を初めて訪ねたのは、20年以上前、衛星サテライト放送で全国の地方に取材するヒューマンドキュメントのレギュラー番組を制作していた頃のことだった。

花巻、北上、遠野、釜石、宮古を回ったのだが、花巻は初夏と冬の取材で2回、ロケハンもいれると3回いっていることになる。

宮澤賢治生誕100年の記念作品で、大好きな賢治がやれるというので、勇んで引き受けたし、ため込んでいた賢治の知識をぶつけた。

遠野は柳田国男の『遠野物語』で有名だが、井上ひさしの『新遠野物語』も秀逸で、演劇出身のぼくは、遠野の取材というだけで燃えた。

祭事や祭礼を起源とする演劇は民俗学文化人類学と深くつながっている。そのため、学問としての歴史的検証では地理・考古学・古代史まで関係してくる。

ぼく自身は演劇専攻ではなかったけれど、演劇人の常識として、学生の頃からその類の書籍をずいぶん読み漁っていた。能楽を知りたいというのがその発端だったのだけれど。

歌舞伎、能、狂言など古典芸能では当たり前のことなのだが、いま演劇の俳優養成に日本舞踊などはあっても、神楽舞など地域芸能の所作や踊りを取り入れるところはほとんどないといっていい。知識として学ぶことも少なくなっている。

地域共同体が健全に機能しているかどうか。それは地域芸能を見るとすぐにわかる。参加世代の分布がうまくいってるか。地域の伝統的な産業とつながっているか。
地域の氏神など神仏を祀る祭事が維持されているか。学校など地域の教育機関と連携しているか…といったことだ。

残念ながら、それらは弱くなっている。地域芸能が象徴するのは、地域文化だ。これが弱くなると、地域の中での世代分布の広がり、伝統産業の維持、地域教育の枠組みが維持、持続できなくなる。

3.11以後、東北の人々が伝統文化や地域芸能の復活に取り組んだ。意識しているかどうかは別にして、それは地域再生を目指す上で重要な取り組みだったのだ。

この国の地方が弱くなっている。そういわれて、もう何十年にもなる。それは同時に、この国のいろいろな意味での「強さ」を失っていく時間といってもいい。ぼくはそう思っている。

明日から3日ほど、その失われたものを取り戻そうとしている人たちに会ってくる。ぼくの2020構想は、もしかしたら、福島だけでとどまらないかもしれない…そんな予感を抱きながら。