とどまらない予感
東北でも北に行くほど、訛りが強くなる。
その岩手訛りを聴きながら、この音を直に耳にするのは、久し振りだなと心の中で、ぼくはつぶやいていた。
岩手県を初めて訪ねたのは、20年以上前、衛星サテライト放送で全国の地方に取材するヒューマンドキュメントのレギュラー番組を制作していた頃のことだった。
花巻、北上、遠野、釜石、宮古を回ったのだが、花巻は初夏と冬の取材で2回、ロケハンもいれると3回いっていることになる。
宮澤賢治生誕100年の記念作品で、大好きな賢治がやれるというので、勇んで引き受けたし、ため込んでいた賢治の知識をぶつけた。
ぼく自身は演劇専攻ではなかったけれど、演劇人の常識として、学生の頃からその類の書籍をずいぶん読み漁っていた。能楽を知りたいというのがその発端だったのだけれど。
歌舞伎、能、狂言など古典芸能では当たり前のことなのだが、いま演劇の俳優養成に日本舞踊などはあっても、神楽舞など地域芸能の所作や踊りを取り入れるところはほとんどないといっていい。知識として学ぶことも少なくなっている。
歌舞伎、能、狂言など古典芸能では当たり前のことなのだが、いま演劇の俳優養成に日本舞踊などはあっても、神楽舞など地域芸能の所作や踊りを取り入れるところはほとんどないといっていい。知識として学ぶことも少なくなっている。
地域共同体が健全に機能しているかどうか。それは地域芸能を見るとすぐにわかる。参加世代の分布がうまくいってるか。地域の伝統的な産業とつながっているか。
残念ながら、それらは弱くなっている。地域芸能が象徴するのは、地域文化だ。これが弱くなると、地域の中での世代分布の広がり、伝統産業の維持、地域教育の枠組みが維持、持続できなくなる。
3.11以後、東北の人々が伝統文化や地域芸能の復活に取り組んだ。意識しているかどうかは別にして、それは地域再生を目指す上で重要な取り組みだったのだ。
この国の地方が弱くなっている。そういわれて、もう何十年にもなる。それは同時に、この国のいろいろな意味での「強さ」を失っていく時間といってもいい。ぼくはそう思っている。
明日から3日ほど、その失われたものを取り戻そうとしている人たちに会ってくる。ぼくの2020構想は、もしかしたら、福島だけでとどまらないかもしれない…そんな予感を抱きながら。
この国の地方が弱くなっている。そういわれて、もう何十年にもなる。それは同時に、この国のいろいろな意味での「強さ」を失っていく時間といってもいい。ぼくはそう思っている。
明日から3日ほど、その失われたものを取り戻そうとしている人たちに会ってくる。ぼくの2020構想は、もしかしたら、福島だけでとどまらないかもしれない…そんな予感を抱きながら。