秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

チコちゃんに叱られるの先

NHKの週末の高視聴率番組「チコちゃんに叱られる」。ご覧になっている方も多いはずだ。

NHKらしく、子どもから大人まで、だれでも楽しめる教養番組だが、この番組、じつは、世の中の常識とされているものの原理、原則、基本を問いかけ、常識ゆえに素通りしていた原理、原則、基本に気づかせることでおもしろさを演出している。

人は、「常識」といわれているもの、されている事柄に、じつに弱い。

弱いといういのは、それが「常識」とされたときから、なぜ、それが「常識」とされているのか、自分自身、それをどのような根拠で「常識」としているのかの問いを喪失してしまうからだ。

つまり、生活の中で、ごく当たり前としていることの始まりや当たり前とされている背景、要は、原理、原則と根拠を棚上げにしてしまい、問うことも、改めて考えることもしなくなる。

「そんなこと、いまさら、わかり切っていることだろう」。そう思い込むことで、ぼくらはじつは、とてつもなく常識を曖昧にし、脳が停止状態、休止状態になる。確かに、だれもが共有しているはずの常識はそれをあえて問い直さずとも、日常が滞ることはない。

だが、果たして、本当にそうだろうか…。

原理、原則、基本、あるべき根拠に、無知であることと既知であることには、大きな差があるのでないのか。ぼくには、この番組がそう提言しているように思えてならない。

常識の原理、原則、基本に無知であると、いつか、常識足りえてるものが不明となり、常識そのものが溶解していく。形ばかりで、その実態が不明となり、かつ、不明性が当たり前とされ、やがて、あれも常識、これも常識とだれもが自分勝手に常識を創造してしまう。

いまこの国は、世の常識が全く通用しない政治状況を生んでいる。

だが、そこに悪びれる様子も、恥入ることも、本気で事を糾す姿もまったくない。なぜなら、それが当事者たちの常識だからだ。権力にこれが巣くうということは、国家の崩壊を意味している。だが、それに気づくこともなく、平然と非常識を常識としている。

世界から見たら、これほど危うい国はほかにない。自ら、内部から溶解していった国は、かつて先進国といわれる国で一国もないからだ。

社会秩序が乱れ、混乱状態となることをフランスの社会学者ディルケームはアノミー(anomie)といった。社会がアノミー状態になると、意味不明の自殺や動機不明の犯罪が増加する。社会秩序が乱れてしまうと法は意味を持たなくなる。

その道の先には、がんが転移し、内部から人の生存機能を破壊していくように、国の崩壊が始まる。

果たして、いまこの国のがん細胞はだれか。それももはや常識とさえなっている。

チコちゃんに叱られるのは、まだましな方なのだ。