秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

まやかしの日常

聡明な人たちは気づいている。ぼくらは日常を生きてはいない。

それは、日常というものが実は存在しないからだ。


聡明でない人も、直感として、本当は察知している。

日常と思い込もうとし、思い込むことによって、初めて日常が成立し、維持されるていることを。思い込むことによって、世界からはじき出されずに済んでいることを。

日常とは、ぼくらがかつて、信じていたような何か普遍的で、揺るがない価値意識に裏付けされて、そこにあるのではなく、みんなで寄ってたかってつくり上げている、のようなもの幻想に過ぎない。

日常という概念を成立させているひとつひとつを精緻に点検していけば、それらが何一つ確たる保証・確証の上に存在していない、「まやかし」であることをぼくらは知ることができるだろう。

「まやかし」としての日常だからこそ、ぼくらは、日常を揺るがす日々の事柄に対して、途轍もなく鈍感でいられる。日常を否定する非常識や不正や悪行、規範からの逸脱を見逃すことができている。つまりは、日常を揺るがすものに、高い適合性、適正を身に付けてしまっているのだ。

日常というものが、捉えどころのない、あいまいで、根拠のないものとわかっているから、逆に、日常を揺るがす非常識や不正、悪行にもじつに寛容になれる。

オレオレ詐欺の被害が、投資・儲け話詐欺事件が拡大するのは、「まやかし」としての日常をぼくらが生きていることの実証なのだ。

ぼくらは、非常識や不正、悪行をパッシングする。事件や事故に強い興味を示す。そして、非難や批判、文句や怒りをぶつける。だけど、決して、そうしたものを生み出しているものの正体や実体、本性をみつけ出そうとも、捕らえようともしない。

それに強く異議を唱えることも、変革しようともしない。

昨日外国人労働者の受け入れ枠拡大の政府案が、これまでの重要法案と同じく、白紙委任状の形で強行採決された。

ここでも、政権と癒着した民間の参入を許すという名目で人材派遣会社や今後参入する民間企業から多額の金が政権や政党、政治家に流れる。

野党を含め、政治家や政党が信じられない時代の「まかやし」の日常の中で、ぼくらは、またいつものように「まやかし」の政治に無言であることで、自分たちの日常を手放していく…。