風評という言葉はいらない
まして、帰宅困難地域に隣接する双葉郡など隣接する地域の人たちばかりが自主避難していると勘違いしている輩までいる。
原発から遠いが、一時線量が高かったために、子どもの健康を心配して、やむなく避難し、東京や首都圏、県内の別の地域で生活を始めた家族をぼくもよく知っている。
だが、その大半は、自らの選択で土地を離れた以上、しっかりとここでの暮らしを新たに築いていこうと考えている人たちばかりだ。決して、国の予算にぶらさがり続けようと考えている人たちではない。
しかも、決して福島のこと、自分たちのいた土地のことを悪くいう人などひとりもいない。それどころか、離れてしまったが、いまいる場所から福島のためにできること、ふるさとのためにできることをやろうという思いを持った人たちだ。
同じように不安を抱えても、自主避難してきた人たちの土地で、地域の再建のために、再生、新生のために、日常を取り返すために、あのときから、ずっと、汗水流している人たちがいる。原発事故地域のような保証も、住宅補助もない中で、それを生きている人たちがいるのだ。
都内・首都圏のNPOなどで、自主避難者の支援をやっている団体がいくつかある。
それだけならまだいい。
線量は決して低くない。自分の体調不良は放射能が原因だ。原発事故のために、生活もできなくなった…。科学的根拠も、医療的証左も示さず、被害者意識をそのままぶつける言葉ばかりだ。
一度も福島のいまを観たことも、行ったこともない、状況を知らない都会の人間が聴けば、当然、同情もすれば、かわいそうにも思うだろう。そして、そんなに危険な地域なのかと信じるだろう。
自分たちがもっといいものをつくればそれでいい。自分たちの生産するものに自信があれば、乗り越えらるし、自分たちの生産したものがどれだけ素晴らしいかを伝えていく…他人のせいにしていない。自分たちの努力のあり方だと自らの課題にしているのだ。
国や県の予算にぶらさがって開ける未来など、高が知れてる。震災・原子力災害を自分たちの地域の明日を拓く教訓とできるものが、福島の未来を力強く、拓いていくことができる。ぼくが勝手にそう思うのではない。
アップデートできない国
前例にこだわらず、時にはそれを捨て去り、潜在的な欲求や隠れた意志、ビジョン化されていないもの、言語化まで辿り着いていない社会現象や人々の生活にある未来志向を掴みとり、前例のないパラダイムやプラットフォームを創造することをぼくらは長い間やってきていない。
IT革命があっても、所詮、産業革命の延長にしかなかったぼくらの生産活動や生活形態がAIの技術開発の進展で、5年から10年後には、大きく様変わりするとわかったいまでも、官公庁の公式文書はA4サイズと決まっているし、ペーパー優先主義は変わっていない。
先ごろ、暴かれたように、中央省庁のデータ改ざんが平然と行われ、ひどいのは手書きで修正されている。内閣の大臣面会記録が矢継ぎ早に破棄されていたりする。
いかにこれまでとは違う〇〇ですと胸を張ろうが、遅れた脳が考える新しいことは、所詮、陳腐な代物でしかない。
ということがわかりながら、そうした多数派の輪の中に多くの人はいたがり、自分たちの遅れた脳、まったく更新も、アップデートもされていない、腐った脳で、陳腐なアイディア、発案をさも新しいことのように公言して満足しているのだ。
変革はそのようには生まれない。小手先で、わずかな見栄え、体裁をいじっても変革にはならない。規模は小さいてもいい。だが、発想と着眼と視座は、広角で大胆で、反逆的なるものでなくては、大きな変革にはつながらない。
多数派の中にいたい、多数派の主流でいたい腐った脳の人間たちには、当然そんなことはできない。腐った脳が未来志向の意志を摘み取り、状況を停滞させるどころか、より悪化させていく。
それでもDNAに組み込まれて、そこからの飛躍も飛翔もできないなら、腐った脳を好きなだけ蔓延させ、次を生きる人たちから戦犯として処刑される道を歩むことだ。
それがわかってるから、慌てて、保管すべき公文書を改ざん、破棄している。
はぶかれるのがこわいチキンハートの国
体面や面子、体裁といったものの背後にあるのは、それだし、虚勢や虚言といったものもそれに起因している。
ただ、それだけならまだ人の弱さのあり方として見逃すことができる。
弱さ、弱みを隠すために、さもそうではないように、言葉を弄したり、弄したために、辻褄合わせの改ざんや隠ぺいをやり、それがなかったかのように、口裏合わせや力を乱用して発言や反論を封じ込めるとなると、話は別だ。
都合のいい議事運営や法解釈、法案の可決。裏側にある利権や利益相反のチェックもなく、マスコミ、ジャーナリズムを黙らせ、するするとすべてが政権の思うがままに運んでいる。
この途方もなく、危うい状況が、この数年、平然とまかり通り、これに異議を唱える人間が権力の中枢にも、これを検証する側にも希少となっている。
チキンという単語が「弱虫」を意味するということを、ぼくは中高生のときにリバイバル上映で観た、映画『理由なき反抗』や『ウェストサイドストーリー』で知った。
間違いと分かり、おかしいと気づきながら、それに従おう。従ってさえいれば、身の安全は確保できる。社会からはぶかれることはない。得になることがある…。
政治的要因が生む、不条理や不合理、人権の蹂躙には目をつぶり、社会生活にある、格差や貧困、差別や偏見も当事者の問題としてその事実から目を背ける。明日は我が身とならないため集団への帰属と貢献をひたすら従順に果たし、矛盾には切り込まない…。
日本には、「ノミの心臓」という言葉はあるが、英語のchicken heartに当たる言葉がないのかもしれない。弱虫は弱虫でも、省かれるのをこわがって、弱虫たちが弱虫たちの中で権力だけ持っている人間に無批判でなびいても、それを否定する言葉が日本語にはないのだろう。
少なくとも、似た状況にあるアメリカでは、果敢にジャーナリズムが闘っている。権力の中でも反対勢力が立ち向かい続けている。
自分たちがchicken heartと市民、大衆から、いや、後の歴史を生きる者たちから批判されないために。chicken heartには、弱虫だけではない、恥を知れという意味が込められているからだ。
砕けたステンドグラスたちの壊れた承認
片割れのいくつものステンドクラスがそれ自体、自分という存在のすべてを表象できないように、ぼくらは、ぼくであることの感触を得ることができないでいる。
それでいながら、破片の一つひとつの存在、どれひとつ欠けても自分足りえない。自分でありながら、自分足りえていない。そのもどかしさをぼくらはどこか感じている。
それがいまという時代のぼくらだ。
問題になっている内閣府と内閣府を取り巻く中央官僚たち、またその部下として事情を知る管理職、職員たちも、この危うさを痛烈に実感する、官庁・公務員という公職にいる。
公に職があることは、公の前で「私」は抹消しなければならない、あるいはされる存在であることを事前承認しなくてはいけない。
その危うさが、常軌を逸した改ざんや隠ぺい、虚偽答弁を組織からの承認を得るために平然と、ときにはしどろもどろにできてしまう。大衆からの「私」への承認以上に、官僚機構、公職という砕け散ったステンドグラスの一片の中での「公としての私」の承認を得るために。
それが組織ぐるみで隠ぺい、改ざんし、組織ぐるみでそれを否定し、さらなる書類の改ざんへと常識を逸脱させる動因となっているのだ。
公務員という職が定期的異動があっても成り立つように、彼らは入れ替え可能なだれでもいいだれかだ。そのことを自身よく承知している。
だが、いまは、だれもが砕け散ったステンドグラスだ。本来のあるべき自分たちは、聖堂に暁光を取り込む荘厳なステンドグラスの窓であったことも、人々の衆目を集める貴重な職芸の美の花瓶であったことも示すことができない。
その結果、自分にはそうした威光も知恵も能力もないことを徹底的に知った凡庸な人間たちが、自己承認のために政権トップに立つと、「公」という欠けた破片の世界での承認を「公の私たち」に要求する。
彼らに国民、大衆の承認はさほど重要ではない。国民、大衆にとって非常識、常軌を逸することも厭わない。いや、厭うという感覚すらなくなっている。望むのは、常軌や社会規範、社会常識ではなく、ただただ、否定のない、承認だけある世界なのだ。
ジャーナリズムへの圧力もそのためにだけなされ、その後先は彼らのスカスカの脳では想像できていない。
常識や社会倫理で議論しても、前へは進めないことをぼくらは気づいた方がよい。
信じられる大人の姿
そして、8年のという歳月の中で、また、それぞれの現実も大きく変わっている。どう俯瞰しても、一律に語れる、解釈できるような代物ではない…とぼくは思う。
冷たい言い方に聴こえる人もいるだろう。だが、ぼくがこの8年、福島で、あるいは東北の各地で見て学び、そこに生き、現実と向き合う人たちから教えられたのはそれだった。
特に原発事故を抱えた福島は、原発とのかかわり方の深度、その距離の取り方で人々の意識も違う。
ことさらに、放射線量の危険を声高にいう人の中には、線量の低い地域から自主避難し、自らの地域を否定するように、福島のマイナススピーカーになっている人たちも少なくない。また、そうした声を支援という名で、過剰に祭り上げる人たちもいる。
何が真実で、何が嘘なのか。嘘ではないとしても、主観的で、矮小化されたものなのか、そうではないのか。それを見極めることがとても大事だ…ぼくは3.11の後、福島と関わるようになったときから、心にそう決めていた。
そう決意させていたのは、何よりもぼくが被災の当時者ではないからだ。そこに生きる人間ではないからだ。そして、様々な形で、何がしか表現できる場と機会を持つ人間だったからだ。
冷静であること。感情に押し流され、同情や憐憫を持たないこと。心情的に共感するものであったとしても、そこに留まらないこと、溺れないこと。
それが物事をしっかりととらえ、被災者とそうでない者という関係を越えることになる。同じ立場で、志を同じに、これからの道を探る…そのことの方がはるかに震災・原子力災害に立ち向かう、そのときの逼迫した課題だった。
そして、それが、あの日を契機に、いや、あの日がなければ出会うことのなかった、ぼくらが出会ったことを明日へ生かす道だと確信していた。
その思いはいまも揺るがない。
過去を振り返ることは大切なことだ。奪われたいのち、生活に思いを寄せ続けることも当然な感情だと思う。ぼく自身、震災直後の風景を目にし、胸に突き刺さった感情がいまの活動の動機になったことは否定しない。
けれど、だからこそ、失われたすべてのいのちに、奪われたいろいろな思いに応える道は、いままでを取り返すことでも、いままでと同じ日常に戻ることでもないのだ。
次へつなぐための、いまをつくることこそ、あの日を未来に生かす道だとぼくは思う。
いままでとは同じじゃない。そう胸を張って、次の人たちに言える、恥ずかしくない行動をし、完全ではなくとも、実現してみせる道を歩むことこだ。
信じられる大人の姿を遺すということだ。
大人がいなくなった社会
芝居や映画の世界では常識とされていた、レンブラント照明。
オランダの巨匠レンブラントの絵画から引用されていると御存じの方も多いはずだ。
あるいは透明感に満ちたフェルメールの窓から差し込む光…。
中世や近世の絵画はモチーフとされる表象の一つひとつに含意、隠喩がある。それが知識としてないと、正確には中世・近世絵画が描こうとしてる世界を把握することは難しい。
シェークスピアでも、一つの単語やフレーズに幾重にも意味が塗り込められ、解読書といってもいいグロッサリー(専用辞書)がないと韻文に含まれるシェークスピアの悪だくみ、おふざけ、批評性といった原書のおもしろみは楽しめない。
ぼくらの日常といわれる世界は、幾重にも重なる小世界がつくっている。
そして、観客の前に幾重にもあるぼくらのいまを断片のひとつとして切り抜いて、客の前に現前化させるのに、レンブラントやフェルメールを応用することはとても重要なことだった。
いま演劇でも映画でも、幾重にも重なる小世界を意識して、その断片として人、世界を捉える深く、洞察に富んだ視点がすこぶる脆弱になっている。
光の当たることころだけを捉えて、これがぼくらの現実であり、日常であり、世界なのだとする表層的な考え方が広がっているような気がする。
それは実に狭隘で、自己本位で、排他的で、やがては密室化し、萎縮し、濃密化することで、逆に光のない世界へぼくらを招き寄せる。
光の当たるところにいよう、光をより自分に当たるようにしよう…そうすることで影のあること、影そのものが存在しないことにする。
それではぼくらの日常が何たるかを知ることも、社会、世界の現実がどうなっているかを理解することも、遠く及ばないだろう。
光の当たる場所で、ぼくらは子どものように燥ぎ、もっと光の当たる場所にするためにはどうすればいいかだけに腐心する。影があることさえ無知なまま。無知であること、それ自体が罪であることに気づけぬほどの幼児性で。
大人がいなくなった社会…。それがぼくらがいまいる時代の断片のすべてだ。
考えてみてくれ。舞台や映画にこうした知性がなく、舞台上を画面上を溢れる光で照らすだけの何の陰影もない、芝居や映画の一コマを。それがぼくらのいまだ。
ゆりかごの中のぼくら
三島由紀夫は左翼も右翼も遥かに越えたところで、日本の未来を見据えていた…と、ぼくは思っている。
現実に、小説世界を逸脱し、三島が最後に選択した自決への道は、ナルシズムの典型的な形で終わったし、当時、三島の行動はその文学への高い評価とは裏腹に、大衆の支持を勝ち得なかった。余談だが、その結末は太宰とあまりにも相似している。
アメリカ従属主義は戦後以上に、この国の政財官に蔓延した。重要法案の国会提出も、その決議も、アメリカの影が常に付きまとう。
日産のゴーンCEOの事件で、裁判所は、これまで多くの冤罪の温床となるとして、国内司法関係者からの批判があった再逮捕による拘留延長を異例中の異例で反故にした。かつ、検察は、フランス国籍のゴーン氏に対してはさらに再逮捕を突きつけ、拘留延長を図ろうとしている。
沖縄では、知事選で明確に県民の意志を示したにもかかわらず、辺野古湾への強引な土砂搬入が行われている。アメリカとの地位協定の見直しさえ進まない中での強行だ。
いまぼくらは、三権(司法・立法・行政)をすべて、アメリカのご都合主義の掌の中にゆだねられている。アメリカ経済は来年以後、急速な不況が予想されている。この国は、2020を隠れ蓑に、そのアメリカの後ろを着いて行くだろう。
大人の姿勢と知性
思春期、青年期の子どもたち、若者たちが一番疎ましく思うのは、そんな大人たちだ。
自分たちが思春期、青年期の頃のことを少しでも謙虚に振り返れば、そんな大人たちに信頼や尊敬の感情など芽生えなかったことがわかるだろうに。
先週の日曜日、今年最後で最大のイベント事業が終わった。半年がかりの本業の仕事とのブッキングで昨年にも増して、多忙だった1年だったが、イベントも作品も無事、約束通りに仕事を片づけることができた。
そのごあいさつの内容は、85歳という最高齢者であるがゆえの、参加した高校生たちへの熱い思いにあふれていた。しかも、今回、超難関の科学技術高校生徒たちの参加があったことを念頭に置かれての気配りのあるお話だった。
「高校生諸君には、ぜひ、サイエンスを極めてもらいたい。資源もないこの国がこれから生き残るためには、人しかない。それも科学技術の最先端を拓く人材が何としても必要なんです…」。
かつて、敗戦からこの国が立ち上がろうとしたとき、それと同じ言葉があったことを思い出した。
意見交換の場でも、ジョークや笑いが生まれる交流となった。参加した高校生たちの自由な意見や発想が飛び交い、客席も笑いに包まれた。音楽公演は終わっても
何かはわからくなくても、詳細にぼくらの活動やぼくの願いはわからなくても、あるいは、来賓の方々のあいさつやコメントの全部はわからなくても…
そこにあるメッセージが「君たち高校生」のものであることは確かに伝わっていたのだ。そして、それを受け止めようとする高校生たちの姿が、だれも席から立とうとはさせなかった。
そこには、おバカな大人がいなかったからだ。謙虚に高校生たちの音楽、姿、姿勢、言葉に耳を傾ける大人たちがいたからこそ、高校生たちも自由でいられた。
信頼や尊敬は肩書でもなければ、年齢でもない。まして立場や学歴でもない。その人の教養と素養、そして、生きる姿勢が、その言葉がどれだけ知性に満ち、開かれたものであるかどうかだけだ。
I have a dream
明日への、数年先への、あるいは10年、20年先の未来を考えない人たち、考えられない人たちは、変えていくこともできないけれど、いまを充実させることも、充足させることもできない人たちだ。
やっているつもり。いまを充足させているつもりが、そうした人たちがやっていることは、いまをやせ細らせ、日々、明日をぶちこわしているだけのことだ。
ぼくが福島で出会い、原子力災害と向き合う人たちの多くは、志や誇りを持った自分たちであるために、そういう自分たちであることを示すために、不可能といわれることに挑戦している。
震災や原子力災害の前に戻ればいいのではない。震災と原子力災害を教訓に、自分たちの文化や生活をどう守り、明日へ向けてどう新しくしていけばいいかを考え、行動する人たちだ。
だから、ただ物が売れればいいのでもなく、ましてや同情などで支えてもらおうなどと考えてはいない。
それができるのは、そこに彼らのI have a dreamがあるからだ。
東北3県を回ったこの半年。ぼくは改めて知らされた。
岩手、宮城で新しい、多くの夢と出逢いながら、ぼくは、それを痛感した。岩手で、宮城で出会ったたくさんの夢…。それは、また、ぼくの夢をまた膨らませ、実現不可能と思えることに挑戦する力を与えてくれている。
明日のために、夢をつむぐ…。それがぼくがこの8年やってきたことなのかもしれない。
まやかしの日常
日常と思い込もうとし、思い込むことによって、初めて日常が成立し、維持されるていることを。思い込むことによって、世界からはじき出されずに済んでいることを。
「まやかし」としての日常だからこそ、ぼくらは、日常を揺るがす日々の事柄に対して、途轍もなく鈍感でいられる。日常を否定する非常識や不正や悪行、規範からの逸脱を見逃すことができている。つまりは、日常を揺るがすものに、高い適合性、適正を身に付けてしまっているのだ。
日常というものが、捉えどころのない、あいまいで、根拠のないものとわかっているから、逆に、日常を揺るがす非常識や不正、悪行にもじつに寛容になれる。
それに強く異議を唱えることも、変革しようともしない。
野党を含め、政治家や政党が信じられない時代の「まかやし」の日常の中で、ぼくらは、またいつものように「まやかし」の政治に無言であることで、自分たちの日常を手放していく…。