I have a dream
「私には夢がある…」。その言葉が生んだ行動は、実現不可能を人々の小さな力の結集が可能にすることを証明した。
ぼくは若い頃から、「それは実現不可能なことだ」とする世間や社会、世代の壁にぶつかってきた。そして、いまもまだ、それは続いている。
果たして、実現不可能だと決めているのはだれかのか。何なのか。
じつは、実現不可能だという人の多くがその答えを知らない。考えたこともない人たちだ。
これまでがそうだから。そう考えることが無難だから…。何の根拠もない、それらをあたかも正当な理由のように考える人たちが、不可能の壁をせっせと作り上げ、明日や未来を拓く最大の障害物となっていることに気づいていない。
明日への、数年先への、あるいは10年、20年先の未来を考えない人たち、考えられない人たちは、変えていくこともできないけれど、いまを充実させることも、充足させることもできない人たちだ。
やっているつもり。いまを充足させているつもりが、そうした人たちがやっていることは、いまをやせ細らせ、日々、明日をぶちこわしているだけのことだ。
ぼくが福島で出会い、原子力災害と向き合う人たちの多くは、志や誇りを持った自分たちであるために、そういう自分たちであることを示すために、不可能といわれることに挑戦している。
震災や原子力災害の前に戻ればいいのではない。震災と原子力災害を教訓に、自分たちの文化や生活をどう守り、明日へ向けてどう新しくしていけばいいかを考え、行動する人たちだ。
だから、ただ物が売れればいいのでもなく、ましてや同情などで支えてもらおうなどと考えてはいない。
それができるのは、そこに彼らのI have a dreamがあるからだ。
明日への、数年先への、あるいは10年、20年先の未来を考えない人たち、考えられない人たちは、変えていくこともできないけれど、いまを充実させることも、充足させることもできない人たちだ。
やっているつもり。いまを充足させているつもりが、そうした人たちがやっていることは、いまをやせ細らせ、日々、明日をぶちこわしているだけのことだ。
ぼくが福島で出会い、原子力災害と向き合う人たちの多くは、志や誇りを持った自分たちであるために、そういう自分たちであることを示すために、不可能といわれることに挑戦している。
震災や原子力災害の前に戻ればいいのではない。震災と原子力災害を教訓に、自分たちの文化や生活をどう守り、明日へ向けてどう新しくしていけばいいかを考え、行動する人たちだ。
だから、ただ物が売れればいいのでもなく、ましてや同情などで支えてもらおうなどと考えてはいない。
それができるのは、そこに彼らのI have a dreamがあるからだ。
明日へのビジョン、夢、目指すものがなければ、不可能を可能にする力も生れはなしない。そのために、自分のいまある場所で新しいものを生み出そうと取り組み、懸命にはなれない。
そして、その苦労さえも喜びにできる力がなければ、実現はしない。継続もできない。
東北3県を回ったこの半年。ぼくは改めて知らされた。
東北3県を回ったこの半年。ぼくは改めて知らされた。
ぼくが福島にこだわり、そこで貴重な出逢いをもらい、いまも活動が続けていられるのは、その彼らの夢と出逢っているからだ。
岩手、宮城で新しい、多くの夢と出逢いながら、ぼくは、それを痛感した。岩手で、宮城で出会ったたくさんの夢…。それは、また、ぼくの夢をまた膨らませ、実現不可能と思えることに挑戦する力を与えてくれている。
明日のために、夢をつむぐ…。それがぼくがこの8年やってきたことなのかもしれない。