秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

スターリン主義と無意味性の連携

反共…。いまや死語、古典といっていいだろう。

 

 

先進国の多くで、社会に異議を唱える人々を一括りに、「アカ」と呼び、それを排除のスティグマとしてきた。



当然ながら、そこには、資本家とその一部だけが得をする資本主義社会の弊害や問題点、矛盾に対して、あらたな経済理論、社会システム論として登場してきた、マルクスエンゲルスの階級社会打倒による共産主義実現を封じ込めようという意図があった。



だが、多くの人々は勘違いしている。

 

 

なぜなら、「アカ」というポスト資本主義の理論を実際には知ることもなく、無知ゆえに「アカ」に対する不安を増大させ、かつ、「アカ」のように、資本主義に抵抗しても権力には逆らえないし、逆にひどい目に遭い、社会から排除されるという恐怖心を権力がつくりあげ、現実に権力がそれを行い、大衆に「アカ」の恐ろしさと加担したときの恐怖を示して来たからだ。戦前戦中の特高警察や憲兵隊を見てもそれはわかる。イギリスにおける女性参政権運動の壮絶な歴史やアメリ公民権運動を見てもわかる。

 



ロシア革命以後、レーニンスターリンによって建設されたソビエト連邦の姿があたかも共産主義国家の実例の如く、世界に頒布され、表現・言論の自由の弾圧、思想統制職業選択の自由の排除、国家による経済計画の達成・不達成による懲罰と成果主義、政府批判への暴力的弾圧や処刑…それだけでなく、特権階級への賄賂の恒常化といった姿が共産主義社会だと思い込まされてきた。

 

 

スターリン主義スターリン官僚主義といわれるものは、いわば、共産主義に名を借りた、革命軍事政権の上層部、革命特権階級による独裁に過ぎない。そのため、これに反対する反スターリン主義者、トロッツキーなど多くの知識人・文化人は粛清(処刑・強制労働)されている。実態は、帝政ロシアと本質的な構造は変わっていなかったのだ。それはスターリン以後、現在のプーチン政権にまで引き継がれている。それがプーチンの大ロシア主義の根幹にあり、現在のウクライナほかへの紛争や戦争の原動力になっている。

 

 

つまり、ソビエト連邦のあり方は、アカ狩りで有名な共和党マッカーシーなどが言うような共産主義国家ではない。スターリンによる一党独裁独裁政権であり、もっというなら、クレムリンの特権階級間における独裁たらい回し国家に過ぎない。また、社会制度としていえば、マルクスの言う共産主義国家へ向かう過程の社会主義国家だっただけ。マルクスの言う共産主義国家は、世界のどこにも実現した事実は存在しない。理想国家とされたままなのだ。これは幾分色彩は違うが中国においても同じ。

 



これも多くの人が勘違いしているが、ヨーロッパ諸国では、社会主義を取り入れて、資本主義経済を改革し、イギリスを除く、ヨーロッパ諸国の多くが社会民主主義国家の政治形態をとっている。それが独裁政権の誕生を阻止しつつ、資本家のみに富が集中する負の要素を不十分ではあるが、社会福祉の充実という形で、抑制する働きを生んでいるのだ。

 

 

そもそも、「国富論」を唱え、資本主義社会が人々を幸福に導くとしたアダム・スミスは、富の再配分(労働者の保護)と資本家の社会貢献(社会福祉)を前提としている。かつ、本来の資本活動ではない、株式操作による利益や企業買収による特定企業の寡占化にも警告を鳴らし、資本主義社会の本来の目指す営利活動と反するものだと断罪しているのだ。



マルクスエンゲルスは、ここに着目し、資本主義社会では富の再配分機能が行き詰まると予想。それを担保するために、市民コミューンの形成を言い出した。そして、これは、その後、形を変えてベルリンの壁崩壊の影の原動力となった。市民の集合による社会的自由や経済的自由の獲得行為とそのための小規模政策行動ができるイデオロギーを超えた市民ネットワークである。

 

 

その時点で、いわゆるソビエト独裁国家共産主義国家樹立の幻想は、意味を失い、同時に、ほぼ人格障害と思われる共和党マッカーシーの言う反共主義も意味をなさなくなった。

 



そうした時代に、60年安保闘争前後に生まれた反共主義を、70年安保闘争時点で再熱させ、ベルリンの壁崩壊後、意味なさなくなった反共にこの国を縛り付けてきたのは、自民党右派勢力とそのシンパ(右翼や暴力団など反社勢力)である。ただし、彼らの中で反共は意味をかえ、独裁国家建設に異議を申し立てる者や自民党右派の実態がそれであることを指摘する抵抗勢力に対してとなった。



それを徹底したのが小泉以後の自民党政権であり、決定づけたのが安倍晋三である。



戦前回帰の憲法改悪や大衆支配と隷従化のために、情報操作と株式操作を国家がやる。増税によって市民生活を圧迫しても、異議あるものを生み出さない社会をつくりあげ、異議あるもの、異議があっても声ができないように格差の底に沈めていく。あるいは、社会から抹殺していく。



反共が意味を失ったとき、そこに登場したのは、まさに邪魔者は消すのスターリン主義であり、独裁政権による国家の私物化と寡占化だった。


それは、反共が意味性を失ったとき、待ってましたとばかり旧統一会教会との関係をより強靭にする力学へ結びついた。



安倍晋三スターリン主義による独裁国家建設の実態とそれを支えてきた旧統一教会の暴力との連携は、山上が意図したかどうかにかかわりなく、彼の私怨の先に白日に晒されたのだ。


安倍晋三がトランプやプーチン、習に近づきたがった理由もそこにある。

セブンティーン

突然、目の前に、広く大きく、視野が拓ける瞬間を経験したことはないだろうか。

 

世界が一瞬にして変わったと実感した瞬間だ。そして、いままで自分が抱いていた世界観がいかに矮小で卑近で歪なものだったかに気づく瞬間だ。倫理や道徳を越え、自由で、知性と創造性に富んだ世界があったことへの感動だ。

 

たとえで言えば、ヘレン・ケラーが井戸の水の感触で、Waterという言葉にたどり着いた瞬間のような世界の広がり。それは知の覚醒、脳の覚醒といってもいいだろうし、世界観の大転換といってもいいかもしれない。

ぼくは、それを15歳~16歳の間に体験し、17歳のときには自分の生きる理念の土台とした。大げさではなく、ぼくはあのときこういう生き方をしよう、こういう世界で生きようと考えた延長にいまも時間を紡いでいる。

 

覚醒を促したのは、アメリカの公民権運動であり、ベトナム反戦運動であり、沖縄返還闘争だった。文化では、アメリカンニューシネマや第二次アイビーブーム、ニューミュージックの登場だった。

それは行動として、フォークソング研究会の創設、演劇部の活動、学内での生徒の自治権獲得の運動、Peace&Loveをテーマにした文化祭の実行委員長、国際反戦デーのデモへとつながった。

 

警察官家庭だったこともあって、ぼくはそれまで、自民党に代表されるこてこての保守派で、ああだこうだと議論をふっけかける反対派、左派や労働組合は社会を乱す面倒な連中としか考えていなかった。いまは違う意味で、左派や労働組合には厳しい目を向けているが…。

 

国のため、親、地域のために一命をかけることをよしとする、戦前戦中の愛国心教育とこれに殉じた戦死者や戦禍に倒れた人々を美化し、その背景にある理不尽で悲惨な現実に目を向けることもなかった。児童会役員や生徒会役員をやり、剣道部。当然のように、教師や学校の校則を絶対のものとし、半ば強引に生徒たちを絶対なものへ誘導さえしていた。

 

だが、中学の後半から教師や学校、剣道指導者や親への信頼が次々に裏切られる現実に遭遇した。それと同時に葛藤が生まれた。そんなはずはないという、信じていたものへの執着と、しかし、おかしいという疑念の狭間で1年近く悶々とした。

 

それまで絶対なものと信じていた世界が揺らぐと人は不安になる。これが正しいと思い込んでいた世界に疑念や疑問を抱くと、人は苦しくなる。ぼくにとって、自死という選択は当時、遠い選択ではなかった。


いまの若い人や大人たちでも勘違いしているが、日常における生きづらさや息苦しさの基本にあるのは、まちがいだらけの現実をそれがまちがいだと認めずに、必死に受け入れようとする従順さ=隷従やそうしなければという硬直した思考が生み出すものだ。

三島由紀夫の名著『不道徳教育講座』ではないが、世の中や人に合わせなければとか、すでに決まったものは守るしかないとか、与えられた仕事や責務は意に添わなくても真っ当しなくてはとか…。常識的にはとか、道徳上とか、自分を縛り付けている考え方を解放することでしか、疑念や疑問、息苦しさや生きづらさを越える、新たな道は出現しない。

それは単に個人の覚醒という意味において大事なのではなく、地域や社会全体のパワー、もっといえば国力を支えるエンジンとしても大事なのだ。

価値観の転換とそれによる制度やシステム、組織の変革なくして、新産業も未来を拓く技術革新も生まれない。それには、それまで当然としていた決まり事や約束事を一から疑うことしかないのだ。

この国は、バブル経済以後の低成長期から、一ミリも制度やシステムを変えて来ていない。GDPの低下にみられる国力の低下は、覚醒のない過去30年の硬直した思考停止社会が生み出したものだ。

その元凶にあるものが安倍晋三に象徴される戦前回帰のコンサバ、ネオコンという名の私欲を貪るエセ右派の台頭が生んでいることは、だれもが承知している。

ただ、かつてのぼくが、世界観の転換に戸惑ったように、明らかにおかしいと気づきながら、それを認めることができない。おかしくても信じる、支持するという、明かな矛盾を自分の中で消化してしまうのだ。

ぼくの時代と違い、いまは新聞もテレビも、すべてのマスコミが、学校教育が新しい世界観へ押し出すのではなく、その消化作用に手を貸してくれる。

大江健三郎の小説に、社会党党首浅沼稲次郎刺殺事件をもとにした『セブンティーン』という作品がある。自己存在の証明を性的な男らしさに求め、右翼になろうとしてなりきれず、そうあろうとして事件に及んだ青年の孤独な葛藤を描き、右翼青年の話ながら、右翼よりも左派、とくにアナーキスト新左翼の学生たちに支持された。

17歳。その時間から受け入れらない、寄る辺ない自分の存在に気づき、憎悪を何かにぶつけるために生きるか、今まで信じていた世界の虚像を駆逐し、広く大きく、自由な世界観を獲得するか。

それによって、社会とのかかわり方や人と接する上でのふるまいが変わっていく。だが、その差は人々が想像するほど、実は、遠くにはない。

山上の犯行動機は、私怨だが、そのふるまいの結果論として、彼も意図せず、この国の醜悪で人々があえて消化してしまおうとしている歪な社会のリアルを露呈してみせた。

いまのこの爛れた国には、山上のように、どっちつかずのセブンティーンが増産されてつづけている。

許されない蛮行

安倍元首相へのテロ事件。この国のマスコミ、ジャーナリズムがいかに、国民の深層にある不満や不信と負のエネルギーを理解していないかがよくわかる反応だった。

「こんなことが日本で起きるとは想像もしてなかった。ショックだ」。そして、口を揃えて、「暴力による民主主義への暴挙」「許されざる蛮行」という。

親が子どもを虐待死させる。殺すのはだれでもよかったという動機不明の無差別殺傷事件。家族でもない男女がエセ家族をつくり、エセ家族の中での殺人事件を起こす。中学や高校生の家出少女や自殺願望の女性を監禁して殺害する…。そんな事件が起きるこの国で、テロが起きないと確信している脳天気さは、一重に、この国の底辺にある負のエネルギーの存在が見えていなからからだ。

 

古くは酒鬼薔薇事件や池田小事件、秋葉原無差別殺傷事件、渋谷での無差別殺傷事件があり、つい最近も通り魔殺人事件が起きている。対象が政治家や著名人ではなかっただけで、彼らの根底にはテロと同じ情動が潜んでいる。

民主主義という美名の中で、多数派であることがよしとされる社会は、同時に、そうではない人間、組に入れてもらえない人間を増産する。アメリカでの銃乱射事件から学ばない。はぶかれたと感じた瞬間、彼らには自己嫌悪感と自己否定、それがさらに肥大すれば憎悪しかなくなる。それが暴力への導火線となるのだ。マクロで言えば、世界基準とされてきた欧米民主主義と対立するロシア、中東の動向を見てもわかることだ。

 

抑圧された感情は暴力という形になって現前化する。この当たり前の現実が理解できていない。


しかし、それに加えて、判で捺したような、「許されざる蛮行」だ。そもそも国家主義や政権中心主義そのものが蛮行ではないかという自問と反省がない。

安倍政権以後、政党内、中央官僚の人事が一掃され、政権に都合のいい人事にすべて書き換えられて来た。政治資金規正法上の問題、山口での暴力団との癒着による事件、関係者によるレイプ事件もみ消し、森友や加計、桜を見る会など、安倍元首相の政治家生命が危うくなる事案が起き、その事案のいくつかの関係者から不明の死や事故死、自死を生んできた事実をどう考えるのだろう。

 

しかも、刑事訴訟や民事訴訟にまで発展した事案は、すべては、公明党とつながりの深い検察や安倍元首相とつながりの深い警察官僚の力で不起訴処分や捜査対象外とされている。事件の真相をマスコミが暴くこともなく、左遷された官僚の声、不明死の遺族、事故死や自死した遺族は、改ざんを苦に自死した赤木さんの奥さん以外、すべて口を閉ざしている。

 

安倍元首相がこの国の三権分立を壊し、行政官僚の自由な発言と活動を奪い、それらによって、利権誘導や利益背反を日常化した現実に、マスコミもジャーナリズムも、政治家も沈黙してきた。

それが戦後日本社会の歴史において、許されない蛮行でなくて、何だというのか。

テロ行為が正当だといってるのではない。だが、今回の蛮行を批判するなら、これまでマスコミやジャーナリズムが自公政権にしっぽをふり、政治家自身が保身に走り、国民の生活と負のエネルギーの実態に目を向けた政策をなにひとつ実現していないために起きている国民生活の逼迫の責任を振りかえるべきだ。

省かれた人間が自己否定の先に、政治的でなく、社会への憎悪として、テロと見まがう犯罪を起こすことは少しの想像力があればわかることだ。

その想像力、民衆の中に潜む負のエネルギーを生み出している自分たちへの自問と自戒が今回の事件で生まれなければ、同じ犯罪はまた起きる。そして、さらに強圧的、威圧的な司法の強化でこれに対応しようとして、単発的だった犯罪が組織化される危険を招く。

許されない蛮行を生んでいるのは、許されない蛮行とすることで、この国を覆いつつある負のエネルギーを生んでいる責任が自分たちにはないと、きれい事の正義をかざす、あなたたちだ。


希望の国

このところ、訳あって韓国映画を見続けている。

 

私だけではないだろうが、高度成長期から消費社会へ向かう過程を時間差で追いかけてきた、中国や韓国の映画は、あの時代に少年期から思春期、青年期を過ごして来た多くの日本人にとって、ある種、自分たちの時代を見ているようなノスタルジーを感じさせる。

中国が改革開放に向かい始めて数年の頃に、仕事で北京を毎月10日近く訪れていたことがある。

初めての北京で観たのは、私がまだ幼稚園の頃の日本の風景だった。そして、かつての日本の親たちがアメリカのような国を目指したように、私と同世代の30代の彼らが日本のような豊かなアジアの国になろうと希望と意欲に満ちて日々を過ごす姿がそこにはあった。

韓国映画が国内で一定の評価を得られるようになったのは、1999年に公開された『シュリ』インパクトが大きい。

 

韓流ブームの先がけとなった作品だが、日本の技術協力もあったとはいえ、CGの活用や俳優たちがリアリティを出すために実弾訓練や特殊訓練を受けるという、それまでの韓国映画、いやアジア映画にない取り組みをしたことで知られている。それゆえに、ハリウッドと遜色のない、アクションのスピード感、スケール感が話題になった。

だが、『シュリ』ヒットの背後には、そうした見栄えの部分ではなく、38度線で分断された国の悲劇と半島に生きる民族の相克がある。何事もないかのような日常を装いながら、しかし、国家にある矛盾や不条理、国民感情に深くある傷や葛藤といったものを描いていたからだ。

つまり、アクション映画とはいえ、自国にある問題と矛盾を正面から捉えていた。

2000年からこの20年に制作された韓国映画を観ていると、この姿勢がコメディにせよ、アクションものにせよ、時代ものにせよ、一貫していることに驚かされる。

当然と言えば当然なのかもしれない。

軍事独裁政権から民主化運動、さらに民主国家となってからも政権の弾圧と腐敗が起き、その度に民衆が立ち向かい続け、多くの一般市民や学生が生活権を守るために、いのちを落としてもいる。民主化されても、国民生活の格差は進み、持つものと持たざるものの葛藤と対立は常にある。その上、徴兵制があり、北の脅威が日常だ。

そういった社会で、国や政権、社会のあり方、生活のこれからに無関心、無頓着ではいられない。時代を映す鏡でもある映画や演劇、アートがそれと無縁でいられるはずもないのだ。

韓国映画には、程度の差はあれ、必ずどこかに主人公の家族が登場する。家族の登場シーンが多い作品には、親戚縁者から地域の古くからの関係者や年長者が現れる。テーマがなんであれ、それは、韓国社会にまだ、地域性や地域と家族のつながりが濃密に残されている証左だ。

土着性や土俗的なものが人々の生活の基本にどんと残されている。当然、面倒な付き合いもあれば、意見の齟齬や対立、食い違いも生まれる。濃密さゆえの傷つけ合いもある。だが、それらをひっくるめてすべて韓国映画はモチーフとしている。

それは、国や社会、地域、家庭が、そうした矛盾や葛藤、対立のあるものだということを自明としているからだ。同じでありたいが同じになりえない。だが、諦めずに違いの中でつながりを探す。土着性の否定ではなく、容認から次を求める。

韓国も同調圧力や画一主義の強い国のひとつだが、それに拮抗するように、これらの姿勢が一貫している。

だから、大企業の不正も大統領府や軍の陰謀も、現実にあった事件をモチーフとしながら堂々と描けるのだ。

ひるがえって、私たちの国のマスコミ、映画、演劇界は、この数十年、そうした題材やテーマを正面から扱うことを避け続けている。

韓国映画を観ていると、そこに痛みや哀しみはあっても、明日への希望を捨てず、巨悪や権力に立ち向かう姿がある。しっぽを振ることも、項垂れて諦めそうになることもある。だが、その弱さや無力感を土着的な力が支え、後押しして、立ち上がらせる。

おそらく、私たち日本人が高をくくっていた間に、韓国もその他のアジアの国々も、私たちの国が余計なものとして、捨ててしまったものをいまだ大事に持ち続けているのかもしれない。

それが、私が子どもの頃見ていた大人たちの姿。矛盾と葛藤の中で、明日への望みを捨てていなかった、希望の国の姿だ。

自分を覆う、社会の矛盾や力の圧力に屈してはならない。

 

なんで見えない

「なんで見えない、わたしわからない…」

 

名古屋入管で死亡したスリランカからの留学生、ウィシュマさんの亡くなる最後の言葉だ。死亡時、ウィシュマさんの体重は20キロも落ちていた。病状が現れてから、死亡するまでの間、適切な医療処置や入院搬送されていれば、失われることのなかった命。

 

体調の悪化が明らかなのに、入管の「処遇」といわれる担当者は通訳も介さず、彼女の苦痛を真剣にとらえるどころか、問いかけの際に小ばかにしたような軽口をたたき、退所したいための詐病としかとらえていなかった。

ja.wikipedia.org



その背景には、在留資格のない外国人、とりわけアジア、中東、中南米など経済的に貧しい国の彼らに対して、=犯罪にかかわるという偏見と思い込みがあり、「奴らは頭が悪く、悪事を働き、嘘をつく」と決めつけているからだ。そのため入管の施設は刑務所や拘置所に近い。これは先進国では日本くらいなもの。欧米でそれをやったら人権問題で大騒ぎになる。

詳しくは述べないが、日本の入管は、世界基準に大きく遅れ、基本的人権の視点からいっても、強圧的、威圧的で、国連の人権委員会国際司法裁判所に取り上げられたら完全にアウトな組織。

それが依然、組織のあり方や運営を問われずにいられるのは、一般国民と縁が薄く関心がないため、権力機構がお得意の情報の隠蔽、改ざん、操作が日常的に行え、それを監視する機関がないためだ。

じつは、私もかつて、ある中国人女性の帰国申請ビザがあまりに下りないので、成田にある入管まで直談判にいったことがあり、その一方的で強圧的、猜疑心の固まりの入管職員の態度に、まじキレしたことがある。

常々、彼女が在留資格に気を配り、入管に対して慎重だった理由がそのときわかった。

キレた私は、自分の父が彼らと同じ司法にかかわる警視正を務めていたことを伝え、「このままきちんとした不正の確証もなく、また疑った上に調査も行わず、父親の病気で帰国を申請しているのに受け付けないのは人権問題ですよ。場合によっては仕事柄マスコミともつながりがありますから、この事実を公開しますよ」と彼らの一番弱いところを突いた。すると慌てて上長が現れ、改めてこちらの言い分を聞いて来た。それからわずか1週間ほどでビザは下りたのだ。それまで一ヶ月以上申請は放置されていた。

いま、驚くほどの速さで円安が進んでいる。ウクライナ問題に円安が重なり、給与は全く上がっていないのに、物価高となり、参議院選挙後にはさらに物価は上がる。

正規雇用でしか働けない就労者が1000万人以上というのは人口比率からいって、先進国でも例がない。儲かっているのは人材派遣会社。人件費のピンハネで利益を得ている。

消費税は社会福祉の財源のはずが、生活保護や年金はカットされている。一方で大企業は内部留保を増やし、法人税は抑えられている。余剰資金は投資に回され、企業は自らの産業や新規事業、人材への投資といった本業の拡大ではなく、本末転倒な株で儲ける体質に変わっている。

子どもの貧困は親の貧困とパラレルだが、6人に一人は相対的貧困家庭にあり、大学進学への補助は貸与給付が主で給付奨学金は手薄なままだ。貧困と生活難は若年層から高齢世帯にまで広がってしまった。

岸田政権、自公維新国民は、この状況にきれい事の対策は言う。果ては、分配どころか、株式投資で生活を補強しようと一国の総理が恥じもなく、まともな経済政策も打ち出さず、責任を投げ出す。

だが、資本主義社会の要は富の再配分と国民生活の活力創造による内需と外需のバランスシートを保つことだ。間違っても株投資に国家財政をゆだねるものではない。本業や新規事業のないところに、発展も成長もない。あまねく人々が安心して暮らせる社会などまったく頭にない。だが、国民が求めるいるのはそれだ。

その希望がないから10代から30代の自死率が先進国でトップをいっている事実を見ようとしない。

自分たちの固定観念と世界の趨勢、時代の変化に対応できない思い込み。失策や失政、利益相反や利益誘導を見逃し、元首相の犯罪さえもみ消す。こわれてしまった行政、司法、立法機関は、国民生活ばかりでなく、こわれしまっている自分たちの姿さえ見えなくなっている。

ウィシュマさんの断末魔の言葉。「なんで見えない、わたしわからない」

その言葉は、自死した人々の声であり、東京オリンピック開催にこだわり、後手後手の対策で亡くならなくもよかったコロナ感染者、いま生活難にあえぐ、国民の声を代弁する声だ。

なんでこの現実が見えないの!?   なんで私の苦痛がわかってくれないの!?  そんな大事なことがわからない、あなたたちのことが、私にはわからない!

芸と芸術の間で

演劇の世界から映像の世界へ転向して間もない頃だった。

 

NHK主催の映像セミナーに参加したとき、NHKを退職してフリーとなり、基調講演に登壇した演出家の和田勉さんと話をしたことがある。

 

和田さんは、映画とは異なるテレビの制約された特性を生かす映像表現、「クローズアップ手法」を提言し、テレビの作品制作に新しい表現法を持ち込んだことで良く知られている。和田さんの手法は、日本国内にとどまらず、世界のテレビ局が制作するドラマやドキュメンタリーに強い影響を与えた。

特に、「女殺油地獄」「曽根崎心中」といった近松作品では、この手法は秀逸だった。出演している役者から憑依を引き出す手腕はもちろんだが、近松の描いた毒々しい愛憎とそれゆえに、情念にのた打ち回る、死に際の演出はクローズアップを使い圧巻だった。

近松作品のこと、向田作品のことなど、和田さんが手がけた作品について話をしているうちに俳優の演技の話になった。すると、それを聴いていただれかが、「いまは俳優とタレントの区分けがなくなっていきますが、それについてはどう思われていますか?」と質問して来た。いい質問だ。


すると和田さんは、こう答えられた。

 

「タレントというのは、本来才能を意味する言葉ですが、日本では芸のできる人ということでしょう。芝居もできるかもしれないが、テレビに出て何でもできる人ですね。ですが、演技というのは芸ではなく、芸術です。俳優というのは、なんでもできる人ではなく、それしかできない人のことです。だから、わざわざタレントではなく俳優という言葉が存在し、役者という職業が成り立っているのです。日本では、芸能と芸術が混同されるんですよ」

見事な答えだった。ぼくが演劇を続けて来る中で、役者にも語り、自分自身も演出し、脚本を書く人間として、そうあらんとしてきた言葉だったからだ。少なくとも役者は、何でもできるだれかではなく、役者しかできないその人でなくてはいけない。そうでないと、演技の質量に大きな差異が生まれる。

自分の多彩を発揮して、演技をひとつのカテゴリーとしてこなせる作品もないわけではない。しかし、才能をいろいろな分野で発揮したいなら、それは俳優でなくてもいい。何でもできる人が、そこで醸し出す俳優としての存在感や実在感は、明らかにそうではない俳優に引けを取る。それでは、演出家や脚本家が願った虚構のリアリズムを現前化できないのだ。

確かに、知名度や人気といったバロメーターが高ければ、その舞台、映画、テレビドラマを視聴する人間の数は増えるだろう。しかし、そこだけに依存すれば、作品を高めることよりもそれらが重要なる。

いまは、テレビにせよ、映画にせよ、コミック原作や小説で100万部以上発刊されたものでないと企画会議にも乗らない。しかも、そうした作品は、配給会社・広告代理店・スポンサー企業などの思惑が交錯し、キャスティングせよ、クルーにせよ、落としどころのよいとこで決まる。これでは、良質な作品が少なくなって当然だ。

結果、この土場に乗れない俳優や演出家、脚本家は、それ以外のなにかで糧を得るか、折り合いをつけて、作品性や質を問わないもので糧を得ようとする。それがまた、役者しかできないその人ではなく、何でもできるだれかに変えていく。

これは俳優やドラマの世界のことだけではない、美術にせよ、音楽にせよ、そうした選択肢の中で、糧を得るために、器用に身に付けた能力を切り売りするか、転売するようになる。

切り売りや転売でも、そこに芸術性が維持されればそれでよしとする道を否定はしない。広く、だれでも、気軽に芸術性にふれられる機会が増えることは、裾野を広げることにつながるからだ。だが、何事かを表現する主体であるならば、裾野を広げる作品だけではなく、その主体の描きたいテーマやこだわりの表象がなくては、辛くも均衡を保とうとしている芸と芸術のバランスはいつか崩れる。

世界が自分を受けて入れなくても、世界へ向けて表現を止めないこと、止められないこと。そのために自らの表現と向き合い続けることしか、いつの時代においても、良質といわれる表現は生まれて来ない。

大きな話題にはなっていないが、チャン・イーモウの『One Second』は、映画人にそれを改めて考えさせる作品になっている。


 

燕は戻ってこない

 

書籍をわずか数時間で読破したのは、五木寛之などの大衆小説を貪るように読んでいた、高校生の頃以来かもしれない。

新刊の桐野夏生著『燕は戻ってこない』。

www.shueisha.co.jp

決して短い小説ではないが、最初の1ぺ―ジで引き込まれ、午前遅い時間から読み始めて、夕方には完読していた。

 

折しも、5年以上前から女性の貧困をテーマに映画製作をやりたいと考え、短編ながら何とか上映にこぎつけ、劇場での先行公開が終わったばかりだったということもある。

扱っているモチーフ、視点が拙作のショートフィルム『一瞬の雨』(中島ひろ子主演)と同じだったからだ。

【一瞬の雨】 記事 – FOR THE ONE PROJECT

 

しかし、桐野氏は、そこに生活のために代理母という選択をするアラ30の女性を登場させ、格差の現実を声高にではなく、新しいいのちの誕生という女性ならではの視点と生理を織り込みながら力強く、鋭く提示している。

私の作品では、そこに夫の暴力から逃れて生活する母子家庭の困窮と生活のために性を生きる糧としなければならない女性性の現実を織り込んだ。

いずれも決して特質した事例ではない。普段着の顔をした貧困がじつはいまこの社会には深く厚い霧のように広がっている。

普段着の顔ができているのは、貧困を表立って姿形にすることへのためらいが自己責任という名の下に個人に押し付けれられていることがある。普段着を装っていないと、あからさまに社会の落ちこぼれというスティグマが押印され、仲間を失う。そればかりが、自分自身がそれを認めてしまうことで、自分で自分を見限るしかない怖さがあるからだ。

 

いつかここから自分の力で抜け出せる。それが自己を辛くも維持できる唯一の希望であり、死なないでいられる寄すがだから。

 

正規雇用でしか働けない、正規で働けたとしても給料だけでは生活できない低賃金労働はいま特別なことではなくなっている。しかし、いまのように、生活格差の実態が大きく分断された社会にあって、その現実を実感できる人とそうではない人の隔絶は甚だしい。

貧しく苦しい暮らしに直面している人たちが普段着を装っている限り、その実態が大きく社会の声とされることはない。

この国は長い間の管理教育の中で、自分の権利を主張することや誤った制度、社会構造へ異議を唱える力を子どもたち、大人たちから奪い尽くした。社会の不条理や不平等に異議を唱えることが誤りで、不条理や不平等による苦難は自己責任に置き換えられて来たからだ。

この国で革命は起きない。ぼくは高校時代から学生運動にかかわってきたが、団塊世代のように革命を信じたことはない。社会変革のために人を殺すことのできない革命は言葉だけの遊びだからだ。

本気でこの国を変えたいというなら、最終的な手段として血を流す覚悟なくして国を変えることなどできないのだ。しかも大衆の支持を得る形で。その露ほどの歴史のない国では、政治家がきれい事の社会改革をいい、それを権力があの手この手でつぶすという現実の社会とは程遠いところで、お子様ごっこのように議論し合ってるだけの国に過ぎない。

だから、ほんとに変えたいと思う人間は、巣から飛び立ったら、二度とそこへは戻って来ない。変えれらない人間たちの慣れあい、もたれ合いの世界にいるより、別の世界を探した方が早いと学ぶからだ。

 

 

一瞬の恋と犯罪

社会に自分の存在を示したい。他者に自分を認められ、評価されたい。

 

その願望は決して悪いことでも、恥ずかしいことでもないだろう。マザー・テレサが言うように、「人は貧しいからではなく、貧しいがゆえに、自分が社会からまったく必要とされていない。」そう感じるときに、切実に苦しみ、嘆くのだ。

 

承認の欲求は、あらゆる生命体に共通で、普遍の、種の存続という生物学的なそれだけでなく、いのちあることの充足感、安心感、幸福感といったもののと切り離せない。

 

満ち足りた感覚は、自己完結した個の世界では実現しようがない。他者という存在があって初めて成立する。かつ、他者といっても、自分という存在を損得や善悪、正誤の基準からではなく、丸ごと受け入れられ、同時に、近しくあっても敬意を持って、受け入れることができる存在としての、他者があってのことだ。

 

愛や恋愛関係が成立していなくても、セックスが成立するのは、生理的欲求であると同時に、この承認を便宜的に、かつじつに簡単に、代替えできるからだ。

不幸なことに、一瞬でも人は丸ごと受けられる肉体的安堵感に包まれたいと願う。手間暇のかかる面倒な恋という名の人間関係さえ抑止でき、無化できれば。

 

つまりは、社会、他者の視線から社会的動物である人間は自由になれないし、そのストレスと常に同伴し続けることが、生きるということだと言ってもいい。

しかし、残念ながら、世界的にも国内の実状から言っても、ぼくらの社会は、これをストレスフリーにする方向ではなく、より強める方角にしか進んでいない。地球環境しかり、競争原理にもどづく新自由主義しかり、それらの根源にある格差しかり。夫婦別姓への古典的な否定しかり。


生き方の多様性がもたらす、大衆から分衆、さらには孤衆へと、人が分断される時代に、そこに経済格差が追い打ちをかけたことで、個々のコミュニケ―ションストレスは、倍加している。

 

他者と醸成される信頼や愛、つながりといったものへの不信感の増大はこれに比例しているのだ。いうまでもなく、コロナ禍はそれをさらに前進させた。

家庭でも、地域でも、学校でも、勤め先でも、仲間内でも、そこに孤独はある。だが、まったく承認の希望がない孤独ほど、みじめなものはないだろう。

だが、このみじめさは、見栄や体裁、社会性という名のもとに、社会的無害な人間であろうと装い、内閉化されてしまう。そして、心の闇の中で、それは沸々と発酵し、やがて憎悪として爆発する。

簡単なことでキレる、アルコール依存による暴言、家庭内暴力性的虐待自傷とったものもやっかいだが、根源は自分という存在を他者に刻印するための承認欲求の行為という点で等しい。

 

ある日、普段の日常の延長のようにして、犯罪を行う。動機なき殺傷事件と言われるものも、実は、概そのような背景を持ち、それゆえに、多くの人々を巻き込む劇場型になる。

1998年神戸児童連続殺傷事件「酒鬼薔薇事件」が起きたとき、家庭、地域、社会、教育、国のあり方を変えない限り、これは再発するとぼくら(秀嶋と宮台真司斎藤環尾木直樹各氏)は警鐘を鳴らした。

社会へのテロと明確に意識していた酒鬼薔薇から、ますます透明性を増し、動機や必然性のない「殺すのはだれでもよかった」とする劇場型の殺傷事件が増大すると警鐘を鳴らしたのだ。その後、コピーキャットを含め、すぐにぼくらの危惧は現実になった。

京王線の無差別傷害事件。

小田急線での事件の模倣犯とみられているが、容疑者本人が明確に意識していないにかかわらず、衆議院総選挙投開票当日、ハロウィーン、コロナ感染の収縮の時期に、実行したことには、対他者、対社会に対する満たされない承認と憎悪が沈殿していただろうことは想像に難くない。

言葉があれば、人は別の形で否定を発露(表現)できる。言葉があることで体系と理論が持てれば、犯罪行動ではなく、違う形での行動へ転嫁できる。だが、格差によって生じ、深刻化している、人によって与えられる教育の落差と差異は、ドグマを内閉させ、爆発させる力にしか働かない。

ぼくらの世界、国、社会は、この20年程の間に、透明な膜の内側にいられる人間とそうではない人間の峻別を加速させてきた。それが限りなく透明であるがゆえに、自分がはじき出されていることをすぐに気づけないように、隔てて来た。

美しい顔をして、人を峻別する。従順なものには手を差し伸べ、そうでないものには自己責任を押し付け、地域や社会、行政、国政の責任はないものとして来た。逆らうもの、否定を突き付けるものは、社会から削除して来た。その姿は、国民に刷り込まれ、同調圧力として堅牢に共有されている。

防犯対策や刑事罰のあり方を考える前に、この国の、世界の、増産し続ける憎悪の海の根源にあるもの、それを生んでる社会、世界の実態と本質が何なのか。

そこから始めなければ、あらゆる地球的課題も世界的格差の問題も、家庭、地域、社会にある膿も、その姿を現さず、一瞬の恋と犯罪が人々の承認の代替えとして、憎悪の海に存在し続けることになるだろう

 

いっちゃえ、グランドデザイン

ぼくらは風景や景観、人物、対象物を正確に認識しているつもりでいても、物事、世界の捉えた方、見方、理解の仕方において、脳の経験則や民族的、個人的な体験記憶に縛られて、一応ではない。

また、近年の量子力学や宇宙物理学の研究でも明らかになっていることだが、現実(リアル)の認知は、Just Timeではなく、近似値でのそれであれ、誤差があることがわかっている。

もっといえば、非可換幾何学から素数の命題リーマン予想を解き明かそうとすると、世界は三次元ではなく、十二次元で構成されているという数式が浮上してくる。簡単にいえば、「私」が十二人いることで、ひとりの私がここに存在しうるという仮説式だ。これは、しばしば映画の題材としても使われている。

人類の歴史はこの捉えどころのない、他者、つまり世界と私をいかに正確(リアル)につかむかの悪戦苦闘の日々の連続といってもいいくらいだ。

ぼくらは、脳の認知も、量子力学も、非可換幾何も、日常生活には何のかかわりもなく、日々の暮らしには意味をなさないと思っている。それを知ったからとって、いまの生活がどうにかなるわけでもなく、よくなるわけでも悪くなるわけでもない…。そう考えている。

では、なぜ、この数十年の間に、デザインシンキングやグランドデザインといった言葉が生まれたのだろう。思想的発端は、知覚を現象学として捉えたフーコーなど哲学者たちだが、それがいまぼくらの日常にじつは現前化し、かつ生活に浸透している。

デザインという言葉が単に美術的、哲学的意味合いを越えて、構造や制度設計、システム構築、社会全体、世界そのもののあり方にまで、応用されるようになったのは、もちろん、ITの進展、デジタルの日常化、生活化、さらには、AIなどの人工知能の応用が背景にあるのだけれど、デジタル文化の広がりによって、情報とこれに基づく、作業仮設の実証が視覚化できるようになったことが大きい。

これまでアナログとして人間の手作業や勘に頼っていた視覚化の作業が、デジタル化によって容易で、かつ一応の平等性を持てるようになった。それは同時に、情報の公開と無償化をもたらした。だれでも、いつでも、どこでも、情報に無料でアクセスでき、それを自由に活用できる。そうでないと経済そのものが活性化しない時代になっている。

格差の中で、辛うじて社会からスポイルされそうな人々をつなぎとめているのは、スマホであり、よしにつけ、悪しきにつけ、そこで得られる無償の情報だ。

自治体や広域行政、政府、政権、政治の問題がこれもよしにつけ悪しきにつけ、議論される場を辛うじて国民に提供しているのも、WEBやSNSの無償の情報だ。

いずれもテキスト、画像、動画など視覚化されるもので成立している。

デジタルネィティブだけでなく、あらゆる世代に、いまやリアルな日常の不確かさを補完するための重要なツールとしてそれらがあり、政治家、評論家、ジャーナリスト、マスメディアなどが発するマスを対象とした情報(いまマスという対象そのものが存在しないのだが)より遙かに、人々は広く情報にふれる機会を持っている。もちろん、フェイクやポピュリズムが溢れるのは、そのせいでもあるのだけれど。

リテラシーの問題はとりあえず置くとして、広く情報にふれる機会が日常的になった分、だれにとっても適切であるグランドデザインというものがあるらしいことを程度の差はあれ、多くの人々がいま直感しているとぼくは思う。

SDGsの広がりもそのひとつだし、格差の是正、資本主義に代わる新たな経済理念やシステムへの切望もそれだ。データを見れば、地球環境の悪化も格差も、紛争や戦争、分断や対立もその要因がどこにあるか明白だ。

何とかファーストや既得権益を守ろうとする利己では、適切なグランドデザインを実現する障害にこそなれ、生み出す力ではないことを人々は知っている。

知っていながら、グランドデザインが見えないために、これまでのアナログな何かで凌げるのではないか、とりあえず、これまでの手作業的アナログデザインや言葉だけのグランドデザインらしきもので代替えしておこうという大衆心理も広がってる。

デジタル庁の不祥事とデジタル庁の社会的意義とがコンフューズしているのは、まさに、その象徴だ。威勢のよかった岸田首相が総裁選の途中から安倍、麻生の傀儡に沈んだものその典型といっていい。

ましてや安倍・麻生連合政権下の不祥事や通常なら立件されて当然の犯罪が不起訴または、不問にされているのも、新しい社会、世界のグランドデザインが見えないことがひとつの要因としてある。

確信が持てないのだ。世界に呼応して、新たなグランドデザインを社会、国の基本に置き換えることに不安なのだ。目に見えるものを絶対リアルとする信仰にはまっているから、当然そうなる。

戦後の経済成長の成功事例から見てもわかるように、一部修正や一部補完で国家運営はなんとかなって来れたのだ。だが、そうしたものがまったく通用しない。しないのではないか…。東日本大震災でも、今般のコロナ禍でも、その現実は明らかになっている。

しかしながら、ここまでコケにされ、アナログ的手作業デザインでは無理だ、なんちゃってグランドデザインは、圧力の前で無形だとわかりながら、目に見えるものにすがる絶対リアルから脱しようとしない。絶対的リアルなど存在しないし、そこに価値を置くことに何の意味もないことがわかっていないからだ。

呼吸のしやすい社会、生きて行くのがしんどくない世界。リアルだと思っている日常からそれらは生まれないし、つくり出すこともできない。グランドデザインとは、いまのリアルを否定し、無邪気な子どもが持つ、ありえないと思える想像力からしか誕生しないのだ。

What people can imagine can always be realized by people

「人が想像することは必ず人が実現できる」

ジュール・ガブリエル・ヴェルヌ







 

 

巫女の肖像

胎児性水俣病患者、上村智子さんの写真を初めて目にしたとき、言葉をなくした。高校生ときだ。

(胎児のときに母体が取り込んだ有機水銀が母体を通して胎児に堆積し、有機水銀を摂取した母体ではなく、胎児に重篤な水銀中毒症状が発症する。これを胎児性水俣病という。)

 

あの黒バックに浮かぶ彼女の姿が、日本人ではなく、アメリカ人の報道カメラマンによって撮影されたものだということを当時、ぼくは知らなかった。

 

胎児性水俣病患者は、当初、症状に類似性があったために、チッソ側の情報操作で、脳性麻痺(小児麻痺)と診断され、チッソ工場から排出される有機水銀との関係は否定されていた。彼女だけでなく、発症は隠蔽され、症状によって、リュウマチや神経痛などあらゆる類似する病名に置き換えられていた。

 

熊本県内はもとより、隣接する鹿児島、佐賀、福岡などで、熊本県水俣市での俗に「水俣病」については、以前から知られていながら、その正確な症状とチッソ水俣工場の不知火湾への有機水銀大量放出との因果関係まで明確にされていなかったのだ。

 

原因不明、症状の悲惨さ、悲劇性から、多くの人々は、目を背け、政治も行政も雇用を生み、地域の活力につながるチッソ水俣工場(新潟チッソしかり)を加害者とする被害者組織に冷徹だった。

 

病名の統一性のなさ、発症件数の多さは、逆に、差別を生む元凶となった。福岡にいたぼくは、よく覚えている。水俣特有の遺伝病という噂が広がった。しかも、ふれると感染する…。かつてのハンセン病と同じ扱われ方だった。

 

中学、高校の頃、大人たちが、カネミ油症公害事件と同じく、水俣のことをまるで口にしてはいけない悪所のように噂する風景を何度も見聞きした。

「汚染した魚を食いよう奴が悪かとたい」「あんな病気になるのは、貧乏で腐った魚も食べてしまうけんたい」「あげなふうになるとは、遺伝たい。水俣の人の因縁が悪かけんたい」「水俣なんか行くとこやなか」「金のほしかけん、関係ないもんまで裁判しようろうが」といった、無知からくる偏見と差別、被害者側を批難する声が大勢を占めていた。

1973年、熊本地裁で第一次水俣訴訟が勝利した。あの日のことは鮮烈にぼくの記憶に残っている。このブログでも何度か紹介している。その報道を見ながら、父と議論になり、ぼくは父からボコボコに殴られたからだ。

ぼくは言った。「この人たちの犠牲の上にぼくらの生活は成り立っている。もしかしら、博多湾で同じことが起きていたかもしれないだろ! ぼくらの代わりに、この人たちが犠牲になってるんじゃないか!」

父は言った。「水俣の人間に世話になった覚えも、犠牲にした覚えもない!」

ぼくは畳みかけるように、きつく言い返した。「そういう言い方は、非人間的だ!」

すぐに、父の鉄拳が飛んで来た。やり返すこともできたはずだが、ぼくは父を殴り返すことができなかった。尊敬する父だったからだ。

父が激昂したのは別の理由があったからだと後で知り、自分の思慮の足りなさを反省したが、以来、ぼくと父には、親子の情愛とは別に、長い間、埋め切れない見えない溝が遺されたと思う。

 

晩年、父と男の終末について明るく語り合い、迷惑かけ通しの自分の人生を詫びることもできたが、父に最後まで心配させた、ぼくの中の見えない溝は父が亡くなってからも引きずっている。

映画『MINAMATA』の公開予告を知って、すぐに観ようと決めたのは、きっといい作品に違いないという確信と、あのときの父とぼくの間に生まれた溝が何だったのか、確かめるためだった。

水俣は、その後も政府の中途半端な対策で被害団体の人々は翻弄され続けている。とりわけ、この20年ほどの間に、社会の暗部として現前としてある公害問題が闇に葬られ、本来糺すべき、政治や行政、企業の問題を問うことをしなくなった。福島第一原発事故もそのひとつだ。

いま世界的に問題になっている海洋汚染、マイクロプラスチックの問題も、そもそも、チッソなどビニールやプラスチックの原材料を提供する企業があってのことだ。

父たち世代は、戦中戦後の貧しさを知るがゆえに、高度成長をよしとし、明日食べるものに困らない生活をつくり、守ることのために全力で必死に働いた。それは自分のためでもあるが、それ以上に家族、子どもたちのためだ。そうすれば社会はよくなると信じたからだ。だが、そのために見ないようにしていたこと、見ていても顔を背けようとしていたことがあった。

おそらく、クラッシック好きで、洋画好きだった父が、映画『MINAMATA』を見れば、いい作品だというだろう。だが、「よく映画にしたが、日本人ではこの映画はつくれんかったばい」というに違いない。

こうした映画がつくれない国、国民の限界を父はよく知っていた。子どもの頃からの父との折々の会話を思い出すと、警察官であった父だから見えていた、この国、社会のしくみの現実への冷静な視点がいつもあったからだ。

そうあってはならない。だが、このしくみは変わらないという諦観だった。権力機構の中にいる人間だったからこそ、そのパラドックスは痛感していたのだと思う。

だが、ぼくが高校生のとき、衝撃を受けた上村智子さんの写真。その力。ぼくは、それはあるべき社会や世界、人々のあり様への透明なメッセージだったと思う。

確かに、国、社会のしくみも、日本人が底流に持つ偏狭さや画一性からくる排除の暴力は土俗的なものと結びつき、DNAにまで組み込まれた、この国の、人の 悲しい現実かもしれない。枠の中からはみだし、声をあげれば、その内容よりも、やっかいものとしてのスティグマに晒されるだろう。

 

だが、もういい加減、そのパラドックスを容認する世界から、あるべき未来を示す透明なメッセージに、子どものようだと笑われても答えてみてもいいのではないだろうか。

 

上村さんの写真は、神聖なるものへの橋渡しをする巫女のように、ぼくらに手を伸ばしている。それを受け取るか受け取らないかは、あなたの自由だけれど、その方がもっと生きやすい社会、時代だと思うのは、ぼくだけなのだろうか。

この溝をそのままにしないためには、ぼくらが苦しくともその地平を拓くしか道はないのだ。ジョニー・デップがこの映画をつくったのも、そのためだったとぼくは思う。そして、ぼくが父と埋められなかった溝もそこにあり、そうすることでしか埋められないものだったのだ。

ぼくは深い溝を挟んでしか、父と会い続けることができない。父が諦めていたことを生きること、それがぼくが父からもらった、ぼくの生きる道なのだ。

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映画MINAMATAパンフ