秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

サマリア人の悲喜劇

穏やかな人、物静かな人、やさしい人、いたわりのある人…。多くの人が思う善き人とは、そうした人のことだろう。

確かに、笑顔を絶やさない人や言葉のやわらい人、ゆったりした空気感のある人に出会うと、人の心は落ち着く。

だが、それができるのは、主張をひっこめ、他者との諍いや口論、議論を避けるからこそできるという一面もある。

あるいは、他者への否定や競争心、虚栄心、怒り、不満、不平、愚痴、悪意といった悪感情を表に出すことが得策ではないという計算がある場合もないとは言えない。

無難に他者と付き合うための作法として、善き人であろうとすること。それは、協調性重視という同調圧力容認の社会生活で、この国の大半の人々に歴史的に刻み込まれて来た作法だ。

つまりは、他者や集団からの排除、否定、さらにはいじめに遭わないために生まれた処世術という名の画一性への隷従と主張の放棄、抵抗する意志の消去。

 

確かに人と議論することも、主張をぶつけ合うこともエネルギーがいる。エネルギーがぶつかれば、口論にもなれば、喧嘩にもなる。諍いや言い争いに耐えるにも、そこにまたエネルギーを必要するだけでなく、これに立ち向かえる耐性がいる。

そんな面倒なことをして、他者や集団からの排除やいじめ、それによる不利益や孤立に追いやられるなら、しないにこしたことはない。そう考えるのもわからないではない。

この国には、他者や集団に対してNOを突き付けて、それが正しいものであったとしても正当に社会的評価を享受できた成功事例が極めて少ない。

異論反論が正しいものであったと認められ、制度やシステムの欠陥を糺すことができたとしても、それを主張した人間や団体には、「うるせい奴ら」のレッテルだけが残り、社会の枠組みの脇に追いやれる、無言の排除に遭うという憂き目の事例は少なくない。

なぜなら、いつの間にかトンビが油揚げをさらっていくように、制度やシステムの刷新は、それをして来なかった輩の裁量に置き換えられてしまうからだ。

だから、この国には、益々、善き人が増える。善き人の範疇に入らない人は、クレーマー、人格障害発達障害、心の病んだ人、ひと昔前なら共産主義者無政府主義者へ蔑視、アカといった社会適応能力の欠けた「うるせぇ奴ら」「面倒くさい奴ら」という枠にくくられてしまうのだ。

多様性と共存などと、オリパラでも国連でも、政治でも美辞麗句をいいながら、この社会的慣例とさえいっていい、この国を構成する人々の意識のあり方は、まったく逆方向にしか向いていない。

善き人の増加は果たして社会や国、世界のためになることなのか。

キリスト教の重要な教義の実践は、汝の隣人を愛せよだ。そのたとえとして、善きサマリア人が他の人を救済する姿を聖書は語り、その惜しみない慈悲の大切さを述べている。

人は自分が善き人のひとりであろうとする。それは悪いことではない。だが、善き人であろうとすることで、地域のあり方、社会のあり方、国、世界のあり方への無言の承認、それぞれにある課題を問題視せず、盲目的に受け入れてしまう人間を増大させている。

この時代、どの分野でも、どこでも分断と対立は当然起きる。分断と対立はいま必要だから起きているのだ。環境問題を含め、アフガン情勢を含め、あらゆる世界での出来事、この国で起きているお粗末なコロナ対策も、起きるべくして起きている。

大切なのは、この分断と対立に目を向けること。そして、その要因は何が生んでいるのか、何が問題なのかを考え、議論することだ。それなくして、いくら善き人が増えても、世界に、この国に、社会にキリストが願った善きサマリア人の慈悲の正しい実践は生まれない。




砂の器のオリンピック

連載小説『砂の器』が出版されたのは、いまから54年前。1967年のことだ。

ハンセン病患者への差別を背景とした、その小説は、映画化もされ、テレビドラマ化もされた。

だが、1974年、映画は芥川比呂志のテーマ曲とともに大ヒットしたが、映画化の際には、人権団体からハンセン病への差別を助長すると猛烈な抗議があった。テレビドラマ化の際には、主人公の父親がハンセン病患者だったという重要な背景は削除され、猟奇的な殺人犯であったという筋書きに書き換えられている。批判を恐れた、テレビ側の自主規制によるものだ。

結局、松本清張が提起した差別の持つ慟哭の深さとそれ故に、己の出自を隠蔽してまでも、まっとうな人生を歩もうとする被差別者の屈折した心情、そうしなければ、まともな仕事につけない被差別者の現実を多くの人に知らせる手段は薄れていった。

腫物にさわるようにしか、差別の現実をとらえることができない。

それは、長く、この国の人権問題に横たわってきた大きな課題だ。同和(被差別部落民)にせよ、在日(朝鮮半島・中国からの移住者)にせよ、身体障害者知的障害者ハンセン病患者、公害病患者、被爆者、アイヌ民族、沖縄出身者、母子家庭、父子家庭、受刑者、児童養護施設出身者、風俗に従事する女性、同性愛者など、差別を受けてきた、あらゆる人々への視線、ふれあい方の所作、言葉かけのすべてにおいてそうだ。

だが、それは人権擁護団体側の課題でもあった。「差別者に被差別者の苦悩がわかってたまるか」。「自分たちの都合のいいようにオレらを利用するな!」。「まともな勉強もしないで差別を語るな!」…。

 

長い歴史の中で、騙され、謀られ、利用され、操られ、傷つけられてきたからこその言葉だが、それが逆に、差別の現実を広く知らしめる大きな桎梏となってきたのは紛れもない事実だ。

 

ぎこちなくしか被差別者との接点を持てなくしているのは、被差別者の現実を小説や映画、テレビで描こうとする度に、越えられない壁としてしか存在しなかったからである。

確かに、無学と無知が差別の最大の要因だ。それゆえに、十分な学びや知識もない人間に、差別の現実が正しく捉えることができる保証はない。それは、差別を助長し、差別の現実を歪曲させる危険もある。

だが、だからといって被差別者の現実と被差別者の現実を広く人々に伝えるという啓発とは同じ地平で議論されるべきことではない。まして、島崎藤村『夜明け前』のように、あるは、米国黒人文学の巨匠ボールドウィンのように、それが芸術であればなおである。

また、いまでは、かつて被差別者とされてきた人々だけでなく、格差によって、これまで被差別者とされていなかった、多くの人々が貧困や生活苦にあえぎ、社会から放逸さされているという現実が広がっている。

被差別者は、これまでの長い、つらい闘いの過程で勝ち取った国から補償される補助金や生活支援金を受け取れるが、その枠組みには入れない人々だ。

松本清張がこのハンセン病をモチーフにして描いた作品のタイトル。『砂の器』は、そうした社会の本質、被差別者VS差別者といった単純な二極対立の図式では描き切れない現実をえぐろうとしたからこそ、生まれたものだろう。

あと数日に迫った東京オリンピックにおいても、五輪中止を叫ぶ反対者もいれば、五輪賛同の人々もいる。また、ここまで来てしまったのだから、やるしかないだろうと極めて消極的ながら受け入れる人たちも少なくない。そして、政権が考えるように、国民なんて始まってしまえば、熱狂して、肯定的な感情に傾くだろうと高をくくっている人間もいる。

だが、このコロナ禍において、その多様な意見を生み出してしまった東京五輪は、いまや「砂の器」化している。

子どもたちが海辺の砂でつくったお城や人形のように、それをつくりあげるまでは無邪気なだけでいい。遊んでいればいい。しかし、ひとたび満ち潮になり、波がせまれば、それは、ただの砂に戻されていく。波の去った後には、何も残らない。

人権とそれを生む社会を考えるとき、また、ぼくのように、それを知らしめ、共に考えることを映画という世界でやる人間にとって、つくることが大事なのではない。つくったことによる責任を果たすことの方がはるかに至難で、大切なのだ。

多様な意見が飛び交い、そのひとつひとつと向き合い、自らも問い、つくり上げる苦楽の向こうに必要なのは、それがあってよかった、よくぞ自分たち被差別者の現実を正しく伝えてくれたという当事者の声であり、桎梏となっていた人権団体に胸を張って、あるべき啓発の姿を堂々と示すことができるかどうかなのだ。

そして、同時に、まったく差別問題や人権問題に関心もなかった人々でも、ひとつの映画作品として受け入れられ、映画を観たことが何かの契機となり、差別や人権の問題を他人事としてではなく、自らの生活に照らして、わが事とできる道を拓くことなのだ。

そして、自分の生き方として、生活として、映画にした人の権利を蹂躙する側には、決して回らないという決意と実践だ。尊厳や権利が蹂躙されれば、迷わず闘うという意志と姿勢だ。

残念ながらというか、当然のことだが、コロナ禍の中、世界の現状を無視して強引に開催される五輪は、いまやその本質を失くしているばかりか、あるべき理念も大儀も建前だけで、拝金主義と虚飾に満ちたアッパークラスのお遊戯会になっている。

以前にもふれたように、資源枯渇型の資本主義の成功を賛美する五輪は、もはや波の後には何も残さない。つまりは五輪のように競争の勝者、強者を賛美することが大きな眼目となったイベントは、この世界の現実の前に、あまりに無力だ。いかに敗者への賛辞や共感があろうと、金メダルをとるという1点において、五輪は資本主義社会のシンボルでしかない。

逼迫する地球環境、政治不安を含め、コロナ禍の現実を前に、世界の人々は、波にさらわれる砂の器に感動はしない。

感動するのは、東日本大震災のあのときの、あの慟哭。コロナ禍でいのちが奪われたとき、そしていまも奪いつづけ、世界を覆いっているこの慟哭と対峙し、この世の果てしない矛盾、理不尽さに刹那のように、見える未来への明日への光だけだ。

 

アスファルトをはがして種を撒く

大学4年のとき、友人のひとりが言い出して、大学西門の早稲田通りに面する蕎麦屋の二階で勉強会をやることになった。

 

当時、文学部の教養は2年。そこで出会い、専攻に分かれてからも何かとつるんでいた仲間6人で、それぞれが専攻に進んで学んだとこ、研鑽を積んだ実績を発表し、意見交換しながら、文集にまとめようというのだ。

いまにして思えば、じつにまじめな学生たちだ(笑)。だが、思い返せば、ぼくらは集まる度に、政治・経済・社会問題や文学・哲学・文化芸術について、いつも熱い議論ばかりしていた気がする。 いわば、その議論に後れを取らないために、アルバイトの傍ら、本を読み漁り、専門分野での学びやぼくで言えば、演劇に邁進していたようなものだった。

 

そして、結果的にそれぞれが専攻で学んだことの延長にその後の人生を歩んでいった。

その頃、丁度、第二次オイルショックの頃で、ぼくは英文学や演劇の話ではなく、原発化石燃料に依存しない社会のあり方について発表し、後に広告代理店に就職した友人と議論になったことを覚えている。

 

過剰に地球環境を阻害しない道を探るべきだというぼくの考えに、友人は、「経済発展ためには、やむえないことではないか。オレは暮らしの質を下げることはできない」という趣旨のことを言って反論した。「生活の質は物の豊かさだけで決まるのか? 発展成長とは何をしてそういうのか、もっと別の視点からとらえ直すべきだ」ぼくはそう返した。

いくつかのやり取りの後、「都市の暮らしで、食の流通にもエネルギーがいる。それが使えなくなったら、お前はどうするんだ」という彼に、ぼくは、「そのときは、都会のアスファルトをはがし、土を耕すのさ」というと、全員爆笑した。ぼくは大真面目だった。

宮澤賢治を学んでいたこともある。だが、第一次エコロジー運動の残した課題は、まったく解決しないままなのを第二次オイルショックは世界に突き付けているような気がしていたのだ。

このままではいずれすべてが立ちいかなくなる。その危機感だけは仲間の誰よりも当時持っていたと思う。それはいまにして思えば、今日の課題でもある資本主義の限界を乗り越えるためには、脱成長しかないといういまの考え方の起点になっている。

脱成長といっても、アスファルトをはがして種を撒くということではない(笑)。それは、議論展開で勝利するための極端な譬えだ。だが、都市に農地をつくることは不可能なことではない。

現実に、マンハッタンの古いビルを買い取り、その屋上を有機栽培の農場にして事業化し、ビジネスモデルが誕生している。古いビルのオフィスは、ベンチャー企業NPONGOなど市民運動団体が廉価に使用できるパフォーマンススペースになっている。

これを友人の港区議にも話し、港区条例として天空農地、太陽光発電をゼネコンや開発企業、ビルオーナーに義務づけようと提案している。

脱成長とは、都会とはこういうもの、地方とはこういうものといったこれまでの枠組みや固定観念から自由になり、環境にこれ以上付加を掛けない、新たな生産集団やエネルギー消費に代替えさせない流通システム、循環型の消費システムを創造するということだ。

地域・地方の活力回復をスモールDXで創造し、これを都会の消費者と結ぶことだ。そこは都市生活者のふるさととしての機能も持つ。消費の循環と資源の循環を大規模展開ではなく、小規模なスモールスマートシティ化し、ネットワークで結ぶと、これまでのような自然搾取型の資本主義から市民協働社会主義に形を変えることができる。

それは、現在のグローバル経済や富の偏重を変え、普通の生活がだれにでも保証される社会への変容につながるはずだ。いま、デジタル庁が問題になっているが、オープンデータの活用も、スモールスマートシティにおける新しい人の協働作業、協働組合によって、より活用の実が生まれる。

東京五輪などという終わりつつある資本主義の幻影を求めるイベントに国税血税を費やすくらいなら、コロナ禍後の未来のために、ぼくらは、アスファルトをはがして種を撒く。そこに税を投入し、税を市民に奪還する。








 

 

人新世のオリンピック

人には、見たいものしかみないという、心のメカニズムがある。

 

危機的状況に追い込まれるほど、この装置は巧みに作動する。現実からの回避や逃避行動をとることで、危機をないもののようにデフォルメしたり、透明化する、あるいは、代替えのできる何かへ意識を向けて、存在しないものにしてしまう。

 

大小の違いはあっても、ぼくらは往々にして、傷つくことへの恐怖から、道をふさがれることの焦燥から、孤立や変化への不安から、自己否定を逃れたいという欲求から、ごく自然にこうした心の所作をとっている。

 

人が変化を求めながら、変化が眼前に迫ると、過去の成功事例や慣例にこだわり、安全だと信じられている道を探ろうとするのもそれだ。

 

しかし、実は、その過去事例や慣例どおりにやっていれば、すべて安全で、うまくいくというのは神話なのを知っている。なぜか。すべてがいままで通りで問題がないのなら、いまそこにある危機は誕生していないはずだからだ。

だが、危機が大きければ大きいほど、パニックになればなるほど、装置の働きは強くなり、いつか見ていないのではなく、実際に危機はないのだというところまで、装置は加速し、「ない」が定着してしまう。この国の明治以後の戦争への歩みはすべてこの装置が働き、無学で無知な国民が率先して戦争を煽った。

コロナ禍における東京オリパラへの国、都、JOCの対応もこれに同じだ。いまは政治家そのものが無知で無学であるばかりでなく、虚栄と汚濁の固まりだから、おバカな国民に煽られなくても、やれてしまう。

科学的根拠も安全の保証もない、緩み切った強硬開催と開催における対策を見ればわかるだろう。彼ら及び、それを支持するオリパラ関係者、アスリート、国民は、見えていないのではなく、見ようとしていないのだ。見たいものしかみてない。

 

だから、中止の声にも無観客の声にも耳を貸さない。対策はじつに中途半端でいい加減になる。危機と向き合う意識そのものが欠落しているのだから、そうなって当然だが、じつは、このメカニズム。今回、もうひとつの破綻へ向かう姿を見事に映し出している。

 

オリンピックが商業主義に落ちたとIOCを批難する声もあるが、それは認識が浅い。

そもそもオリンピックは資本主義社会の成功を象徴し、これを賛美する世界イベントだ。商業主義はいまに始まったことではない。これは社会主義を標榜する中国を含めてだ。実体は資本主義経済の枠組にいる。

 

世界平和といいながら、紛争国や難民問題、人権問題、貧困国への国際的課題をスポーツの祭典という美名にカムフラージュし、さもスポーツだけが国際課題を乗り越える道かのように扇動する欺瞞性に満ちたものだ。裏では莫大な資金が湯水のように使われ、ある限られた人間たちや団体に流れ込む。

 

最貧国や経済弱者のサウスアースの人々には、十分な練習設備もなければ、アスリートを育てる充たされた資金もない。その格差を当然とする中で、持てる国がメダルの大半を獲得し、それに世界的企業が金を稼ぐためにサポートする。最貧国や経済弱者の国からメダルがでれば、それを美談として、これもコマーシャルに利用する。

だが、コロナ禍は医療における世界的格差を通じて、持てる国とそうではない国、持てる地域とそうではない地域、民族を可視化させたように、IOCの欺瞞を世界の人々にあからさまに映し出した。

 

それは、IOC及びそれにつながる各国委員会、競技団体がじつは、資本主義、拝金主義の象徴であり、すでに崩壊に向かっているこれまでの資本主義の限界を示しているからだ。

 

高額な資金を投入し、国の経済に大きな負担をかけるオリパラの国際社会における無効性、終わっている資本主義の幻想を必死に世界に発信しようとするものでしかないという現実だ。

国連のSDGsがすべて正しいとはいわないが、持続化可能な社会、世界のために取り組むべき資源や環境の問題とはまったく対極にあるのがオリパラだ。コロナ禍は、じつはその事実を現前化させた。

 

2020東京オリパラの問題は、じつは、人類がこれまで幸福の基準としてきた豊かさとその象徴であった資本主義の終焉をコロナ禍を通して、提示している。オリンピックといえば、すべてがまかり通った時代はこの東京で終わりを告げるだろう。

だが、そのために、東京は大きな犠牲を強いられることになる。

それを許したのは、政治にも、社会にも、世界の現実にも、そして、2030年に到達目標としているCO2削減にも到底現状では届かない、資本主義社会が破壊した地球の現実ににも気づかず、関心を寄せない、あなただ。




もたれあいの国

高度成長期から消費社会へ移行し、バブル崩壊の過程で常に言われた言葉がある。

護送船団方式からの脱却」という言葉だ。記憶している50代以上は少なくないだろう。

要は、業界毎の談合容認や国の施策としての業界保護から、自由競争へ。排他的だった業界の解放によって新規参入による競争意欲を高める。といったものだ。

背景には、グローバル経済において、国内レベルの競争力と業界もたれあいで満足していた日本式経営では、今後、海外の多国籍企業に太刀打ちできないという認識があった。

すでに破綻し、寡占主義による世界的格差の元凶に置き換わったグローバル経済の是非は置くとして、この排他的な政財界の業界癒着を破壊することは自由経済の本来の姿であるべきだったし、ベンチャービジネスの促進という点においても決して否定するものでもなかった。

が、しかし。

これに見合う国政の変革は棚上げされたまま。市場の自由化と企業の改革は、競争至上主義に変わっただけで、業界・企業構造とそれらを生む制度設計やシステムは何ら変更されないまま今日に至っている。

そもそも「護送船団」の解体のために必要なのは、監督官庁や政策決定機関である国会と行政府の財界や既得権集団との決別と自立が必要だったはずだ。自律的で解放された市場の形成と国政改革のためには、それに見合う、もたれあいから自由になれる補償が必要だったはずだ。

つまり、国政、広域行政、地域行政においても、企業間、企業内においても、これを解放するための行動の自由、発言・意志表明の自由、表現の自由、選択の自由、探求する自由。そして、構造改革とこれらを実現するためのコストの容認だ。

ところが、小泉政権以後、アメリカ隷従の形で進められた自由競争の市場主義は、サッチャーのごとく、自立自助だけをいい、そのために必要なコストと自らの改革は先送りしてきた。

結果、いまこの国には、依然として、葬ったはずの「護送船団」が悠々と監督官庁、国政、財界の癒着構造を肥え太らせ、自助は国民、公助は自分たちという、まか不思議な国の姿をつくり出している。

このもたれあいを象徴するのが、いまは日常化してしまった、批判的な意見、改革へ向けた発言をねじ伏せ、まともな政策議論をしないというご飯論法やかみ合わない政策議論に現れている。

常識で考えれば、普段の会話では通じない回答が、ここでは異様とは感じられない。

なぜか。それは、監督官庁、国政、広域行政、地域行政、財界、その取り巻きが、もたれあいというぬるま湯にもう30年近くどっぷり浸かったままで、自分たち護送船団の常識が現実社会にも、あるいは国際社会にも通じるものと驚天動地な勘違いをしているからだ。

それはまさに、高度成長期時代の成功体験そのまま、終わってしまった制度設計の上に座りながら、それが砂上の楼閣と気づいていない果てしない無知さの表れでしかない。

だが、悲しいことに、これを支えているのは、選挙にも、政治にも、世のあり方にも諦めと言い訳しかもたない、主権者意識のない、もたれあい国民の成せる技だ。自ら市民政治を拓くことのできない、もたれあい国民による、もたれあい国民のための政治。

グローバル主義を打破できるのは、自分たちの文化や歴史にこだわるパトリオティズムだが、残念ながら、それは新自由主義を打破する武器ではなく、仲間内でぬるま湯につかった日常の満足を満たすただけのものでしかない。

壊すことも変えることもできない、もたれあいしか知らない、あなたたちがつくる、私たちだけの素晴らしき国、世界。










 

風のない大人たち

ぼくはいつも風を感じる、風のように生きていたいと思う。

一つ所に留まらず、変化を恐れず、だれかの尺度や世間の下世話な噂さ、他人の評価ではなく、自分の納得する生き方を自分の手で拓いて生きるためだ。

「いい歳なのに、子どもみたい!」とよく人に言われる。子どもみたいで何が悪いと、その度にぼくは思う。

風を感じる。風のように自由に生きる。それが子ども染みているというなら、風を感じることも、風になることもできない大人とは、なんという俗物で、つまらない人間たちだろう。

風は気ままだ。

そのとき、折々に吹く風に違いがある。方向も同じじゃない。激昂したように吹き荒ぶこともあれば、癒すようにやさしく撫でることもある。

いろいろな風があるけれど、風がある風景とそこにあるいのちの景色に身を置くと、言葉や表象ではなく、物事の本質を透かして見せてくれるようにぼくは感じる。

 

思春期の頃から、内実がないのに落ち着き払って、世界のすべてを知っているかのような顔をしている大人たちが大嫌いだった。ほぼ、論理的にいっても彼らの言い分や考え方の大半が現実認識を誤っていたし、ぼくよりは明らかに無知だった。

社会の現実に迎合して改革しようという意志のない人間たちばかりだったからだ。あるいは、そういう振りをしているだけで、改革の何たるかを知らない連中がほとんどだった。

だから、彼らの理想のない、形而下ばかりで通俗な話は退屈極まりなかったし、やってる気満載だが、実のない行動もかっこいいとは思えなかった。

 

 風を感じないのだ。変化や新しさがないのだ。物事を創造する手際の良さがないのだ。

 

自分が大人と言われる世代になったとき、決して、ああいう風にはなるまいと、誰に言われたのでもなく、心に誓って来た。

 経験値やそこから導かれる社会との付き合い方、世の中をうまく生きるための処世術には長けていても、人生の道しるべや知性の鏡となるような人間はごくわずかしかいなった。

世阿弥花伝書に「初心忘るべからず」という有名な言葉がある。

 

若い世代の人生の節目に贈る言葉としてよく間違って使われているが、これは若い世代に向けた言葉ではない。それなりに立場を得た人間、熟練した大人への諫めとして書かれた言葉だ。

つまり、子どもの頃の未熟さ、それゆえの過ち、恥ずかしさ、それに倍する一途さ、一途さえゆえの激しさ、その背後にある清廉さ、よりよくあらんとする気持ちが生む内なる葛藤(技芸の鍛錬)と他者(相手役や観客)とのせめぎ合いをいつも忘れるなということなのだ。

それを失くしたとき、成長は止まり、道は閉ざされ、未来はなくなるという諫めだ。

 

コロナの感染拡大対策で当てにならない治世者たちの姿に、多くの国民が愕然とし、落胆し、失望している。

やってる感ばかりを演出し、逆に現場を混乱させている者。方針やビジョンもなく、行き当たりばったりの政策を出しながら、その実、政治力学ばかりに目がいっている者。既得権益や利権を守ろうと国民生活には目もくれない者…。

そのだれもが、わかったような顔をして、わかったようなことを口にする。自分たちの発言と行動に落ち度は微塵もないように。不足はないかのように。無知なまま。

彼らには、風がない。風を知らないか、風を忘れた大人たちだ。いつか、彼らは、その風に吹き飛ばされていくだろう。

 

It ain’t what you don’t know that gets you into trouble.

It’s what you know for sure that just ain’t so.

Murk Twain

やっかいなのは 知らないことじゃない。

知らないのに 知っていると思い込むことだ。

 

あなたと私のダンディズム

かつて、ダンディズムという言葉があった。

 

いまでは死語だし、ジェンダーからいっても、男性に使われて来たそれは、使われた方によって、いまでは男性性や女性性における差異を助長し、差別になるものだと言われるだろう。

 

だが、ダンディズムを言い換えれば、「あたなは何にこだわりを持ち、そのこだわりを生活の中でどう形にし、それに似つかわしい生き方をどう実現しようとしているか」の尺度のことだ。

 

生き方の尺度、基準、あるいは価値観や美意識と言ってもいい。ダンディズムという言葉の表層に惑わされていると、つまらない誤解が生まれる。

 

そもそも、ダンディズムは、ジェントルマン社会の対極にあるもので、イギリスでは自分の見掛けばかりに執着する軽薄なナルシストとして蔑視されて使われていた(背景にはイギリス階級社会の階級の住み分けの対立があるが、いまは詳細は省こう)。

日本で使われるこの言葉は、フランス革命後、文学者の中から生まれたイギリスの騎士道や貴族文化の価値観や美意識への憧れが生んだもの。

革命で低俗や通俗なものとされていたものと、貴族的なものが入れ替わり、階級社会があることで保たれていた美意識が粉砕された。いわゆる本物がことごとく否定された結果、じゃ、本物って何?というコンフューズが知識層を困惑させたのだ。

たとえれば、明治維新で貧乏な下級武士や郷士、その下男たちが、貴重な文化財をことごとく非西洋的として廃絶したのと似ている。

文化がわらかず、西洋かぶれの伝統美を知らない輩の愚行が愚行ではなくなり、教養以前の駆け引きや要領のよさ、つまり、低俗、通俗さだけで、出世もできれば、権力者や金持ちにもなれた時代、のようなものだ。

その困惑と不安がフランスの知識人をイギリスの騎士道や貴族文化の知性の高さと堅牢さへの憧れ、ノスタルジーを生んだ。革命前のフランス貴族にはそれらが失われていたのもある。この変形したダンディズムへの理解がそのまま日本に持ち込まれた。

だから、イギリスのそれとは違い、フランス、日本では、孤立、孤独でも、孤高を放ち、「何にこだわりを持ち、そのこだわりを生活の中でどう形にし、それに似つかわしい生き方をどう実現しようとしているか」の尺度を持つ人間をダンディ、かっこいい人と理解するようになったのだ。

 

自分の生き方としてだけではなく、何のために、誰のためにそうあらねばならないのか。孤立無援でも、誇りや矜持を持ち、守るべきもののために生きれるかの問いがダンディズムを生きる人間の必然的な問いになった。

 

日本では、新渡戸稲造が示したように、武士道精神の文化的背景と歴史がこれに共鳴して、社会や組織のリーダーが備えるべき人格の重要な要素のひとつにもなり、高い倫理感に基づく、行動力とそのための知識教養が求められるようになる。


だが、残念なことに、このダンディズム、日本が成熟した消費社会へと向かう過程の中で、イギリスのジェントルマン社会から蔑視されていような見掛けだけのものに先祖返りしてしまう。

 

いわゆる、ミーハー文化に低俗化した。高級ブランド品をそれに見合う人間ではなくても所有でき、それらしい風に外見を装うことを恥としなくなったからだ。

背景に、低俗、通俗な連中が高度経済成長からバブル消費経済へ向かう過程で、社会の表舞台にのし上がるチャンスを得たことがある。

のし上がった彼らは、バブル後の低成長経済の中でも株を転がし、利権を使い、既得権益を守ることで、経済的な豊かさ、格差の頂点に居座り続けるようになる。あるいは、そうした輩を支える汚い仕事を請け負う連中が増殖する。

ダンディズムが死語になった頃から、この国から社会規範、倫理、道徳といったものが希薄になり、利他から自己中へと社会は変容した。

そこに警鐘を鳴らしたのが、実は、自決した三島由紀夫だった。

そして三島の死から50年後のいま、三島が予見し、警鐘を鳴らしたように、この国は、治世者なき国、リーダーなき社会へと見事に三島の不安を的中させている。

一国の首相の不正が暴かれず、政権閣僚、取り巻き官僚が甘い汁を吸い、国民の血税を食い物にする。そこに群がるアホ学者やバカ知事、コンサル、企業とそれを支える闇集団は利権を得て、国政にまで口を出す。マスコミは腑抜けとなり、これを批判するどころか無言を決め込む。

社会の重要な立場、果たすべき役割を担う人間たちが、国民生活の何たるかを知らず、また見ようとも、知ろうともしない。

一重に、ダンディズムの死語化と貴族的なもの(エリート)と低俗、通俗の入れ替え、はき違えが生んできたのだ。

もちろん、貴族的なるもの(エリート)ですら、問題がある。ジェントルマンの顔をして、名作『夜の訪問者』に描かれているように、低俗を生きる者たちも少なくない。

本物であろうとする人間の絶対数の少なさは、高貴なるものも、低俗なもるものにも等価だ。だが、範を示すべき、人間たちにそれが失われば、すべてが低俗、通俗なものへ堕落する

コロナ禍で幕を開けた1年がもうすぐ終わる

今年は、意識するにせよしないにせよ、すべての人に問われた年だ。そして、その回答を出さなければ行き止まりしかない来年がやってくる


「あなたは、何にこだわりを持ち、そのこだわりを生活の中でどう形にし、それに似つかわしい生き方をどう実現しようとしているか」


青山のこと

所用で表参道にいった帰り、ふと思い出して南青山三丁目のアートスペースまで歩く

乃木坂から歩いてすぐのところだ

 

南青山の住宅地の路地裏には、こじんまりとしてはいるが、それぞれの分野の逸品、一流品、希少品を扱う店が点在している

 

知る人ぞ知るという店だが、陶芸、アパレル、着物、スイーツ、ビスロトなど飲食店、ギャラリーが住宅地に溶け込むように店を構えている

 

法令上、「住宅地」なので、南青山界隈では大通りに面する246号線や外苑東、西通りに面した周辺ではないと5階以上の建物を建築できない。マンションも低層マンションしか建設できない。だから、ひとつ道路を入ると、住宅を改造、リニューアルして店舗にしているところが大半だからだ

 

もともと住んでいた方が趣味が高じて、好きな陶芸や着物のショップ、スイーツのショップを開くということもあるが、まさに軒先を借りるように、青山に店を開きたくて利用しているという店舗オーナーも少なくない

 

住宅地らしく、新宿区と渋谷区のはずれに接する北青山界隈には、秩父宮ラグビー場、国立競技場、テニスコート神宮球場とそれを包み込む、外苑の森がある

住宅地エリアだからだこそだが、道路一本渡るとすぐ近くにリスも生息する森があるというのは都心の真ん中でも青山くらいなものだ

ブランドショップや大手デパート、大きなテナントビルが並ぶ銀座はハイセンス、ハイクオリティのトップランナーだが、銀座と青山のタウンカラーの決定的な違いはそこにある

 

生活の中に、逸品、一流品、希少品とこだわりの店、そして自然が共にあることだ

かつて、トラッドファッションを日本に持ち込み、男性ファッションという分野を拓いた、石津謙介氏の会社は、当初、繊維、織物問屋が密集していた日本橋にあった。それをVANジャケット創業の折、本社を青山に移している

石津謙介氏は、「青山じゃなきゃダメなんだ」とそのとき周囲に強く言ったそうだ。石津氏の先見性と青山のタウンカラーの理解はすこぶる正しく、青山に受け入れられたVANはファッション業界の革命児となった

同じ言葉を初めて訪ねたアートギャラリーの女性オーナーから聞いた。

「ここじゃないとわかってもらえないものがあるんです。青山にいる人、来る人には本当にいいものをわかる力があると思います。他とは違います」

ぼくは、そのとき、紹介された作家の作品がなぜ人気があるのか、アート的な視点からではなく、わかったような気がした。彼女たちの作品は、まさに青山の空気にじつに合っている、馴染んでいる

クリエイティビリティのある街は、人をつくる、人を磨く

 

トレンドに踊ったものや店、作品はすぐに消えていくが、亜流を嫌い、こだわり抜いたもの、人が創造する何かは都市、地方関係なく、磨かれたセンスを呼び集める

渋谷でもなく、広尾でも、代官山でも、中目黒でもない

クリエイティビリティのある街で試したいなら、それは青山しかない

 

大坊珈琲店の大坊勝次がどうしても青山にこだわった理由もそれだった

「青山でやれないなら、店を閉める」それが最後に店で聴いた大坊さんの決意だった

 

 ふと、こうしたこだわりは知性が伴ってのことだが

いまの政治、政権、検察にそれはまったく失われていることが強くよみがえった

 

 

 

Hold Up Stage Up

私、悪くないもん!

 

その言葉が必ず先に出る人がいる。出ないまでも、まず、相手への批判や文句、ケチをつけることから始める人がいるものだ

 

仮に、相手への批判をするにせよ、論理的にそれができれば、まだましだが、論理以前に「自分は悪くない」を前提として批判を始めるものだから、それが論理的であるはずもない

 

心理学に「認知不協和」という研究がある。何かの問題が生じたときに生じる不快感や違和感を自分の言動、ふるまいが原因だとすることを認めない、認めたがらない心の動き、状態のことだ

特別な人に起きることではない。ただ、日常的な生活会話から一歩踏み込んだ会話になると、とたんに会話がかみ合わなくなる人がいる。自分の利害に絡むと一層そうなるという人がいる

背景には、プライドがある。もっと正しくいえば高慢さ

プライドにも認知の歪曲があり、演技性人格障害ではないが、実績も実際の能力においても欠落があるのに、自分はたいした人間なのだという誤謬が働くと、この認知不協和は起きやすい。

そもそも、本当の意味で、プライドある人は、問題が生じたときにその問題点を分析し、理解し、次にどうするかを考え、善後策をとることでプライドを保とうとする

 

感情的な批判や相手を貶めるような言動で責任を回避することはプライドが許さない

それが恥ずべきことだと知っているからだ 恥ずべきことをするくらいなら、降参してホールドアップし、次の道を探す。

新型コロナ感染症対策の政権の言動をみていると、この認知不協和を絵に描いたような姿と思えるのは、ぼくだけではないだろう

前首相の安倍晋三もそうだが、菅首相にいたっては、記者会見を嫌い、やっと開いた記者会見もあらかじめ台本を用意し、記者質問も事前に出来レースで準備させている。政権の問題や過ちを指摘されることを最初っから排除し、不快感を感じなくするためだ

逆をいえば、自分及び取り巻き閣僚や官僚がやってきたことの不具合には気づいている。だが、それを認めないし、謝罪もしない。実体のないプライド=高慢さが根深くあるからだ

いやま政治家、官僚、医者、弁護士、教師、企業経営者といった社会的職責のある人間に、かつてのような倫理観など正当性が担保されていると考えている人間は少ない。終ってしまった階層社会のヒエラルキーだけが残り、そこに知性や理性、教養が伴っていないことは、まともな国民ならわかっている。

空疎な肩書や地位にだけ重きを置いているから、空洞化したヒエラルキーに乗っかっているだけの自分の実態が見えていないのだ。また、この空虚さがこの国の政治を動かしていることに気づいてない、終わったヒエラルキー、権威づけにこだわってるおバカな国民が多いからだ

人はもちろん万全ではない。同時に、こうした認知不協和を持つ人間にも社会に貢献できる能力はあるだろう

だからこそ、自らの現実を知り、能力ある人材や自分の不足を補う人を重用し、過ちや愚かさを謙虚に認め、人の力なくして、我が身がない現実に目覚めることが不可欠なのだ

そのためには、現場に塗れること、現実の人と深くかかわり合うことしかない

現実にはいろいろな人間がいる 自分が好む人たちばかりではない

だが、その力が必要不可欠なときがある

 

ぼくも経験があるが、生死の際に立たされると人は自分の力では何もできない

他の力を頼みとするしかないのだ

そうした経験の中で、人は初めて人に過ちを認め、謝罪し、感謝できる
万全ではない、ぼくらがよりよい社会を築くために、いまもっとも必要としていることだ

ホールドアップは恥ずかしいことではない 次へのステージアップだ








 

 

 

 

なにひとつ、未来は手に入らない

コロナでいろいろなものが変わり
きっと大きく変わっていくだろう

スローライフにも スローフードにも
ライフスタイルそのものが自然を消耗したり
心を消耗させる生き方から

そうでない生き方の選択があることをぼくらは
知った

自動車業界はハイブリットから電気自動車や
水素自動車へと転換を始めている

日本はまだまだだが、ヨーロッパでは再生可能
エネルギーの活用へ大きく加速し始めた

減農薬や有機食材が当然とされるようにもなって
いる

都市の在り方さえも見直しが始まっている

そこに乗り遅れているのはじつは、この国だ

避妊治療対策で事が好転することなどない
少子化対策においても先輩であるヨーロッパに
少しも学ぼうともしていない

急速な高度成長と消費社会の到来、そして
バブル崩壊からいまに続く低成長、実質マイナス
成長へと急激で、極端な変化に

この国の法律も制度も政治まったく追い付いていない
それに気づいている大人も政治家も財界人も
まったくといっていいほど少ない

本当のことが、本当にわかったというのは
行動においてしかないのだ

言葉だけで、体裁をつくり、対策を先送りする
この国人たち


とりあえず変化は好まないというこの悠長さは
どこから来てるのだろう

おそらくは何かを意図的に、かつ理念を持って
選択するという尺度を持っていないからだ

 

選択することがいやま怖くなっているからだろう

井戸端会議のように何に不満をいい、愚痴をこぼし

人を非難することはできても

 

何が大切で 何が重要なのか それを推し量る

知恵も 知性も 教養も 品位もない人たちが

増えている

 

だが、悲惨を被り、生活の困難に直面し、未来を
失うのは自分たちなのだ

いまに心地よさを感じてそうできない人は

なにひとつ、未来は手に入らない