秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

自分の問題として

自分の問題として考える。そこには、いろいろな壁がある。

その象徴的な壁は、自分の問題とするための共有と共感。さらには、共同意識だ。

だが、言葉では簡単だが、人には人それぞれの生い立ちや経験、そして、いま現在の生活がある。そこでつくられる考え方や意志、個別の願望がある。

共有も共感も、そして共同意識も、そこになにがしかの利点や利益、得がなければ共にすることが難しい。

それを唯一補完できるのは、志だけである。もちろん、志もすべて等質、等価に共にできるものではない。完全には重なり合うことのない、考え方、意志、個別の願望にわずかに重なるものをもちより、それを同じ志とする作業が必要になる。

当初は、そのために、先に走る人間が必要かもしれない。道筋をつけるリーダーの役割もいるかもしれない。だが、そうした存在があったとしても、いまという時代は、志を強くともにすることが至難だ。

個々の求める質や形、希望や願いが多様だからだ。それが、自分の問題として考える…といことの現代的、時代的難しさがある。

だが、それに果敢に向き合うことを避け、政治や制度、組織の流れにませていればいいとしてたら、おそらく、社会や国、世界をよくする原動力は生まれてこない。引いては、自分の生活やこれからをよくすることもできないだろう。

自分にとって都合のいいところだけを考えて、他者との共有に比重置かない。

それがいまの政治の姿であり、個々の生活の姿だ。

このところ、都内、あちこちを週末のにぎわいの中、歩くことが多かった。人々の雑踏や人ごみにおけるふるまい…その姿に、その現実がもっともよく表れている。

共にできる志のない国は、本当に危ない。