秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

自立の姿

時代を変えるための努力。社会を変えるための努力。それをしない時代や社会は、弱い。

まるで、無菌室で育った子どものように脆弱で、神経質で、だから、免疫力が育たない…。

その分、自分一人が生きることが背一杯で、他者や周囲の悲惨に想像力が及ばない。唯一、それを埋めることができるのは、良質の教育だ。

だが、教育も制度の中にある以上、この変革を模索しない人間を育てることしか選択しない。

世の中には、変革を望まない人たちがいる。

世の中にある矛盾や犠牲、格差や差別の現実は、仕方なのないことだと見切る人たちもいれば、それは、そうした場面に遭遇した人たちの努力の足りなさ、自己責任だと切り捨てる人もいる。

制度さえいじれば、不利不足は一定の幅で、解消でき、不利不足を優先するために足かせになるようなものは、自らの首を絞めるという考えにしか至らないからだ。

あるいは、経済の発展、国際社会に乗り遅れないためには、そうした相違はやむえないと見限る人もいるだろう。もちろん、なにをして経済の発展というのか、国際社会とはなにを指すのかの視点やとらえ方の相違がそこにはある。

だが、人には、自分の力だけではどうしようもない現実が存在する。立ち向かいたくても立ち向かう術を知らない人も、やり方を学べなかった人たちもいる。

自分がそうした立場でいないうちは、それが現実の想像力にならない場合が多い。

格差をテーマに、三田村邦彦主演で撮った、拙作『見えないライン』(制作・徳島県/製作・東映)の事前取材で、多くの派遣労働者やリストラされた管理職の方たち、また、派遣労働やリストラはやむなしとする経営者の方たちにもインタビューした。

それに限らず、自ら社会的な問題をかかえ、直面している人々の声、言葉にふれれば、自分の生活や想像力以上の現実があることに気づける。

社会的な問題に遭遇している人の多くが、最初に自分を責める。自分がダメだから、自分が力が足りないから…。しかし、現実に、ある日、親の介護にあたらなければならない。ある日、男手ひとつで幼い子を育てなくてはいけない…

ある日、重篤な疾患や重大事故に巻きこまれ、これまで保てていた日常を維持できなくなる…ということは、いつでも、だれにでも、起きうることなのだ。

そのとき、人は初めて、そこに行き至っていない、目が届いていない、社会の矛盾や制度の欠陥に気づく。まさか、自分がここにという、見えないラインの外に押しやられていることに気づき、シードルのない怖さを実感する。

だからこそ、いまが大丈夫だからと自分のいまだけの安泰を考えるのではなく、社会はこれでいいのか、時代はこれでいいのかという問いを持ち続けることが必要なのだ。想像力がなかったら、現実にそこにいる人々の声や生活にふれることなのだ。

自立を目指さない甘えは、もちろん、いけない。だが、自立のためには、人々が時代を、世の中を自立できるものにともにしていく努力が先になくてはいけないのだ。

それはアメリカの物まねや依存からは生まれはしない。自立は、その国の、その国ならではの、自立の姿がある。