秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

救いの網 Social Net Project

社会的リソースとは、いわゆる公的支援や公的な相談機関、公的な資金援助等々をいう。

高齢者の介護にせよ、いじめ、不登校、ひきこもりとった子育ての問題にせよ、あるいは、家庭内暴力にせよ、それに対応するべく、地域には様々な社会的リソースがある。
 
だが、多くの人が指摘するように、行政の窓口や社会福祉協議会、地域包括相談センター、男女共同参画センター(女性センター)といった地域サービスを受けるためには、まず、そうしたものが地域にあるという情報と知識がなくてはいけない。
 
また、情報と知識があったとしても、それをどう利用すればいいのかという知恵がなくてはいけない。さらには、そのために、時間がとれ、そこに行こうという自発的意欲がなくてはいけない。
 
つまり、自らそこへ行けるという、様々な知識と意志がその人になくてはいけない。
 
私は、これまで高齢者の虐待問題や夫婦間恋人間のDV、子どもへの虐待といった作品をつくってきた。いじめ、不登校、ひきこもりの関連もドラマにしてきた。
 
同和差別や外国人差別といった刷り込まれた差別意識が生み出す人権侵害や格差による差別といった社会の構造が生み出す新しい差別を描いてきた。
 
その取材の中で、被差別者の大半が、いまいった社会的リソースがあることを知らず、かつ、それをどう利用することができるかの知識がなかった。
 
あまりのストレスから死が頭をよぎり、自死の一歩手前で、あるいは、うつ病などの精神的疾病に至って、やっと、その存在と出会ったという人は少なくない。
 
これは、零細企業経営の中で、公的資金の援助の道を知らず、倒産や負債を苦にして自死を選ぶという経営者にもいえる。
 
もちろん、社会的リソースがすべての人にあまねく与えられているわけではない。場合によって、相談を受けた側の人権意識の低さや社会情勢理解の無知さから、相談しても相手にされないということが起きている。

 
だが、少なくともそうした支援や救済の網があっても、その網にかからない人たちがいる。いまこの国、そして、被災地において、重要かつ重大な課題はそこだ。

自ら自立の機会と道を生み出せる人々はいい。少なくとも、前へ歩み出すことはできる。だが、そうした網にかからない人々は、苦難と苦渋と苦悩の海に投げ出され、とどまったままだ。
 
いま、福島県内でいろいろな取り組みがされている。だが、果たして、行政主導や大手代理店や大企業主導のその取り組みで、そうした網にとられられない人々は救済されていくのだろうか。

なにかを見失いつつある。そう感じ始めたのは昨年のいま頃からだ。そこから、私は、次に私や私たちMOVEが取り組むべきことはなんのかを考え続いてきた。

そこで出会ったのが、ユネスコが推進している、「持続可能な開発のための教育」
Educational Substainable Development と心の回復のためのプログラム「外傷後成長」Posttraumateic Growthだった。

そして、その具体的な姿を、実施した人々が意識していたかどうはか別にして、私は豊間小学校の子ども映画学校の取り組みに見た。

子ども、高齢者、被災しながら前へ歩こうとしている大人たち…その心にある深く重い傷。それに臨床心理士のように対応することはできなくても、地域や自らに誇りを持てる何かを共に協働することはできる。

あるいは、中通りのように、線量の高い中で、激しい風評の風と地域からの離脱といった課題に直面している人たちに、農生産ではなく、違う形で意欲と誇り、そして自信を見つけ出す道を探ることはできる。

網から見過ごされている人々、救済の網のつかまれない人々。そこになにができるかを考え、取り組むことを基準とすれば、私が願う、市民連携のSocial Net Projectが見えてくる…私は、一年の新しい出会いの中でそれを確信していった。
 
出てきた答えは、じつは「大いわき祭」実施当時に思っていたことだった。地域の伝統芸能や舞踊、歴史、市民芸能…それを再発見する活動を共にやることだ。

映画も、MOVE放送も、そして、FBサイトのSmart City MOVEも、情報のプラットフォームとして、その姿をより明確に示すことができる。

地域というものの原点に返る。見直す。そこには、高齢者、女性、子ども、働く大人、若者、すべての世代が共にいられる。共有できる。そして、それは福島だけではなく、全国の地域と共有、協働できる。
 
今回の映画上映会は、そのスタートになる。