秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

教養と素養

教養と素養、いわゆるインテリジェンスというものは、他流試合によってこそ磨かれる。
 
親や学校、人との出会いなど、成育過程の中ではぐくまれるしかない教養や素養は、その成育過程でえられた範囲でとどまっている限り、閉鎖的で、独善的であり、個人的なものでしかない。
 
それが普遍的であろうとするためには、そして、より開放的で、多様であり、グローバルなものであろうとすれば、自分とは異なる教養と素養、いわゆるインテリジェンスを持つ者たちと積極的にかかわり、自分の内に溜めた教養や素養がどの程度通用するものなのか、あるいは、自分が身に着けることのできなかった異文化の教養や素養とはいかなるものか…ということを学ばなくてはならない。
 
つまり、己の知識を鍛えるといことをしない限り、生来の教養や素養は広がりを持てないのだ。
 
そのときに、それを鍛えるものが、どの国、どの民族、どういう社会的地位や立場にあるかは意味をなさない。また、自分のそれと対立するものであっても、そこから学びとれる教養や素養があり、かつ、それによってより己の教養や素養に確信を持つということもできる。
 
知識だけがあっても、教養や素養は磨かれることはない。多くの知識が情報として終わることが多いからだ。知識を教養や素養として転じるためには、それを生かすことのできる教養や素養のあり方がある。いわゆる見識とすることだ。
 
かつて、フランスに滞在していた商社マンや派遣員が、ルーブル美術館に収蔵されている絵画や彫刻を渡仏する前に必死に学び、渡仏して、現地の人々とコミュニケーションを図ろうと、その知識を彼らの前で披露したことがある。そのあまりの知識に多くのフランス人が驚嘆した。当然ながら、商社マンや派遣員は意気揚々たる顔になった。
 
だが、彼らの驚嘆は、その知識にではなく、極東の島国のアジア人が自国やアジアの文化についてはほとんど無知でありながら、自分たちフランスの文化について異常ともいえる知識を持っていることの違和感と奇異さに対するものだった。尊敬とは程遠い、侮蔑のまなざしを向けられたのだ。
 
商社マンたちは知識は持っていても、見識がなかった。ルーブルのどこに、どの時代のどの作家の作品があり、それは美術史からみたら、こういうカテゴリーに属し、特徴はこう…は、知っていても、その作家がどのような思いでそれを描き、そして、自分という個人はどういう印象を持ったのか、そして、日本人、あるいはアジア人の美意識からすると、どのような理解をしたのかを自分の言葉で語れなかった。
 
逆に、日本の文化に興味のあるフランス人から世阿弥の能について問われ、それに答えられる確かな知識もなければ、西洋演劇との相違点や関連性について語ることもできなかったのだ。

これはいまも、日本人の教養と素養のあり方をよく象徴している。同時に、明治、そして戦後日本の中でつくられてきた、西欧、アメリカ主義の姿もよく象徴している。極東の島国の田舎者は、自国の文化にも、アジアにも目を向けず、あたかも自らが西欧、アメリカ人の一員のようにふるまってきた。その意識は、朝鮮半島、中国を始めととする近隣諸国への民族差別意識と対抗意識の源泉のままだ。

それがある限り、近隣諸国との関係改善のあるべき姿へはたどりつけない。こちらがたどりつけないのだから、相手もたどりつこうなどとはしない。そして、その面倒な議論と忍耐と丹念な交渉を必要とする手間暇を相互が惜しむ。歴史認識の歪曲は双方ともに、言語道断。それを糺す努力を世界が納得できる教養と素養、見識を持ってやることだ。

人の交流やつながりは、かつてとは及ばない近さにある。それは深い交流の道にもなれば、ひとつ舵をあやまれば、近いほどに危うさもあるのだ。いまある近さをどう育てるか…それを探すのが教養と素養というものだ。
 
軟弱な奴か、戦争の現実も死の現実も知らない、戦闘機や戦艦オタクのような、いい歳した、教養と素養のない、アホな右翼小僧がこの国には多すぎる。道を拓くのは、威勢ではない、直情的な怒りでもない。視野を持った教養と素養、そして、平和への道を探す、確かな行動力しかない。