秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

15歳の志願兵

偶然出会う人、出来事…それは当然ながら…
 
偶然見るテレビのドキュメンタリーやドラマ、あるいはリバイバル映画の放映…。若い頃から偶然ではない…と直感している。そういう偶然がなければ、オレは演劇の世界にも、映画の世界にも足を踏み入れていない。あるいは、社会の問題に目を向けようともしていなかった。
 
外での会合や打ち合わせ、盆休みにかけて片付けようとしているシノプシスの合間につけたテレビのBSで、NHK終戦特集をやっていることを知る。ああ…そういう時期だな…と思いつつ、引き込まれる。
 
15歳の志願兵」。戦時中の昭和18年、名古屋の名門中学校愛知第一中学校(旧制)で行われた、幼年兵への志願募集。その実話にもとづいてつくられたドラマだ。
 
戦局が劣勢になる中、幼年兵による戦力補強がされたことはよく知られている。急ごしらえの戦闘機の搭乗員や歩兵をつくり、未熟であるがゆえに、一度の出撃でなくなるばかりか、生き延びても数年後特攻隊員として亡くなった方もいる。沖縄特攻した大和には16歳から戦闘員として乗船し、亡くなった幼年兵も少なくいない。
 
当時、旧制中学に進める子どもは地域でも限られた子どもだった。それ以上の学力のある子どもは小学校を出るとすぐに飛び級のようにして、海軍兵学校陸軍士官学校へ進んだ。経済的に苦しい家庭には、地域の篤志家が学費を負担するということもよくあった。国家に貢献できるエリートをつくる…ということが戦前の教育では一般的だった。また、地域からそうした人材を輩出することは地域の誉れでもあったのだ。

だが、愛知一中ばかりでなく、こうした子どもたちを戦闘員として戦場に送ることを国家への貢献として、軍と教育機関が子どもたちに戦局講演会を行い、天皇のためにいのちをささげることの必要性と尊さを説いた。
 
一部の熱気にうかされた生徒たちがそれに同調し、その生徒たちが後輩に自らの決意発表をさせる…志願にあがらうことのできない空気ができ、あたかも子どもたちが自発的に志願したかのようにしつらえる。いわゆる、子どもたちの純粋さや集団心理を利用した洗脳だ。神風のときにも同じことが行われている。
 
そして、一中生徒全員が志願する。それを学校も軍も美談して報道する。だが、現実には、親に引き留められ、翻意するもの、身体検査で意図して落ちるものが出る。親を通さず、強引に生徒たちに自己判断と責任を押し付ければ、後に動揺が生まれるのは当然だ。結局、身体検査を通り、実際に志願したものは、10名程度でしかなった。

その中には、いったん言い出したものを翻意する勇気のなかったものもいるだろう。あるいは、親もそれが国への奉公として送り出したものもいるだろう。ドラマでは、教育のない文盲の母親が、文学者を目指していた末の子どもが決意を示し、親に願いでたとき、これが戦地へいっている上の兄弟を支えるため、国為のだから…とほかの家庭や子どもの動揺を読み解くことができず、息子の気持を思って黙ってうなづく。母としての気持は本意ではなくとも、それはいってはいけないと思い込んでいた。子どもに語るべき言葉を持っていなかった。

子どもの遺言といってもいい日記帳。出征の日で終わっているその日記も、母親は十分に読めない。子どもが亡くなり、子どもの親友であった少年に、戦後、その日記を読んでもらう。声に出してもらわないと読めないからだ。そして、そこには、息子の動揺と、それを必死で乗り越えようとしている葛藤…そして、親友に向けたメッセ―jジがあった。
 
国のために死ぬのではなく、生き延びて、このつまらない戦争のあと、人のいのちの尊厳をテーマに小説を書く…その決意がそこにあった。そして、自分が亡くなることがあったら、自分の分まで親友に生き抜いてほしいという願いも。最後に…おかあさんのこれからの人生が幸多きものであることを願い続けます…という言葉があった。
 
母は親友の子どもに涙ながらに、問う。「私に教育があったら…息子の気持をもっとわかってやれて、息子を戦争にいかせずにすんだのでしょうか…私に教育があったら…息子を死なせずにすんだのでしょうか…」

親友は、涙をこらえて、答える。「ぼくたちは学校から戦争にいって死ぬといわれたのえす。国のために死ねといわれたのです…教育のなかったのは、お母さんではありません。教育のなかったのは、この国です…!」
 
国家なくして、自分たちの生活はない! 当時、人々はそう教育された。では、問おう。人なくして、どこに国家があるのか。人なくして、成立している国家があれば、それを示せ。
 
幼き子どものいのちを犠牲にするなら、その前に、それをいう大人の自分たちが、銃弾の盾になれ。やるべきは、子どもへの洗脳ではなく、子どもの未来を守るために、己のいのちを捨てることだ。そうしなくてよい、国をいのちを賭してつくることだ。