秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

お盆の羊羹

青山墓地は、この数日、墓参りの人手でにぎわっている。

このところ毎日3キロのアレーをリックに入れて、ウォーキング。NASAが開発した黒のスウェット上下で、青山墓地を抜け、絵画館を2・3周。朝寝坊の日は、一番暑い2時頃から4時頃まで。汗でぐっしょりになる。酒を飲んだ、次の日は、欠かさない。

昨日、お盆の入りなので、正月ぶりに相模原に帰り、息子の様子を確かめ、ご宝前(仏壇)にお参り。有明であるインディーズのコミック展に並ぶために、夜から仲間と出かけるという息子にふられ、トンボ帰り。多少、原稿に向かい、夜、暇だろうとRedに一人、顔を出した。

呼び出そうかと思っていたカリスマが、丁度、来るというので、待ち、現われた奴と部下との話が終わるのを待つ。結局、1、2杯のつもりが、結局、閉店までいた。で、酒抜きのために昼もウォーキング。

前にも書いたが、乃木坂、青山霊園、神宮の森と、青山界隈は緑が多い。季節の変化や歳時記を感じるのに、格好の場所。1年の移ろいをジョギングやウォーキングの風の中で感じることができる。1年前に外苑で拾ったどんぐりは、うちのベランダで3本もすくすくと育っている。

昨年もそうだったが、お盆には、いま姉と同居して、佐賀にいるおやじのところと鹿児島の指宿の義母のところに、「塩野」の羊羹を送る。お盆に墓参りもできない、やくざな息子ができるせめてもの、礼だ。

この間、ウォーキング中にRyokoに呼び出され、家メシしたときも奴に話したのだが、「虎や」の羊羹が東京を代表する和菓子だと思い込んでいる連中が多い。実は、数年前まで、オレもそう思い込んでいた。

オレがたまに行く、ハンナのばばあが、もう5年ほど前だが、あんた、甘いもの好き?と、半分切った羊羹を差し出した。和菓子は苦手だが、といいつつ、一口食ってみろというから、食ってみたら、これがうまい。どこの羊羹だと、聞くと、赤坂の「塩野」だという。え、羊羹は、虎やじゃないの?というオレに、だから、田舎者は困るのよと、いいたいことをいう。

本当に和菓子の好きな人は、虎やなんて買わないわよ。その言葉に、やられた。確かに。さほど羊羹好きでもなく、和菓子好きでもないオレが、ばばあからもらった羊羹をその日のうちにぺロリと食べてしまった。甘くなく、深みのある味わい。だから、上品でしつこくない。甘ったるい和菓子が嫌いな人間でも、大丈夫。それに、強い酒に合う味。

以来、年輩の方への挨拶には、ちょっと高いが「塩野」と決めている。本来は、茶席の菓子を提供している店。昔ながらの店構え。従業員の応対もすこぶるいい。乃木坂にあるWESTは、オレの御用達だが、ここもいい店だ。格式と職人の真摯さが垣間見える、古い店はいい。

おふくろや義父が生きていたら、きっと気に入った店だったろうと思う。かみさん一家はとりわけ、こうした店が好きだ。身勝手で、理不尽なことをやり、一家を悲しませたオレが、せめてもという心で、毎年、塩野の羊羹を送っている。こんなオレを許し、いまも受け入れてもらっている義母やかみさんへの侘びと感謝の気持ちだ。

お盆を遊びの時間と思えたのは、いつまでだったろう。

いつからか、お盆は、自分が不義理をした人、自分が傷つけたり、期待を裏切った人たちのことを思うようになった。志半ばに亡くなっていった人間や先の戦争で無念の死を遂げた人のことを思ってしまう。

そして、自分の生き方や考え方がこれでいいのかと振り返る時間に変った。

やはり、お盆は、いのちのことを考えるときなのだ。その理不尽さ、いい加減さ、愚かさと、いとおしさ、尊さとを、共に振り返るときなのだ。