秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

薮入り

今年もお盆に入った。

正月とお盆は、かつては、薮入り(やぶいり)といった。地方から丁稚奉公に出ている少年や女中の下働きをしている少女にとって、故郷に帰れる貴重な休日だったのだ。年季が明けるまで、ほとんど休みなしの生活。その中で、正月とお盆だけが、自由が許される日だった。

年季が明けるというのは、東北・北陸の寒村など生活が立ちいかない農家では、子どもを5年、10年と働きに出すことで、苦しい家計をまかなったいたことをいう。仲介役の人買いから前金で金を受け取ってしまっているから、子どもたちは、契約期間の年季が終わるまで、働き続けなくてはならない。人買いというと聞こえは悪いが、戦前の貧しい農家にとって、それは、生活支援サービスのような性格を持っていた。

トヨタ自動車の前身、豊田紡績の女工哀史は、その有名な例だ。危険な木曽岳を越えて、12歳そこそこの少女たちが紡績工場で働かされた。到着前に崖から落ちて亡くなる子どももいた。紡績工場で働いても労働条件などない時代。牛馬のように働かされ、過労や結核、栄養失調で亡くなる子どもたちもいた。小説『野麦峠』は、その悲惨を描いている。

当時は、女性が給与を貰って働く場がほとんどなかった時代。紡績工場で働く少女を「女工さん」と憧れの職業のように地方ではもてはやし、新聞も富国強兵の象徴のように紡績業界を持ち上げていたが、実態は、このように、悲惨の極みだったのだ。

秋葉原無差別殺傷事件」以後、トヨタは非正規雇用を解雇して、非正規雇用の依存度を減少させているが、トヨタという企業の生産性の効率・向上の考え方の基本には、これがある。下請け、孫受けの末端労働者に対する冷遇と見切りは冷徹の極みだ。正社員ですら、過労死、過労自殺を年間50人以上も出している。

チャップリンが『モダンタイムズ』という映画で、工業化した社会、製造業の世界の非人道的姿を痛烈に批判したが、その姿は、大手製造業の現場で、以前、隠蔽された人権問題として続いているのだ。知恵が付いた分、そのすり抜けが巧妙なだけ、もっと陰湿といってもいい。

一方、人買いに売られていくのは、そうした働き方ばかではなかった。農家の借金が大きい家では、女郎宿に娘を売った。15歳くらいまで、女中として働き、時期がくると、白粉を塗られ、男をとらされる。日中戦争以後、その中から年季明けが早くなるからと、外地の戦地へ慰安婦としていった女性たちも多い。

有名な従軍慰安婦である。日本人従軍慰安婦の中には、在日の女性、同和出身の女性も多かったのではないかとオレは推測している。

女郎宿に働く女性たちの正確なデータは何ひとつ残っていない。結核や性病などに感染すれば、放置され、亡くなると無縁仏として、寺に投げ捨てられていたからだ。しかし、当時の生活苦を考えると、その皺寄せが最もあった、在日、同和地区から、そうした女性が出ていたと考えるのは想像に難くない。

慰安婦は、日本の女郎宿で働く女性たちだけでは足りないというので、陸軍は、朝鮮半島の少女を村から拉致し、慰安所で働かせた。それは、児童、未成年者への集団による性的暴力によって慰安婦とさせられた例がほとんどだ。

お盆の時期になると、どうしても、従軍慰安婦問題が頭に過ぎる。

サイパン玉砕、レイテ玉砕…。あの戦争が米軍の攻勢によって、次々と玉砕へと追い込まれている中、兵士たちと共に、自決した日本人従軍慰安婦たちがいた。名前も知られず、どこの出身かも知られず、一人の日本人の女としての矜持を胸に、自決していった日本人従軍慰安婦がいたのだ。

ロシアの満州侵攻では、女を出せと銃を持ったロシア兵の前に、自ら体を投げ出した慰安婦たちがいた。かたぎの女性たちを守るために、日本人のいのちを救うために、自ら体を差し出した女たちだ。慰安婦と蔑まれ、女郎とバカにされながら、自分たちを蔑んだその人たちのために、家畜のように扱われることを承知で体を差し出した女たちだ。

オレが25年前に舞台上演し、いま再演と映画化を考えている作品は、その女たちを描いている。

敗戦記念日の15日が近くなる、この盆は、芝居で描いた彼女たちのことが、だから、頭を過ぎる。どの女たちも、薮入りに故郷の田舎に帰り、河原にムシロを敷いて、村の花火大会をみつめたかったに違いない。いつか年季が明けて、昔のように、家族で暮らすことを夢見たはずだ。まさか、異国の地で、戦争の最中、自決という形で命を落とすとは想像だにしなかったに違いない。

あの時代のあの苦しさと悲惨は、果たして、本当に終わったのだろうか。あの悲劇から、この国は、人をいとおしみ、大切にすることの大事さを学んだのだろうか。社会的地位や貧富の差、出身や国によって、差別されない社会を築いてきたのだろうか。

この時期になると、いつもそう思う。