秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

凡人の限界

昨夜のNHKBS。尊敬する向田邦子の特集番組「向田邦子が教えたもの」をやっていた。制作は、NHK御用達のテレコムスタッフ
 
向田ファンならだれでも知っているが、いまも表参道裏手にある南青山マンション。そこが向田邦子の終の棲家となった。ここに住居している約10年間に名作『父の詫び状』『眠る盃』など多くの小説、『銀座百景』など独特のキレのあるエッセイを残した。
 
テレビドラマ作家としては『阿修羅の如く』ですでに超一流だったが、文壇に登場したのは50歳の頃。直木賞の選考ではもめた。山口瞳の一言がなかったら、逸していたかもしれない。
 
「向田はもう時間がないんです。いま書かせなくて、この才能を無にすることが私たちに許されるんですか!」。年齢が行き過ぎている…と主張していた審査委員はその一言に押し黙ったらしい。
 
池波正太郎といわれるくらい食や酒にも精通していて、妹の和子さんは、その影響と向田さんの要望で、一時、業界人向けのめしやを営んでいたほどだ。青山、表参道界隈の和食屋はもちろん、和菓子の老舗や骨董品の店にも足しげく通っていた。
 
その足跡は向田エッセイの中に度々登場する。それを女優休業中の山口智子がだどる…という構成。向田のふるさとといってもいい鹿児島ロケもやっていた。鹿児島はオレもわけあって縁が深い。そして、青山、表参道、乃木坂、西麻布はオレの生活にかかせない場所…。
 
ずいぶん昔のブログにも書いたが、オレは高校生の頃、向田さんのドラマが嫌いだった。家族の裏側にある男女のドロドロした世界、女性の中にある秘めた淫靡さや邪さ、男のいい加減さ、調子のよさ、ズルさ、狡猾さ、そして可笑しさ…といったものをえぐるように描く作品が好きにはなれなかった。
 
後に、自分には到底及ばない、生涯描くことのできない向田世界であるがゆえに、強い嫉妬心がそうさせていたのだということに気づいた。戯曲を書くようになり、人に頼まれて多くの文章を書くようになってから、自分がどれだけ向田作品に魅せられていたかに気づいたのだ。

向田さんの存在がすべてではないが、青山界隈に生活の場、仕事の場を持とうと思った理由のひとつもそれがある。向田さんが存命中にふれていた青山の空気はオレも20代そこそこの頃、かぐことができていたし、その空気感が好きだった。青山、表参道界隈は、当時、いまよりももっと大人の街だったし、昭和モダンの街だったのだ。

登場するだろうな…と思いながら番組を観ていると、やはり、オレが受験生の頃から通っている表参道の珈琲店が登場した。
 
実は、ここは向田さんも愛した店。取材など一切受けないオーナーだが、向田さんを扱う作品なら…といろいろな条件をつけて応じたのだろう。
 
今日、店にいって、正月のあいさつをした後、「観たよ」というと、自分の家にBSがないので観てないというw 「どうでした? 大丈夫でしたか? あの人たちは約束したことを守らないから…」。そのとおり。テレビドキュメントの連中は、よく取材前と違う内容で放映したりする。
 
「大丈夫でしたよ。店の名前も場所もわからないように、こっそりある店…という扱いだったから」。そういうと店主はほっとしたような笑顔になった。「山口さんとの受け答えも、○○さんのままで、そっとした感じでした」。そう付けくわえると、安心したように、また無口になって、オレの珈琲を入れ始めた。

向田さんも、この店主のこうした間合いとほどよい距離感が好きだったに違いない…いつものブレンドの1番を飲みながら、混んできた店のカウンターの脇で改めてそう思った。ちなみに、向田さんのお好みはブレンドの3番。ブレンドの3番を好みにできていないところに凡人の限界があるw