秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

恋のこと3

男も 女も 最初に出会う異性は自分の母親や父親

前々回 その親を対象化できる大人にならなければ 

きちんとした恋も人を愛することもできないのではないかという話を ギリシャ悲劇の例を挙げて 話し

た 前回は それを乗り越えることができている気になっていても ぼくのように おふくろが亡くなる

まで その気になっていただけで 実は どこかで母親の幻影を追いかけてしまう人間もいるという話を

した


恋をして 相手への甘えではなく 自立した対等の男女として 相手のために何ができるか 

どうすれば相手が 喜んで幸せな気持ちになってくれるかに気づくのは 実は それほど簡単なことでは

ない


恋愛が人を成長させるというのは 昔からいわれていることだけど 

その真意は 相手のために何もできていなかった自分 人の心を思いやれる自分になっていなかったこと

に気づき こんな自分だから 相手とうまくいかなかったんだと 自分の未熟さに目覚めることができる

から


あるいは それまで 嫉妬や不満に溢れていたのに 

別れて 相手への執着から離れてみれば 相手の本来の姿が見えて それほどに執着する魅力のあった人

間だったのかと 相手の本性が見えること

自分に人の本質を見抜く眼 人の心の真実を知る力が いかになかったかに気づけることで 

ぼくがよく言う免疫力 相手を読む力がつくから

人に振り回されない力 人の良し悪しを見抜く力が育つからだ


また あるいは 自分の都合のいいような恋をしていて それで満足していたつもりが 別れてみて

あるいは 相手の真実の姿を知って 自分が振り回していたつもりが 実は 振り回されていたこと

騙されていたことに気づくことで 自分の愚かさ 愚かさが引き起こしていた 驕慢さ 生意気さに目覚

めることができるから


が しかし


それに気づけるのは どのような恋でも 恋の失敗を相手の責任にせず 自分の生き方の問題 自分とい

う人間の人間性のあり方の問題 引いては 親や家族など身近な人との自分の関係について 振り返る 

自分を見つめ直すという 謙虚さがなくてはできない 気づけない


相手がどういう人間であったにせよ 相手が自分にどういう苦悩や辛さを与えたにせよ

その相手を選んだのは自分だ あるいは 相手を苦悩させ 辛い思いや心に傷を与えたのは 愚かな自分

だ つまり すべからく 相手に問題があったのではなく 自分に問題があったから

それに気づくには 相手を責めるだけの心では 自分を成長させるヒントと出会えない


相手を責めるだけ 自分は悪くない 

あるいは それはそれで終わりにして次ぎ と簡単に気持ちを切り替えられるのは 

いかがなものか と ぼくは思う

そういう人は 恋だけでけなく 他者へのやさしい視線も 思いやりも いたわりも そして 自分自身

を成長させることもできないと思う


人が人を思いやる 人が人にやさしくあろうとする そこには他者を尊重する 相手の人権を認める

という心がなくては できない

どういう恋愛にせよ それを糧にできるのは 他者を尊重する心が育つからだ 自分を振り返る謙虚さ

と出会えるからだ


むろん 明らかに人を傷つける暴力や虐待 隷従的支配 一方的な関係が尊重されてはならない


しかし 人は恋に落ちると 平気でウソをつく 調子のいいことを口にする 

相手にとって心地よいことを言葉にする

あるいは 甘いスイーツに包んで 自分のわがままを押し付ける


「あなた 私の体だけが欲しいんでしょ」

「ばか そんなことあるわけないだろ 愛してれば 抱きたくなる それってヘンか?」


なんてことで 性的関係だけを押し付けられることもある

だが それも 恋のひとつの形なのだ それが いい恋であるかどうかは別にして


それくらいに 人は ある意味 いい加減に恋をする


20代の頃までは ぼくもそんな恋ばかりをしていたと思う

自分の身勝手さに おふくろを亡くなるまで付き合わせたように 女性にも身勝手さを押し付けていた


自分自身を振り返るような恋 そして 本気で人を愛したと言い切れるようになれたのは

30歳の頃からだ 

だが それからは まさに 恋を通じて いろいろなことを考えさせられたし 教えられた

一人の女性と長く付き合うことで生まれる 互いの変化や成長 

そして 醸成し 深みをます愛のあり方も教えてもらった 

教えてくれたのは相手の女性 ぼくではない

でも それをしてもらえたのは 彼女たちが ぼくなどよりずっと大人で 深い愛情を注いでいてくれて

いたからだと思う

それがなければ 気づけなかった思い 感情 ささやかでも自分を振り返るという謙虚さも生まれてこな

かった だから ぼくは それをしてくれた 二人の女性にいまでも感謝しているし 二人を大事に思っ

ている


言葉にしなくては 自分の思いは人には伝わらない

だが 言葉にしなくても伝えれる思いはある

セックスがなくても 精いっぱい 愛していると言葉ではなく 伝えられる思いもある


あるとき オヤジに 「この女と一緒にいれば オレはもういままでのように浮ついた恋をしないという

自信が持てたから この女を選んだんだ」 と30近くの頃いったことがある

オヤジは その若輩なオレの言葉を笑いはしなかったけど 少し間を置いて

「そう思うのは大事だが ま また出てくるさ そういうもんなんだ 男は…」と真顔でいった

そのときは 何いってるんだ オヤジと思った 

女性のことでゴタゴタを起こす息子が ちょいまともに 真剣に まじめに恋をしますといってるのに

そして 「おまえに 子どもが生まれて まともな家庭生活を送っている未来が オレには見えないん

だ」と これまた ひどいことを平気でいう おいおいオヤジと思ったが

それから8年ほどして さすが オヤジだなと思った

息子の本質をちゃんと見抜いていた

というか 当時 オヤジにも女がいたから 自分への言い訳だったのかもしれないが


もう10年以上前の映画で『月の輝く夜に』というイタリア制作のハリウッド映画があった

ニコラス・ケージのデビュー作で シェールが主演の映画

ニューヨークで暮らすイタリア系移民の親族の世界が舞台になったラブストリー

その中で ニコラス演じる息子のオヤジが 若い女性ばかりと浮気する イタリア人の男らしい

で その妻は じっと耐えているのだが さすがに 自分の老いを付きつけられ続けるようで つらい

そんなとき ふと 若い頃のように 一人で夜の街を歩き ひとりの若者と出会う 

彼は本気でその老いた 妻を口説く マジ恋 

そんな告白をされるのは 彼女にとって数十年振りのことだ

でも 彼女はその若者の気持ちに応えられない ぐら付くが応えない

なのに 夫である男は それにぐら付き 若い女性との一瞬の恋に落ちることができる

「どうして あなたは若い女性と恋ができるの?」

ある夜 彼女はいままで眼をつぶっていた 夫の浮気について質問する

責めるのではでなく きわめて冷静に

「ごめん 死ぬのがこわいんだ このまま老いて 死んでいく自分がこわいんだ だから 若い女性に

恋をしてまうんだ…」

その言葉に 思わず妻は涙を浮べ 夫も泣きながら 老いた彼女を抱き締める

昔 若かった頃は 決して 思いわなかったような言葉を互いがかけ合い しかし 若かった頃のように

いとおしさをこめて抱き締めあう

いいセリフ いいシーンだ 

傷つけ合っていない くだらない言い訳をしていない 

妻である彼女の真剣な問いに 正面から真実を語っている 

この作品は外国映画部門でアカデミー賞を受賞した 決め手はこのセリフだったとぼくは思っている


いま多くの人が 恋をした証明として 当然のように セックスする

セックスをすることで それが恋だと勘違いもする

逆に セックスがなくなれば 恋も終わりだと思う

確かに 抱けなくなる 抱かれたくなくなるというのは 気持ちが変わっているから

だが 抱きたい 抱かれたいと思っても 不器用にセックスができない恋があっても いい

浮ついた言葉をたくさん語らなくても 手を握り締めるだけで 伝えられる思いはきっとある

と ぼくは思っている

肩を抱き合うだけで 伝えられる思いがある

それを大切に育てていけばいいのだ


そんな思いにたどりつけたのも オヤジに また現われるさといわれ 実際そうなりながらも

恋から 何かを学ぶことを教えてくれた女性たちとの マジ恋の過去があるからだと思う

自立した対等の女性として 相手をみることができなければ マジ恋はできない

それも 亡くなったおふくろが 亡くなる一週間前 何もいわず オレの手を握って 教えてくれたこと

だった

母親から自立した男として たとえそれが年下の女性であれ 対等の女性として尊重し 自分を振り返れ

と おふくらが最後に残した遺言の一つだった