秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

タイムリミット

ぼくらの多くは、期限や期日を決めるのが好きだ。

仕事では当然だし、チームや集団でなにか目標をもって事に当たるとき、期限や期日は、最初に考えなければいけなことだろう。

そうでなければ、片づけなくてはいけない仕事が先送りになったり、その仕事や作業の結果を期待している人の気持ちにも応えられない。

だから、とても大事なことだけど、いつかぼくらは何にでも期限や期日を求めたがるようになってはいないだろうか。

ぼくもだけど、人っていうのは、だらしないところがあって、期日がないと本気でやらないという怠け心がある。

四半期、半期、年度末といった締日もそうした人の弱さがわかっているから、ルーティンとしてぼくらの生活の中にあるのかもしれない。

だけど、それが本当にすべてだろうか。

じつは、ぼくは、子どもの頃から、あれこれ人を巻き込んで、計画を立てて実現するということばかりやってきたせいか、仕事でも、人との付き合いでも、どうしても期限や期日を設けるのが癖になっている。

だけど、人っていうのは、期限や期日通りに機械のように動くわけでも、それを果たせるわけでもない。自分自身を振り返っても、人よりそれには正確な方だとはいえ、やはり、なにかの時に、思うようにそれを果たせないときというものはある。

そう思えるようになったのは、いい歳になった、この5、6年のことだ。きっちりやるというのが好きなぼくは、そこに気づくまでずいぶん時間がかかった。

昔、一緒に暮らしていた女性にいわれたことがある。「仕事と恋愛は違うのよ。仕事のようには、いかないの」。

彼女の言いたかったことは、何にでも白黒をつけて結論を出したがり、期日と期限を求めるぼくの女性との接し方、付き合い方がおかしいということだった。

「あなた、仕事してるみたい」。言葉がなかった。付き合ってる女性にそんなことをいわれたのは、初めてだったから。言い換えれば、仕事のように付き合うことに異議をいう女性はそれまでいなかったのだ。

人には、けじめも、節目も、節度も、他者のためにも守らなくてはいけない期限、期日もある。それを守るために、ひとつひとつ白黒つけていけないといけなこともある。

だが、もしそれができなかったとしても、できなかった、できないわけがある。自分の事情ではなく、相手の事情に合わせてみれば、確かに、それが見えてくる。

2015年度が今日終わった。ぼくもたくさんのやり残したこと、やれなかったこと。期日、期限までにできなかったことがたくさんある。

だけど、それを自覚して、明日から始まる2016年度を生きようと思う。いつまでにあれをする、これをする。それも大事だ。だが、ぼくの目指すものには、じつは、すぐに結論のでないことの方が多い。

イムリミットに急かされて何かを見失うより、いまをなによりも確かに生きることだ。それが後悔しない生き方だ。ぼくは、いまそう思っている。