秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

あんぽんたん

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メタボの騎士として あたかも宮澤賢治の「雨ニモマケズ」のごとく 先々週から 

ありがたいことに声をかけてくれたり 心配している人たちとのふれあいに奔走することができた


どんなに仕事や何かで忙しくても まずは 人に役立つことがあれば 時間と体力の許す限り はせ参

じよう それは オレがいま ささやかでも だれかのために いつでも どこでも できることだから

取り組もう 求められれば それをおろそかにしてはならない それがメタボの騎士の流儀


だが その間に 息子の入学準備 今週末の撮影の準備に 仕事の打ち合わせ 劇場下見 長くやってい

るボランティアの活動もあり さすがに 土曜日は 久々に午後9時には眠ってしまった 爆睡


どんなに忙しくても スケジュールを立て その中でどう動くか シュミレーションしている段取りが

段取り通りに動いていると そう疲労感を感じない 体と心の準備ができているから

だから 予定が大事 約束が大事

事前に組み込んであれば そして 飲みすぎさえなければ 相当 がんばれる
 

また 疲れても どこかで爆睡できれば 体力が持つのは 若い頃からの芝居や平均睡眠時間2時間とい

う制作会社勤務時代 そして 会社をやり プロデュースと監督業の二足のわらじを履く生活の中で身に

つけたもの


ファイナルファンタジーの戦士のように 睡眠は大事だ 

シェークスピアの戯曲の中で一番多く登場してくる言葉が Sleep 

あまり知られていないが ファイナルファンタジーが最初に出たとき 間違いなく 制作者はシェークス

ピアを読んでいるとオレは確信した シェーエクスピアの戯曲でも 人間の回復の重要なアイテムになっ

ていたから


どんなに状況にあっても メシが食えて 眠ることができれば 人は何とかやっていける

それができないときが 人は やばい だから そうできない人がいると やたら心配になる

これもメタボの騎士の流儀

一日爆眠し ああ 腹が減ったと感じられれば いろいろな困難があっても人はやり抜ける とオレは

確信している


で 爆眠して 回復した日曜日の夜は 昼のうちに 今週末の撮影の段取りもほほ終えたので 

Norikoと外苑前のセーランでイタメシをする(写真) 


何事かを抱える人には 話を聞かないで本人に考えさせることも必要 励ましつつも叱ることも必要 励

ましも 叱りもなく ただ聞くということも必要 そして たわいもない話をすることで癒すことも必要

それぞれ人の状況やタイミングで 対応を変えなければ 人は育たないし 心を開くこともない

互いの心も通わない 人との関係はそうした一つ一つの積み重ねの中にあるのだ


いまNrikoに必要なものは 励ますことでも 叱ることもでない とオレにはわかっている

奴は多くは語らないけど これからのことで まだまだ不安があるのは 長い付き合いだからわかる

お互い立て続けに会っているのは 4月からは また 奴が馬車馬のように働くことが奴にもオレにも

わかっているから


奴は 入院中にいろいろ考えて これまでのような無茶や 自分を削って人に付き合うことより 自分を

高めるための時間を確保しようと決めている アパレルは捨てたくないとがんばっていた 昼間の仕事

もやめた そうしなければ また 体を壊す

だが これまでのいろいろな付けもあり がむしゃらにやらなくてはいけない事情もあり 実は不安を抱

えているのだ 本当はもっとゆとりのある 自分らしい生き方がしたいのだ

そんな奴のためにオレにできることは まずは 本来の奴の笑顔を取り戻させること 

大丈夫と安心感を持たせてあげることだ とオレは思っている 

少しの間でも 本来の自分に帰ることができる時間があれば 人は心がいやされる 

心がいされれば 体も元気になる いまは体を完全に治すことだ

あれこれ本質的な 説教めいた話は いままでもしてきたし さりげなく入院中にもした 

それは だから もういい


なんでも 奴の周囲では 今回の奴の入院は ある種 それ好みの男女がやる ○○○セックスをやり過

ぎ その激しい動きで尾てい骨が折れたに違いない とネタにされているらしい

というか 奴の周囲にいる知り合いはそう確信している人間がほとんどだという 

まさに究極のセックス

それはそれで 爆笑ネタではあるが Norikoがいいたかったのは おそらく 別のこと


「本当にそうなら それはそれで すごい愛の証でしょ だったら ちゃんとそう言うわよ」 


確かに フランス映画にあっておかしくない逸話だ 男女の愛の本質的な姿をそれを通して描くことだっ

てできる


むかついた ばっかじゃないと奴はいうが たぶん そういわれても そのとき奴はそんなに向きにな

って抗弁していないし 自分の気持ちを明らかにしてはいない と思う 

卒なく笑顔でかわしたか ちょいキレ気味になりながらも ふん! とスルーしていたのだろう


だが そういうネタでしか 周囲の人間が 奴という人間を 女性を見ていない 見抜けていないことが 

たぶん くやしいのだ そういう中でしか いまの周囲の人間関係や生活スタイルが成り立っていないこ

とが歯がゆい


九州弁で バカな奴 知恵の回らない奴のことを あんぽんたんという

「どうして あんぽんたんなのか いまでもわからないな」と同じ九州から出て来た者同士 笑った


オレたち九州では 子どもが何かつまらない失敗をやらかすと 母親から「そげなことするとは あんた

が <あんぽんたん>やけんたい!」と叱られる

オレも子どもの頃よくいわれた しかし そこには 単刀直入にバカだの アホだのといって 相手を非

難し 傷つけたくないという配慮が働いている 叱る中に愛嬌がある 柔らかさを忘れていない

あんぽんたんには だから 愛があるのだ

が しかし 人のせいにするな 責任はおまえにあるのだぞと反省を促してもいる


あんぽんたんと言い合えるような人との関係にいれば 感じなくてすむ無念さやくやしさを きっと奴は

感じているのだ あんぽんたんには互いへの信頼がある 失敗を許すやさしさがある もしそこで くじ

けたり 泣いたりしたら しっかり受け止める 隙間がある 大丈夫だと ぎゅっと 愛で 抱き締める

ことができる
 

30代前半以下の連中は いろいろキツイ言葉で怒ったり 言い返したりすることもあるが 多くは自信が

なく 不安  自分を否定する 自己否定をせざるえない環境の中で大人になっているから

だから あんぽんたんの後ろにある愛ではなく 表にある 責任はおまえにあるのだというニュアンスば

かりが心にのしかかり 表向き強気でも ふと不安や心配が押し寄せる


だが 大丈夫 Noriko

おまえの前には まだまだ あんぱんたんやり続けている メタボの騎士がいる


あんぽんたんとオレたちのおふくろが オレたちにいっていたのは

きっと あなたは あんぽんたんなんかじゃないよ という思いがあったから

ちゃんとやれるよ とみつめていたから だから いえたのだ

ほんとにそうなら いまどきの親のようにバカだ カスだ クズだと怒鳴り散らしていただろう


おまえがいけない 責任は自分にあるという表のニュアンスでなく

これからは その裏にあった おふくろたちがくれた愛を感じればいい

そういう愛を感じられる人とのふれあいを大事にすればいい それがおまえを もっと大きく

輝かせる


昨夜 豪雨だったのに 傘を持っていない おばあさんを見て 自分の服が濡れるのもいとわず

自分の傘を上げてしまった おまえなら それができる

そういうおまえだから オレは確信を持って 大丈夫 と言い切れるのだ

それだって オレたち九州では うれしそうに笑いながら あんぽんたんっていわれている