秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ファッションのこと4

その頃、ぼくはある団体のサテライト放送のヒューマンドキュメント作品をレギュラーで担当していたの

だが、もう一つの幹部教育向け放送の番組に担当を変えられた。

そのとき、社会の現状についての認識を団体幹部であればしっかり持つべきだろういと思い、丁度、半年

前に起きていた「神戸連続児童殺傷事件」、俗に「酒鬼薔薇事件」をどのようにとらえ、こうした事件を

引き起こさせないために何が必要かを提起したいと思った。

企画は通ったが、これにきちっとコメントできる識者を探していた。出版社の仲間などに相談すると、

宮台真司がいいのではないかという。しかし、その友人は、「過激だから、気をつけろよ」と釘を差し

た。当時、宮台は援交・テレクラの分析でマニアックにデビューし、しかし、その深い洞察眼と精緻な社

会分析、社会学的アプローチによる政治解説で、脚光を浴び始めていた。あの低俗な朝生にも出演し、激

論の末、席をけって立つというパフォーマンスで、かなり誤解もされていた。

ぼくは映像の世界に足を踏み入れてから、インタビューも自分で担当し、広告関係の仕事でもタレントや

芸能人の取材記事をずいぶん書いていた。

そうしたとき、ぼくは、まず、その人物の詳細な資料や著作物を読むことをしない。これはいまでもそう

だ。プロファイルくらいは見るが、それ以上の知識を入れないで取材に向かう。普通なら、何事かと叱ら

れるのだろうが、ぼくは、事前に勝手な知識を持ち、そのために対面する相手への先入観や固定観念にし

ばれれることがキライだ。

よくテレビや雑誌のインタビュアーが事前の先入観で、インタビューをしているが、それでは、取材対象

者の本音は聞き出せない また 生きた言葉も引き出せない まして 視聴者や読者がその人物を詳しく

知っていると保証はなく 彼らと同じ目線で取材するためには先入観は邪魔になる

対人間なのだ まず 人として向き合うことの方が先で それがきちんとできなければ いいインタビュ

ーにはならないと確信している

また 取材のときも テープは一応回すが それを丹念に聞き起こして原稿をまとめるということもしな

い こちらの意図はあるにせよ 雑談のように話を進める中で 頭に残った箇所を手掛かりに原稿や映像

を編集する 全文を掲載するような場合は別だが こちらでまとめをする場合は必ずそうする

視聴者、読者はそういうものなのだ 話のすべてを理解しようとしているのでもなく また すべてが

理解できるわけでもない 印象に残る言葉があれば それがすべてだ 

逆をいえば 印象に残る言葉も論理もない取材は内容のない取材だし そうした取材対象者を選んだこと

を反省すべきだろう

だから そのときも あえて 宮台真司の著作に目を通さず 東急文化村のカフェで会うことした

取材の合間の30分をもらうという約束で 対面し 話をするうちに 時間を忘れた

宮台も約束の時間が過ぎても話をやめようとはしなかった 2時間以上 ぼくも時を忘れて話続けた

いつか仕事以外の話もしていた

結局 仕事の打ち合わせの結論は 「わかりました。秀嶋さんの質問にぼくがどんどん答えて。後は

秀嶋さんがまとめるということでいいんですね」という宮台の言葉で終わった

ぼくは そのとき ひさしぶりに 優秀な しかし 実に感性豊かな人物に出会ったと思った

マスコミでいわれている宮台真司は まったく 実体とは違っていた

以来 時に時間をあけながら 時には濃密に ぼくの仕事に付き合ってもらっている

ぼくは 宮台真司と様々な話しをするうちに 自分が本来 やるべきことは何だったのか

何をしようとしてたのかに強く気づかされた 別に宮台真司が格段それを意識して話をしたわけではない

が 宮台には眠っていた人の感性を揺り動かす何かがある

自分が大学生の頃、そして、今日の食事や交通費にも事欠く演劇人をやっていた頃

ヤッケと擦り切れたコッパンで 表現者として社会に挑もうとしていた気持ちを突き動かされた

そのときから バブリーなファッションに身を包んでいたぼくの服装は次第に変わり始めた。

そして、ある日、生き方を変える決定的な出来事が起きた

ぼくは救急車でICUに運ばれ 余命わずかかもしれないと医師に診断されたのだ…