秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

つまらない言葉

申し訳ない話なのだけど、なにかの取材でも、専門の方や何かえらい方への聞き取り調査などでもよくあることのだが…

ありきたりで、どこかに書いてあるような、どこかで聞いたような、くそまじめで、あるいは、多少の知識があれば、だれもが指摘しているような意見や考えを話されていると、ぼくは、ほとんど、その部分の話を聞いていない。正直にいうと、いらいらするw

こちらも目的やねらいがあって、取材や聞き取りをしている。だから、知りたいのは、なるほどとか、そうなんだとか…それって、すごいなぁとか、つまり、ぼくの知識や情報、体験的に知っていることではない、ありきたりではないことを知りたいのだ。

しかも、ただ関心したり、驚いたりすることではなく、新しい視点や視座、方向性を示す理念のある言葉とふれたいのだ。自分とは違っていても、そうしたものには興味も抱けば、その真相を知りたいとも思う。

かつて、社会学者の宮台真司氏と話したことがある。

ぼくは、取材や聞き取りのときに、音声録音の器具を持っていくことがあるが、じつは、それをあとで聞き起こすことはほぼない。持っていかないときもある。

「自分の記憶に残らないような話は、取材の情報としても、聞き取りのデータとしても、使えないからですよ。使える話は、録音しなくても、記憶に残る。それは、ほかの人でも興味を持つ。それだけ、わかりやすく、いい話だってことだから」

そう答えると、宮台氏の当時、親しかった優秀な女性ジャーナリストも同じことをいっていたと感心されたのだ。言葉というものはそういうものだ。人の興味や関心にあるのはそういうことなのだ。

今回の参議院議員選挙投票率の相変わらずの低さ。組織票で左右される現状の政治のあり方など、いろいろに指摘できることはあるが、一番なのは、民進党を始め、野党やそれを支えた市民連合の人々が発してきた、言葉だ。

投票に行こうというモチベ―ションを生み出せず、一部一人区や東北、都市部で善戦したとはいえ、自公に敗北したのは、野党のおきまりの言葉と届かない、興味も関心も呼ばない言葉の使い方だ。その点では、野党の中でも共産党の志位氏はうまい。

一方で、自公は選挙の議論にもならない、つまらない野党非難を連呼して、それはそれでありきたりで、つまらない、退屈極まりないことだれど、それを一番やっているのは安倍総理。それにはきっと自民支持者でも、つまらないと思う良識のある人々はいたはずだ。

だが、それでも自民党には、ほかに気の利いた冗談を含め、あれやこれやと大衆の興味を関心をひく言葉を使う人材がいる。

閣僚二人も落選というのは、与党支持者の中にも、安倍政権(内閣)は嫌だという人たちがいるからだ。大臣だから守ろうという気概がなかった。それは、安倍首相も決して大衆に届く言葉は持っていないことの証だ。安倍さんは嫌だけど、やはり自民党で…そう考えている自民党支持有権者は少なくない。

与党であれ、野党であれ、つまらない言葉はもうやめたらどうだろう。人の上げ足をとるのが政治だといえば、それまでだが、これだけの低投票率を招いているのは、あなたたちなのだ…という反省と自覚がない。

自公は勝った勝ったと安心していてはいけない。野党は自分たちの大衆に届かない石頭から直そうとしなくてはいけない。いずれも時代遅れの終わってしまった選挙をやっている。その反省が国会に生まれないと、この国は、きっと終わってしまう。